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息子が初めて嫌いになったのは、お父たんだった。

村上春樹さんの新著『猫を棄てる』がようやく手元に届いた。もともと文藝春秋に掲載されていたものなので、分量は少なめ。装画と挿絵を手掛けた高妍さんのイラストに郷愁を感じつつ、僕自身の遠い日々の記憶を探りながら、しみじみと読み終えた。

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さて、2020年のゴールデンウィークが終わろうとしている。コロナウィルスという慢性的な事件が続いており、誰にとっても今年のGWは特別なものとして記憶に残るだろう。

僕、妻、息子(2歳3ヶ月)という布陣の我々家族にとっても、この時間は特別なものだった。基本的に家にいる時間は多かったが、人の少ない時間を見計らって外出した。水辺ではザリガニを探し、木々の下でカブトムシの幼虫を掘り当て、道端の蒲公英の綿毛をケラケラ笑いながら吹いて遊ぶ。「トーマスの動画が観たい」と言って泣いたり、「昼寝がしたくない」と本気で怒ったりする。そんな一喜一憂を間近で見つめる日々で、そんな息子の様子を記録する(保育園の日誌に。4月上旬に休園が決まってから、何となく1日も欠かさず日誌への記録は続けている)。

確実に、息子は成長している。

iPhoneで撮り貯めてきた写真や動画でなく、毎日、欠かさずに時間を過ごしたからこそ変化を実感する。タイトルに記した「嫌い」について詳述したい。

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これまで息子は「好きじゃない」「美味しくない」という表現を使っていた。野菜好きじゃないとか、ご飯美味しくないとか。そういう文脈で。あるいは「お父たんのこと好き?」と聞くと「好きじゃない」とニコニコしながら返答するのだ。「なんでだよ〜」と脇をくすぐるのとセットになっていて、「好きじゃない」という言葉は有効の証としてのコミュニケーションとして用いられていた。(ちなみに僕以外の人間に対しては一律で「好き」という答えが却ってくる)

だけど明確に、今日、息子は僕のことを「嫌い」と言った。「好きじゃない」と「嫌い」は同義に感じるかもしれないが、息子の表情や声色から察するに、このとき僕に対して「嫌い」だと言ったのは本気の感情だった。これまで僕に対して──半ば冗談で──お父たんのことは好きじゃない、と言っていたのとは次元が違う。その瞬間、息子は僕のことを嫌悪したのだ。

翻ってみると、僕が「嫌い」という言葉を使わなくなってどれくらい経っただろう。僕が善良なる人間ということでは全くなく、単純に「好き」「嫌い」という判断軸は持たなく(持てなく)なっているのだ。

例えば、今所属している会社のことは別に好きではない(愛着はある)。同様に社長のことは嫌いではない(好きではないけど、恩は感じている)。僕だって人間なので、いわれのないことから叱られて腹が立つこともあるけれど「まあ、社長だって感情がある人間だもんな。虫の居所が悪いことだってあるさよ」というくらいには受け流すこともできる。それがどういうグラデーションなのかはさておき、そこには「好き」「嫌い」という感情は存在しない。

だけど、昔はそうじゃなかった。

本気で会社のことをむかついていたこともあったし、悪態をつかれたクライアントを嫌っていたこともある。そのことを会社のメンバーに愚痴ると「まあまあ、そういうこともあるよ」となだめられ、「むしろ、お前が成長しなよ」と戒められる。

もちろん「好き」「嫌い」の判断軸を持ちながら仕事をすることは、決して褒められることではない。むしろ大人気がないことだから、若手社員がそんな感情で仕事に臨んでいたら、即、注意しなければならない。

でも、息子の「嫌い」を聴いて、考え込んでしまった。

「これこそ、人間の本来持っているべき感情だったんじゃないのか」

打算や妥協で生きるよりも、この瞬間の感情を大切にする。セルフアウェアネスという言葉もあるけれど、自分の感情をしっかりと認識し、それを表明するって意外に必要なことなんじゃないかと。喜びも怒りも。

これに対して、答えはない。

答えはないけど、息子の「嫌い」の感情は大切にしたいと思った。なにせ息子の人生において、初めて「嫌い」という言葉が発せられたのだから。息子の人生において、僕は初めて「嫌い」だと認識された存在なのだから。

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もうひとつ、おまけに。

2015年5月6日は、僕が妻にプロポーズをした日だ。OKをもらって歓喜したあの日から、ちょうど5年。5年前に、こんな感情を持つとは思いもしなかった。

人生は面白い。心から、そう思う。

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