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“よそ者”の生存奮闘記(映画「ザリガニの鳴くところ」)

テイラー・スウィフトがオリジナルソングを寄せるなど、アメリカでかなり売れた小説がもとになった本作。

1969年のアメリカ、ノースカロライナ州を舞台に、悪意を持った蔑みを受けてきた少女カイアが、自宅そばの湿原で発見された変死体事件に巻き込まれていく物語だ。

「ザリガニの鳴くところ」
(監督:オリビア・ニューマン、2022年)

──

人嫌いの偏屈な父親
父親のDVに耐えかねて離散する家族
父親と暮らさざるを得なかった少女・カイア
しかし、やがて父親も自宅を去り、カイアはひとりで湿地帯で生活することに

状況をざっくりと羅列するだけでも、カイアを取り巻く状況の厳しさが分かるだろう。みようみまねで湿地で採れるムール貝を商店に売り込むことでカイアは生計を立てていた。

商店の夫婦以外に、少女のカイアに手を差し伸べる人間はいない。街の人々は「湿地の娘」とよからぬ噂を立て、罵る。街にとって、カイアは“よそ者”扱いで、小学校に通うも「汚らわしい」と扱われ、実質的に排除されてしまった。

しかし、孤独を感じる中で少年テイトに出会うことで、カイアの人生は変わっていく。彼に読み書きを教わり、読書を経験することによって、カイアは知性を身につけ、やがて生物学者としての素質を開花させていく。

……しかしながら、やがてテイトが去り、新しい恋人を見つけ、裏切られ、そして殺人容疑で逮捕されてしまう。山あり谷ありが人生の宿命ながら、カイアの置かれた境遇はあまりに過酷だったと言わざるをえない。

*

本作は、カイアの物語であると同時に、「私たち」の物語だ。

被告人として拘束されたカイアを支援する弁護士は、最終弁論の際に陪審員に語り掛ける。

かつて我々が広めてきたデマと(この状況は)同じだ。主張ではなく事実のみで判断してください。偏見はもう捨ててください。やっと私たちに訪れたチャンスです。湿地の娘に公平な態度で接するときです

カイアの状況を考えると、「私たち」にとってチャンスと言うのは不適当かもしれない。だが、古来から先入観や偏見というものは存在してきたし、そのたび正当な権利を求めて「誰か」が立ち上がってきた。この場合の「誰か」はカイアであり、カイアの主張は社会にとって「受け入れるかどうか」という選択肢を提示されたものであるといえよう。

翻って、1969年という時代から50年以上が経ち、現在はどうだろうか。

女性差別、人種差別、貧困への偏見……。

これらの差別は根強く残っている。「私たち」も奮闘しなければならない。カイアだけに戦いの責任を押し付けてはいけないはずだ。

本作は、美しい湿原に宿るエネルギーが漲っている。彼らから、「私たち」も力を借りようではないか。

人生とは、exploreするもの。ただ生きていても機会は訪れない。

カイアの生き様や職業から、探究心を持って生きる大切さを学べるはずだ。ラストシーンは賛否が分かれそうだが、“よそ者”の生存奮闘記として、僕はカイアの人生を称えると決めた。

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生物学者として、湿地帯の生態系を愛する主人公を撮るのであれば、もう少し生物の神秘についても描いてほしかった。

実際、街から離れた湿地帯で少女ひとりで生活するには、病気や怪我などの様々なリスクを伴うはず。「人生はexploreするもの」というテーマは素晴らしいのだが、作品全体のプロダクションを美しくし過ぎてしまったかなという印象は否めない。

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