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サル化する世界と一人称単数

多かれ少なかれ、作家は作品の中に「批評性」を意識します。

批評性は、他人や他者に対してだけでなく、独りよがりにならぬよう「自己省察」の意味合いでも機能します。もちろん批評性は全てではありません。ですが作家が持つ固有性や創造性とバランシングされることで「普遍」を獲得することもあります。

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村上春樹さんは、「普遍」を意識できる数少ない作家です。

どのように「普遍」があるか言語化するのは難しいけれど、日本人作家が海外で読まれ続けている現象を見ても(それがパブリッシャーの努力もあるとは言え)、文化の壁を超えて伝わる「何か」があるのだと感じます。

一方、近著『一人称単数』では従来のアイロニーの仕掛け方とは趣が違っています。物語という装置(しかも短編)を使って試みている批評のあり方は、熟練の粋に達した村上さんだからこそできる技なのかもしれませんが、それにしてもこの短い作品の中に秘められた「何か」に目を見張りました。

短編集は全部で8つの作品で編まれています。どれも背中を柔らかく撫でられるような、もう一人の自分から俯瞰されるような「怖さ」があります。作品の面白さは語るに及びませんので、ぜひ書店で手に取ってください。

※なお「批評性」については茂木健一郎さんがブログで分かりやすく解説していますので、よろしければ。

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さて本題は内田樹さんの近著『サル化する世界』について。

久しぶりに読む内田さんのテキストでした。豊富な知識と経験に裏打ちされた批評のクオリティは昔と寸分変わらず高く、何度も居住まいを正しながら読書に臨みました。

僕が内田さんとの出会いは(面識はありません。本を通して、という意味です)、2009年発売の『日本辺境論』がきっかけです。大きなテーマに対して正面から論評するのでなく、細部や周縁から辿るように本質を突く。当時の僕にとっては新鮮で、ジェントルな大人であるように感じました。

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『サル化する世界』は悲壮感を通り越した達観に、時折怒りと憤りがミックスされたようなトーンを感じます。

サル化する世界
サルカスルセカイ
さるかするせかい

内田さんのような文筆家であれば、あからさまなアイロニーを用いる必要はありません。ご本人も「いささか挑発的なタイトル」と認めています。

政治家もインフルエンサー、更には市井の人々も含めて「サル」と表現するのはそれほど真新しい表現ではありません。皮肉をたっぷり込めて、権力者や世間を弾劾する表現は昔から行なわれてきました。

ただし内田さんが「サル」と喩えたのは、本意ではないように感じました。何と言っても内田さんはジェントルな人です。やろうと思えば舌鋒鋭く世間を斬ることなど容易いわけですが、常に矛を収めるような自制心をお持ちの方です。

それでも今年70歳を迎える内田さんが「今、(攻撃的な言葉を使ってでも)総括しなければならない」と決意して記したもののように僕は感じました。自己省察としての批評性でなく、外部に向けた批評性を露わにしています。

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『サル化する世界』は内田さんが書いたからこそ、意味があります。

いま、日常で広がる景色に違和感を抱く人は共感があるでしょう(違和感を抱いていない人にこそ「発見」が大きいけれど、そういう方々が本書を手にする機会はあまりなさそうです)。

冒頭に村上春樹さんの『一人称単数』に言及しました。

同世代の作家が、敢えてご自身が保有している作家性を逸脱した(ように僕は感じました)のは、何かしら通ずる、共通の想いがあったからではないか。その同時性に驚きと必然を感じています。

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どんなことが書かれているか、1つだけ本書を引用して紹介します。

内田さんは死刑制度について以下のように論じています。

死刑の当否について、「どちらか」に与して、断定的に語る人を私はどうしても信用することができない。
死刑は人類の歴史が始まってからずっと人間に取り憑いている「難問」だからである。
世の中には、答えを出して「一件落着」するよりも、「これは答えることの難しい問いである」とアンダーラインを引いて、ペンディングにしておくことの方が人間社会にとって益することの多いことがある。同意してくれる人が少ないが、「答えを求めていつまでも居心地の悪い思いをしている」方が、「答えを得てすっきりする」よりも、知性的にも、感情的にも生産的であるような問いが存在するのである。
(内田樹『サル化する世界』P78〜79より引用。太字は私)
「制度がある限り、ルールに沿って制度は粛々と運用されるべき」だという形式的な議論に私は説得されない。それは「そもそもどうしてこの制度があるのか」という根源的な問いのために知的リソースを割く気がない人間の言い訳に過ぎないからだ。
そんな言い訳からは何一つ「よきもの」は生まれない。
世の中には効率よりも原則よりも、ずっと大切なものがある。
(内田樹『サル化する世界』P84〜85より引用。太字は私)

「伝える」「伝わる」ことが最優先となり、とても強い言葉がSNSでは使われるようになりました。対面では決して使われない誹謗中傷に限らず、意に沿わぬ / ニュアンスの異なる意見や報道を「デマ」「フェイク」と断じる態度は違和感なく世の中に吸収されていると思います。

昨今のウィルスについても「経済か、生命か」という両極端な話で終始するものではないはずなのに、そのグラデーションの行方が殆ど見えずに宙に浮いています

本来、政治家は論拠を持ってグラデーションの理由や在り方を説明すべきだし、私たちはその意図に対して賛否を示さなければならない。でもそれが見えない / 見せないからこそ空中戦に終始している。

そのリスクに気付いたときには、もう手遅れかもしれない。既に現時点で回復不能なのかもしれない。だけど希望はある。村上さんと内田さんの「普遍」は希望をベースにしています。信じるに足る作家なのです。

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