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ドラえもんからの宿題を解くのは誰だ?(映画「ドラえもん のび太の創世日記」を観て)

少し前に「ドラえもん のび太とブリキの迷宮」に関するnoteを書いた。

藤子・F・不二雄さんが自ら脚本を手掛けたドラえもん映画は、全部で17作品。「ドラえもん のび太の創世日記」も彼の晩年に書かれた作品である。

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「ドラえもん のび太の創世日記」
(監督: 芝山努、1995年)

夏休みの自由研究の宿題が捗らないのび太に、ドラえもんが与えたひみつ道具「創世セット」。のび太は創造主として新たな宇宙を作り出し、地球型惑星を育てていく(その様子を記録し、観察日記として提出するらしい)。

創世セット、という言葉の通り、新しい世の中を創るという大仕事がのび太の使命だ。最初の頃、仕事をサボってしまって、惑星を形作る要素がすべて太陽に飲み込まれるというミステイクを犯してしまった。

なかなか、神様というのも忙しいらしい。

だがマニュアルに沿って創世を進めていくと、地球のような惑星ができ、人類のような生物が誕生する。そこまでは予定通りだったが、ひょんなことから昆虫人なる生物も生まれる。昆虫の進化が促され、人類とは別に、地底生活を営む昆虫人が誕生したというわけだ。

やがて昆虫人は、地球を意のままに操ろうと環境破壊を繰り返す人類と対立していく──というのが大まかな流れだ。

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ドラえもん映画において、言及されがちな環境問題。

おそらく藤子・F・不二雄さんにとって関心の高いテーマだったのだろう。人間の愚行を示唆するシーンは本作でも描かれていた。

残念ながら本作は、映画の出来としては中途半端であるといえるだろう。仲違いし、交渉が決裂した人類と昆虫人。両者の融和までの過程があまりに性急なのだ。(なんせ対立を避けるため、昆虫人が選んだのは、のび太がつくった新しい惑星への移住だ。いやいや、そんな簡単に移住なんてできないよね……と突っ込みたくなる)

もちろん人類が現れてから、山に火を放ったり、神話のような物語のもとになったりと、昆虫人が人類に対して警鐘を鳴らしているような場面はいくつかあった。だが、当然ながら数千年前の人類は地球において大きな影響力(それはつまり、致命的に地球環境を破壊するような、という意味で)を持っておらず、小粒なエピソードを無理くり対立へとつなげるようなもののように思えた。

映画化から30年弱。

じゃあ、どうすれば「創世日記」を上手く作れるかといったら、なかなか自信を持てない。なんせ今や、人類よりも大きく影響力を持ちそうなものはAIであり、「創世日記」のときの前提が大きく異なってくるからだ。

とはいえ。本作の問題提起を保留のままにしてはいけないように思う。きっとこれは藤子・F・不二雄さんから、後世のクリエイターへの宿題なのだから。

僕が解けなかった宿題をよろしくね。

そんなふうに本作を解釈するならば、全く別の見え方になっていくから不思議である。

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映画「ドラえもん のび太の創世日記」はAmazon Prime Videoで観れます。

他作品と同様、いつか現代の映画監督によってリメイクされる日を楽しみに待ちたいですね。

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