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ヒトカタリを知っていますか?

3月25日から26日にかけて。とんでもなく楽しいイベントに参加してきました。
詳しい活動内容はことちゃんがまとめてくれているので、私は思ったこと感じたことをガツガツ綴っていきます。

ありがとう、ことちゃん!

ヒトカタリとは
ヒトとじっくり素直にカタることで、自分の心の声をきく
ヒトカタリキャンプ公式HP

きっかけと、ちょっとした不安

2月に米沢で出会った相田さんから教えてもらったイベント。
「またきてよ!」の眩しい笑顔に、何のスケジュールの確認もせずに、ふたつ返事で「行きます!」と、申し込みました。
後に確認したら、スケジュールも奇跡的に空いていた。これはもう「行ってきなさい」という事なのだろう。

ヒトカタリの内容よりも米沢に行きたい衝動が大きかったけれど、事前説明でことちゃんがzoomで面談してくれたり、参加メンバーのLINEグループで自己紹介が始まると、「とんでもなく面白く楽しいイベントなのでは……?」と気がつき始めました。

個性豊かなメンバー。魅力的なプログラム。
参加するのが楽しみになってきたと同時に、少しずつ胸の中に暗雲も立ち込めていきました。

これは私、もしなくても場違いなのでは……?と。
文章を書くのも読むのも大好きだし、そういう仕事をしていきたい。とは思いつつも、まだまだ行動してます! とは胸を張って言えないのが現状で。
まだまだお仕事として何かを成し遂げているわけでもないし……と。中途半端な現状でどっちつかずの私が行ってもいいのかい、と。
なんの話をすれば釣り合うのかい、と。

今までみたいに竹あかりを設置する! だとか、〇〇やってみた! みたいな明確な理由がないのも一つの要因だったかもしれません。
今までで、「初対面の人とじっくり話そう!」みたいな理由でどこかに飛び出す、ということがなかったのでかなり緊張もしていました。

それに、自分の性格面だって不安があって。人との関わりはだいぶ少ない方だし、キョドるし、上手く話せる自信もないし……。
ほとんど初対面の人たちばかりと上手く交流できるのかなと。

出発直前でちょっと不安なことも増え、悩みもできて、夢も少しだけ自信がなくなってきていて、精神がグラついていたので、じわじわと長距離遠征が億劫になり始めていました。

一歩踏み出しているような気もするし、足踏みしている気もするし。

決めたし、なんとかしたいって思ったけどまだまだ本当にそれで良いのかと考えることもあって。

進んでいるような気がするけどそれは前じゃなくて、横や後ろなような気もするしなぁ。などと悶々と悩むこともありました。

しかし、悩み続けること幾星霜。体感ですけどね。

終わりのない迷路の中に居続けるのもそろそろ辛くなってきたところで、行ってみないとわからないっしょ!と、悩むのにひと段落つけて荷造りを始めました。

体験してからそれをフィードバックして考えることの方が余程自分のためになるぞと。

うだうだ悩んでいても、それは実際に起こったことではなくて、起こるかもしれないネガティブな予想なのでね。

なんとか気持ちに整理をつけて、好きな本何冊かをバックに放り込んで、新幹線に乗り込みました。
不安や恐れに引きずられたまま二日間を過ごすよりも、その瞬間に誰と出会い、どんなことを掴み取るのかの方が圧倒的に有意義だ。

最初の「楽しそう! 行きたい!」という気持ちを思い出しました。

ネガティブモヤモヤを一旦置いておいて、「とにかく、行きたいから行くんだ!」という弾丸みたいな気持ちとともに、また米沢に帰ってきたのだ。窓の外から見えるとけ残った雪で先月のことを思い出します。あ〜第二の故郷だ〜!
雪国特有の引き締まった冷たい風がまた私を出迎えてくれました。

一日目 出会い、そしてヒトカタリ

一ヶ月ぶりに会う人も何人かいて、「あ、独りじゃなかった」と安心するとともに、「何今まで悩んでたんだよ~」と拍子抜け。風車を巨人と信じて突っ込んでいったドン・キホーテの気分です。

気がつくと、初めましての人とも打ち解けていきました。
あれ? もう友人だったっけ? ってくらい気さくさで。それに釣られて私も陽気な気分になっていきました。

少人数でまずは自己紹介をして、全員集まったら今度は他己紹介。
みんなの前で声を出すのも、初対面の人の紹介をするのも、かなり勇気が必要。やったことないことの連続だったものでね。
怖さも、不安もあったけれど、やった後は自分の殻をバリッと破ったような感覚がありました。
これを全力でやったからこそ、この一日がものすごくワクワクとキラキラの連続になったのかしら……。

紅花の種まきやお鷹ぽっぽの色付けをしたりして、あっという間に夜になりましたとさ。
1人で集中する時間も、みんなでワイワイする時間もあって、自分を見つめたり、新しい人との話をするのも、どちらも同じくらい楽しかったなぁ。

種まきまでみんなで大行進!
米沢の伝統工芸品、お鷹ぽっぽ。
職人さんの繊細な手捌きで一本の木から羽を作り上げています。

夕暮れ、そしてヒトカタリ

広間に全員集合して、夕食は米沢の出前ラーメン。ちぢれ麺が美味しくて、ちょっとだけおかわり。腹八分目くらいがちょうど良い。
時間になるまで、レディーストークで盛り上がったり、全力で鬼ごっこしたりしてその瞬間瞬間を楽しみます。

ゆったりしている場合では、ないぞ! と、休むということを全くしない自分自身にちょっと驚いています。率先して休みを取るような人間だったので。

いよいよヒトカタリが始まります。メインイベントといっても過言ではない。あ、でも今までの全部もメインイベントだと思うけれど。

明かりを落とした広間で、小さなキャンドルが灯っています。
五分間目を瞑って、これまでの振り返りが始まります。
今日のイベントの回想、これまでの歩み。やってきたこと、やれなかったこと、やりたいこと、やろうか迷っていること……次々にいろんな考えが浮かんできます。不安も恐れもちょっとはあったけれど、でも、それはすぐに楽しい気持ちと思い出でかき消えていく。

案外、私、ちゃんとやってるじゃん。そりゃ、まだまだなところもあるけれど、胸を張れるくらいではないけれど、確かに積み重ねてるものはあるじゃん。
ウンウン、絶望するには早すぎるわ。

それに気がついた五分間でした。

それから、少人数のグループを作って、「どうしてこのイベントに参加したのか」「自分の大切にしていることは何なのか」をじっくり話していきます。

すると、その人の過去や何に影響されて自分の大切なのが、導き出されていったのかが見えてきます。
語り出す人の表情は楽しげで、迷いながらも、自分の中のキラキラを言葉にしていきます。彼らの、彼女たちの人生を、言葉でお裾分けされているこの時間。かけがえのない瞬間でした。

素敵!
想いが言葉で紡がれていくのが好きだから、私は文章を書くのかもしれない。

とんでもない悲劇や、奇跡みたいなイベントが起こらなくても、毎日考えながら生きていったら、「大切にしているもの」は大きくなって、いつしか「やりたいこと」「生きがい」になっていくのかなぁと。

そしてこれからの自分の進むべき方向がどんなものでもガツガツ進んでいけるのでしょう。

そんなことを考えながらいろんな人の話を聞いて、自分の話もしてみました。
すると、どんどん話していくうちに楽しくなってきて、自分の中でも「あ、こんなに自分のことを話せるんだ」という発見と、「人と話すのってこんなに面白かったんだ!」という楽しさが溢れました。

あの瞬間を心の底から楽しんでいました。
最初の「楽しまなくちゃ!」みたいな強迫観念に近いものではなく、「楽しみたい!」という心からの自分の素直な反応でした。
この二つ、全然違うのだ。

ひと段落して、その次は2人ペアを作って上杉神社までお散歩。相手の人となりを自分の「質問」によって明らかにしていくイベント。
これもまた楽しかった~!

「今まででまだあんまり話したことのない人とお散歩してみよう!」というコンセプトがまた素敵でして。希望制だったけれど、全員やりたい!と手を挙げたのはめちゃくちゃ面白かった。

指名された時は、ちょっと照れ臭くて、でも何だか嬉しくて、「マッチング成立や~!」と意気揚々と2人で飛び出していきました。

私という人間がこの場所にいても良いんだよと言われたようで。もっと自分を出しても良いんだよと言われた気がして。
選ばれるってことは、少なからずそういうような受け取り方ができると思うんですよね。そんなつもり全然なかったかもしれないし、全く見当違いかもしれないけれど、それでも嬉しかった。
そう考えられる私自身も、ええ奴やんって思えた。

のんびりと歩く中、夜の上杉神社は寒くて、先月と同じように静かでした。
雪だけのせいじゃないみたい。新しい発見です。

2人でお散歩するというシチュエーション自体久しぶりだった私は、ちょっとドキドキしながらも、相手を質問攻めにします。
それから質問攻め返されて、ソワソワした雰囲気からもうすでに友人だったかのような雰囲気まで温まりました。もはや親友の領域。

自分の今やっていることとか、これからやってみたいこと、たくさんお話ししました。その後にちょっと抱えている悩み、不安がぽろぽろと溢れていきました。言う予定のなかった不安も、ぽろっと。
相手は「うん、うん」と全部聞いてくれて、同じくらいに夢と、やりたいことと、悩みを教えてくれました。

全部を「うん」と聞くって難しいことだ。
なんだかんだ言って、「それってこう言うことじゃない?」とか「私だったらこうするかな~」なんて自分の経験みたいにアドバイスしちゃうこともありそう。
それももちろん参考にはなるし、新しい視点もあったりするけれど、真に求めているのは「アドバイス」じゃなくて、ただ聞いてくれることなんだと思います。

「共感」とも違う。同じ気持ちになって欲しいわけではないのです。
ただ、私がここにいて、相手もそこにいるだけであって、それ以上でもそれ以下でもないのです。

このメチャクチャに広い世界の中で、とんでもなく小さな、一人の人間の悩み事がそこにあると言うことを知ってほしい。それだけのような気がします。
不安も悩みも、ただそこにあるだけで、それをなんとかしてほしいとお願いしているわけではないのです。そういうこと、考えちゃうんだよね〜そうなんだ〜くらいの、それくらいの軽さで良いのだ。

最後は酒の美味しさについてで盛り上がって、お宿に帰ってきました。
超楽しかった。

こんなにも人と話すのは楽しいことなんだ。
ずっと忘れていたような感覚を取り戻したような、久しぶりの自転車に乗ったような、そんな晴れ晴れとした気分になりました。

夜も深まり、ヒトカタリのプログラムの一日目は終了しました。
しかし、ここからが本番でしょう。
酒に弱いけど飲むのは大好きな私。
やることは一つ。

宴じゃ~!

気がついたら朝の5時半。朝ごはんは七時半。睡眠時間は1時間ちょっと。
何が起こったのか自分でもわからない。

ただ、本当に楽しくて、面白くて、忘れられない時間が過ぎていきました。
ただひたすらに話をしていたら、朝日が登り始めていたという。

私と一晩中語り明かした方がコチラ。

のんぞ

のんぞは一ヶ月前の米沢で、一日とそこらで「姉さん」と呼んでくれた1人です。
会った時からどことなく波長が合って、話をするたびに笑い転げていたのが印象的でした。
先月はほとんとお互いに設置だったり運営で深くは話せなかったので、これを機会と言わんばかりにじっっっっくりと話しました。
「ヒトカタリに参加した理由の四割くらいがさよ姉に会うためだったんですよ~」とニコニコして言う素直で素敵な人です。酔ってたら泣いてた。

先月私が着ていたトレーナーを覚えていて、同じものを着てくれたなかなかにぶっ飛んだ人でもありまして。

左のんぞ、右が私。
まるで姉妹かのようなシンクロ。

なかなかにサイコーで面白くて、超好きな人なのですが、その日のうちに超大好きになりました。前世で兄弟か姉妹だったのかもしれません。

最初はパイプ椅子に座っていたのに、いつの間にか床に座って、最後はのたうち回っていました。
後日他の人に聞いたら「何話したらあんなことになるんだろう……」と疑問に思われていたそうです。正直、私もなんであんなことになったのかはわからない。

こんなにも人と長い時間話したことはなかったし、こんなにも笑ったのも久しぶりでした。しょうもない話から、少し真面目な話まで、全部話しました。

お互いに、お互いの話を真剣に聞いて、真剣に返して。時にふざけて。大いにふざけて。話が止まらない止まらない。話題が尽きるということが起こらなかった。
腹筋が攣るまで笑いました。今思い出しても、まだまだ笑える。
あんなにも楽しい空間は本当に久しぶり。いや、もしかしたら初めてだったかもしれません。

何か話すたびに吹き出して、ケラケラ笑うのんぞがとても魅力的です。その笑いで私の悩みも辛いものも全部吹き飛ばしてくれたように思う。

でもまだまだ話し足りません。こりゃあ、また米沢帰らなくちゃ。
とにかく、妹と親睦を深め、深め、深めまくって一日目が終わりました。
朝日が登り始めた5時半。どの布団で寝たら良いのかわからなくて判断力が著しく低下した我々は一つの布団を分け合って寝ました。修学旅行?

のんぞは「こんなに広い(女子13人が雑魚寝している)場所で一つの布団で狭く寝てる私たち、一体なんなの」と、しばらく笑っていたそう。確かにのんぞの背中は布団に入ってしばらく痙攣していましたね。

一日の振り返り的なもの、考えたこと

半日のヒトカタリを経験して、いろんなことを考えました。
まず、びっくりした。ずっと空気があったかかったのだ。
相手を拒絶しない空気があるというか、「聞きたい、知りたい、面白そう」みたいな好奇心の匂いがして、普通の場所にいる時に感じる「品定め」の視線がなかったのです。

「品定め」の視線

「この人はどんな人でどんな実績があって、自分にとってどんな利益があるのか」みたいな損得勘定をいろんな場所に行くと感じることが多くて。「で、あなたのやってることはどんな利益が生まれるの?」みたいなすぐには出ない答えを求められるような気がしていて勝手に苦しんでいました。

そういう意図とか、ないのかもしれないけどね。やりたいことをとことんやれば、勝手に意義とかは生まれてくるもんだとも思うんだけどね……。
ただ、考えれば考えるほど「私のやりたいことってなんだっけ?」とわからなくなって、空を掴むような悩みがぽこぽこ増えていたのでした。

ただ、あの場にはそれがなかった。誰も誰かを図ろうとしないし、誰かを陥れようともしなかった。
自然と、自分の中にある「面白いこと、楽しいこと」を体現しているだけでした。

何か大切なものを抱えている、素のままの人たちがそこにいたのでした。
そこには所属大学や就職先、ましてや年齢すらも発表する場はありませんでした。もちろん、世間話の延長で話すことはあっても、その「記号的なもの」の話を主とするのではなく、それよりも奥にある燃えるような情熱を覗き込むような機会が多かったように思います。

自分を守る鎧みたいなものを全部取っ払って、ありのままの、ここまで生きてきた1人の人間ってだけ。それを肌で感じました。

上下も優劣もない、ただ横のつながりだけっていうゆるっとしていて、でも頑丈なそんな絆、のようなものを感じました。
そういう場所ってすごく大切で大事なものだよなぁって思います。

「楽をする」と「愉しむ」の違い

「自由」っていうのは、「やだな~」ってことから逃げ出すのではなく、自分の好きなことを究極に突き詰めていくことなんじゃないかなと。
苦しいことを逃げることは簡単だし、楽をするのも簡単。
ただ、好きなことを突き詰めようとするとき、どんなに苦しくてもしんどくても、その辛さを乗り越えると、それはそれは愉快で面白いものなんですわ。

好きなことっていうのは一つのように見えて、体系的にいろんなものと繋がっている。ので、好きなことが見つからないってことはないと思うのです。
必ずこれをしてたら「心地が良い」ことがあると考えます。
「心地良い」が、「好き」に繋がって、それを突き詰めれば自然とそれがやりがいとか生きがいになるのではないかなと。

私の好きな「文章を書く」というのは、「言葉」に繋がっていて、それが「話す」「対話」へと繋がっていく。
「読む」、「小説」、「エッセイ」にも繋がっていく。
ジャンルから「政治」や「農業」、「経済」、「教育」なんてところまで繋がっていく。

言葉は空よりも広くて、言語は海よりも深い。全く関係のないものなど、ないのだ。「文章」ってだけでこんなにも広い繋がりができるのだから、他のことでも同じように広い繋がりができていると思います。

一つ一つのことを丁寧に積み重ねていけば、おのずと自分のやりたいことに繋がっていく。ような気がして。
知ってはいたし、わかっていたつもりでいたけれど、ようやくあの瞬間に自分の中で溶け込んでいったような感覚がありました。
気が付くには遅すぎるような気もするけれど、手遅れな状態でもないのでギリギリセーフってことで。

まだまだ取り返しはつきますよ。自分がそう思っていれば、いつでも。

いろんな人に言われてはいたものの、今まではあまり自分事のように考えられていなかったです。当たり前のことかもしれないけれど、これに気がついて、自分の体に染みるまでは案外時間がかかるものだ。
ようやく「他人事」から「自分事」になった。ここからはもう最強です。やればいいんだから。

ヒトカタリにはたくさんの人のことを受け止め、「自分事のように」話を聞き、自分の中に溢れた優しさを相手に言葉を通して渡せる力がある。
「他人事」のように一線を引くのではない。かといって完全に「自分事」にするのではない。あくまで、「自分事のように」というのが肝心で。
相手の話を自分の目線にして返事をするのではなく、自分の中にある繋がりを見出して、そこから湧く優しさを、そのまま相手に伝えるのだ。

誰かの経験、誰かの物語が自分の中に入って、自分の中の経験と物語に繋がっているのに気がついて、ものすごくあったかい気持ちになりました。
みんなの経験と物語によって、私も背中を押された気分です。
全然孤独じゃないやんけ! な~んだ!

二日目 キャンピングカーと絵の具

お昼寝くらいの睡眠時間でも、案外体は元気なもので。もりもり朝ごはんを食べて移動です。

なんと、本日は、キャンピングカーの壁に絵の具を使って落書きをしていくというもの。ヒトカタリのモチーフはツバメ。
一人一人思い思いのツバメを描いていきました。
ちなみに、私の描いたのはコレ。

ド正面


勇ましすぎるトリッキーなつばめを描きました。正面切って突き進んでいく姿はまさになりたい私、なのかもしれない。

他にもいろんなツバメが見れて、その人の個性がハッキリ出るなぁと感心しました。センスと画力それは色選びから始まっているのですね。
あとはちょっと落書きして、私と、のんぞと、ことちゃんを描いてみました。案外好評で嬉しかったなぁ。

左上のんぞ、下私、右上ことちゃん
ことちゃんとツーショ。似てるかな〜!

絵心はあまり無い方なのですが、「似てる~!」と喜んでくれたり、「めちゃくちゃ上手じゃん!」と言われたりして、ちょっとニヤニヤしてしまいます。
似顔絵、もうちょっと練習してみようかな。

あとは横断幕に「自分の人生で大切にしていきたいこと」を一言書いていく。
色々考えて、書いたのは「言葉で生きる」
書いた意味とかも話しているとより自分の中で「言葉で生きる」というものがより心の奥に深まっていく気がしました。

みんなの集合写真。寄せ書きのつばめを持って、良い笑顔ですね。

最後に、みんなのツバメにメッセージを書き込んで、シークレットバディの発表をして、全プログラムが終了しました。
もらったツバメには二日間で知り合ったとは思えないほど、びっしり書き込まれていて、その言葉一つ一つが、とても暖かくて、優しくて、励まされました。

シークレットバディとは、初日の受付時に参加者の名前の書かれたくじを引いて、その人をチラチラ目で追ったり、こっそりお菓子を渡したりする長期的なサブクエストみたいなものなのですが、これもまた楽しくて。

恋みたいな感じで、その人を気にして、その人のことを考えながら書いた手紙は少し恥ずかしい。それにちょっと照れくさい。
でも後から聞いたら「すごく嬉しかったよ~!」と言ってくれたのがまた嬉しくて。嬉しさの連鎖、えスンバラシイ。

米沢パワーとヒトカタリパワーなのか、最初からあたたかい場所は整っているような感じがあって、初めから終わりまでとてもとても居心地の良い空間でした。
たくさんのキラキラした笑顔に見送られて、久しぶりの友人にも再会して大満足で帰りの新幹線に乗り込みました。

住んでいる場所に戻ってきて、まばらに浮いた雲を見ながら、歩いて帰っていきました。
炭酸風呂に浸かったみたいに両足がパチパチと痺れるのを感じました。
確かな疲労感がそこにあります。

これが「やり切った」達成感なのでしょうか。「楽しかった」充足感なのでしょうか。全部でしょう。
いろんな楽しい感情がパチパチ弾けて、私の中でキラキラ光っているのです。

よっしゃ、まだまだ進んでやるぞ! と自分に喝を入れて、好きなことに打ち込もうと思った、そんな時間でした。
こんなにも真っ直ぐで何の疑念も不信感もない時間は本当に初めてで、こんなにも人ってあったかいんだなぁと気がついたイベントでした。

最後に

人と話すことは、すごく勇気の必要なことだと思っていました。
相手の機嫌や地雷を考えながら、一つ一つ言葉を丁寧に扱わないといけない。相手を傷つけてはいけない。また、自分が傷ついてもいけない。
その一心で、考えて、考え過ぎて、「結局何言おうとしたんだっけ?」とから回って当たり障りのないことしか言えない時の方が多かった。
「いいこと言わなくちゃ」とか「傷つけないようにしなくちゃ」と思えば思うほど空回って、思ってもないことが口から飛び出してしまう。そんな自分が嫌で、もう話すのもやめちゃおうかしらんと極端なことを考えてしまう。

それは本当に相手に向き合っていることではないということに気づき、「何とかせな……」「でもどうしたらいいんだ……」と考え始めているところでもありました。
ちゃんと向き合おうと思ったり、でも怖いな、と思って辞めたりを繰り返して、同じところを何度も行ったり来たりしていました。

今回のヒトカタリでは、いわゆる「心理戦」みたいなものは全くなくて、本当に自分が感じたことを思ったまま言う場面が私にあって、おそらくみんなも多かったように感じます。

ただ、ストレートにものを言う! ということではなく。そのまま感じたことを言葉にする時は柔らかくて素直な表現になるんですわな。
そこには悪意も、ましてや善意もなくて。
ただ飾らない、そのままの言葉が飛び出してくるんです。

そんな場所で、誰が傷つくのでしょうか。
自分に素直であれば、どんな言葉も、相手にまっすぐ届くもの。
まっすぐ受け取って、まっすぐ返す。自分の中で「お世辞だな」「悪意があるな」と解釈するのではなくて、言葉をそのまま受け取る。
ただそれだけのことなのだろう。
対話って、そういうことなんじゃないでしょうか。

もう少し、自分を開いてみようと思えた二日間でした。
もう少し、いろんな人と心の底から話してみようと思えた二日間でした。
写真を見返したら、写っているみんなの笑顔がとても弾けていて。
私の笑顔も、「あ、結構いい顔して笑ってるじゃん」と思えるくらい楽しそうなもので。
キラキラが体の内側から外側から溢れ出ていましたね。

運営のことちゃん、ももちゃん、つぐちゃん、みうちゃん。
引き寄せてくれた相田さん。
参加した皆さん。

最高の場所を、ありがとうございました。

☆スペシャルサンクス☆
ヒトカタリ公式ホームページ
のんぞのYouTube

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