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身近な人がしんどいあなたへ

身近な人がしんどいと、自分も気づかぬうちにダメージを受けちゃうことってないですか?

人の相談をお仕事で受ける側だけど、プライベートではどうしても体質柄しょっちゅうしんどくなりがちな側の人です。こんにちは。

もうね、長年の体質というものは知識を得ても、理性や気合で何とかしようとしても、すぐにどうこうなるものではないから、日々自分の畑に向き合い地道に耕しております。

そんな耕しをしている最中に、大変になることもやはりしばしばあって。そんな時に、人からただ話を聞いてもらうとか、サポートを受け取ることがあり、それは大いなる助けになっているのです。

苦しくてどうしようもない時、見守りがあるだけでも本当に違うから。

【1:このnoteを書いた理由】

そうして助かる一方、やっぱりしんどい人と近しい人は、苦しんでる姿を見たり、話を聞くことでダメージを受けてしまいやすいってこともわかったのね。

見守る側の人に美しい繊細さがあって、優しい人だと特に。

実際そういう身近な人が心配だよって相談を受けることもあった。まあ誰しも家族とか、大切な人が長いこと苦しそうとか、それは悲しいし苦しくもなるよね・・・

長年お付きあい頂いているありがたい親友に聞いてみたら、友本人が苦しくなりすぎないよう、でも私のことを少しでも支援できるよう、うまく調整してくれてたと知って、ものすごく助かるなあと思ったの。

無理させてしまったら、共倒れや突然のお別れにつながったりして、かなしいもの。

でも、いざ身近な人が苦しんでるときに、咄嗟にそんな調整がどうとかわからないよねと思って、このnoteを書いてみようと思った。

あくまで何もえらそーなこと言えない、一人の人間の体験ベースで書いてるから、これが正解とかお相手の考えてることだって決めつけないで、参考程度にゆるっと助けになれば嬉しい。主に心理的な面でしんどくなってる人の前提で書いているよ。

長く書いたけど、言いたいことをだいたい一言にまとめると、"まずはあなたの健やかさや幸せが大切。"

身近にいるしんどい人を見守ってくれていつもありがとう。あなたの温かい見守りが、きっと近しい誰かの大きな助けになってます

【2:一人で抱えて苦しまないでね】

しんどい人の見守りをする時は、一人で抱え込まないことが大事だと思う。

それは見守る人がプレッシャーで潰れてしまわないためにも大事だし、しんどい人の健やかさや安全のためにも。

どうしても一人の人ができるサポートに限りはあるからね。

必要そうであれば病院、制度とかにつないであげるとか。もし可能であれば複数人で見守るとか。

あとは、あなた自身が「つらいんだよー」って他の人に吐き出して息抜きしても良いと思うの。(しんどい人にインパクトあるとあれだから、遠い関係の人とか専門職の人に)

一人あたりの持つ荷物が少しでも軽くなって、色んな形のサポートがあることは、きっと助けになると思うのね。

【3:リフレッシュしたり楽しむ時間をもってね】

存在や健やかさを気にかけて見守ってくれるのは、とても助かるし嬉しい。でも、充実できることをしたり、息抜きしたり、あなたの健やかさを大事にすることもしてほしいと思う。

大切な人が大変だと、ついついその人が心配になって、やりとりをする中で自分がダメージ受けちゃうこともある。

前文でも話したけど、大切な人が苦しそうとか、それは悲しいし苦しくもなるわけだ。見守る側の人が繊細だと特に。

どうしてもそうなっちゃうことを自覚して、意図して自分を大事にする時間もとってあげて欲しいんだ。

「自分だけ幸せなんて・・・」って思う人もいると思うけど、二人とも大変になったら共倒れになったり、悲しい形で関係性が終わることに繋がっちゃうからね。必要なことだと思うのよ。

ただ、大変な人は苦しすぎて人の事まで配慮する体力がないケースがほとんどだと思うので、サポートする側に特に意識してもらえると良いかもしれない。

まずはあなたが健やかであることが、サポートの一番の土台になると思うよ。

【4:言葉にしてみる】

人に頼る時、私は結構"どこまで頼っていいんだろう"ってなる。

とても苦しい状態だからそりゃなるべくサポートがあると助かるのね。でも重荷になりたいわけじゃないし、それで関係破綻したら正直余計にダメージが入る。

そこで塩梅探りが始まって、不安になったり疲れたりするのよ。

だから、サポートする側から"ここまでこういうことができるよ"という無理ない境界線を明確にしてもらえるととても助かる。

例えば"1日1回はテキスト返せるよ"とか"都合の良い時間なら電話で話聞けるよ"とか、逆に"今は自分にゆとりがないから聞けないんだ"なのか。

そうすると"あ、そこまではOKなのね!"と安心して頼れるし、準備がないなら"大丈夫。他の手段を探すね"ってなれるから。

正直しんどすぎる時は"しんどい"しかいえなくて、自分からあれしてこれしてと言語化したり交渉したりする余裕なくて申し訳ないのだけど。

しんどいと色んなことをどうしても悪い方面に考えちゃうから、言いにくいことでも無言よりは言ってくれた方が助かると私は感じる。相手がどんな状況なのか、どこまでなら許容ラインなのか、知れると安心するのね。

だから、”自分に無理のない支え方はどんな形かなって考えてみたり、伝えてみるのはどうだろう”と提案してみたい。

ただ、しんどい人が本当に大変な状態の時は、言われてることを理解したり、受け止めることが難しいこともある。そんなときは落ち着くまでちょっと待ってみたり、最低限の声かけで見守るのが助けになるかもしれない。

【5:境界線があることは冷たさ?】

しんどい人と一定の距離をおいたり、自分を大事にしたりすることは、場合によっては"冷たい"と捉えられることがあるかもしれない。

でも私は、そういう境界線は断絶のためじゃなく、お互いを活かして共存していくためにあると思う。

しんどい状態から自然な状態に戻るため、人や何かのサポートはもちろん必要だけど、最後に自分を救う選択をすることって本人にしかできないと思うんだ。

“馬を水場に連れていくことはできるけど、水を飲ませることはできない”って言うことわざが、的を射てるとしみじみ感じてる。

大変な馬はもう水場の場所も分からなくなってたり、水も飲めないほどボロボロかもしれない。

だからサポートが役に立つんだけど、最後の最後に水を飲んで生きていく選択をするのは馬で、選んで協力してもらう必要が出てくるのね。馬次第になるの。

この話、しんどい人と支援をする人にもあてはまるんじゃないかなって、私はこれまでの人生で散々痛い思いをしまくった先で、強く感じるようになった。

だから、なかなかそこまで冷静に達観できないと思うけど、人の人生をなんとかしようとか、助けようとして、苦しくなりすぎないでほしいのね。

出きる限りのことをしたら、それを受け取って協力するか選ぶのはお相手だから。人の人生は当人の選択がきっと本当は一番力を持っている。

出来るサポートをしながら、その人が少しでも自然に生きられる力や意思を取り戻せるよう、末長くゆったり見守ってあげるのが大きな力になると思う。

【6:身近な人のサポートが持つ力】

私は、身近で見守ってくれる人のサポートには、カウンセラーや医者、プロの人にもできない力があると思ってる。

本職のカウンセラーとか、しんどい話をめっちゃ聞く系対人支援職は、相手の幸せを願ってるけど、家族とか恋人、親友を相手にする時とは違う感覚を持っていることが多い。ただ、それは冷たさじゃなくて、共倒れにならずに話し手も安心安全にお話ができる、一種のやさしさ・役割と思う。

でも、身近な人の見守ってくれる暖かさ、近さとかケア、同じ場所にいる感じ?はそこにあんまり感じられなくて。あなたの見守りを通してそれを受け取れるだけで、大きな力になるものだと思う。

友人に、話を聞くだけで何もできないようで心苦しいと言われたことがあるけど、そんなことはない。

見守ってくれるだけで、心理的に傍にいると伝えてくれるだけで、しんどい中でも自分を見つけなおす支えになっているよ。

【7:最後に】

そんなこんなで身近な人の支援はすごーく助かるけど、あんま助けようと力みすぎないで、寒いしココアでも飲んで、無理なくハッピーに日常も楽しんでくれな。(おまえがいう)

人は誰しもしんどくなる時はあるよね。体質柄結構ずっとしんどい人もいれば、いつもは元気な人でも苦しくなることはある。

しんどい人も、しんどい人をそばでサポートする人も、安らかでいられる時が、ほんの少しでも増えると素敵だなあと思う。

これはいわゆる”正解”じゃなくて、”しんどい当事者と相談受ける側どっちも経験した一人の人間として、こう感じる”っていう話です。一人一人との関係性の在り方は、是非ゆっくり一緒に探究していってね。


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