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#26 欠落したものの美しさ〜ゲシュタルト的思考〜


悩んでいる人や、完全主義の人の特徴として欠けた部分に目がいきがちになってしまうことがあります。


ゲシュタルト(療法)という考え方があります。

ゲシュタルト以前の精神分析では、「過去への志向」や「心の分析的解釈」など問題とされる部分に焦点を当てる考え方が主流でしたが、ゲシュタルトでは「物事の全体像」を捉えていこうと考えました。

どこに焦点を当てるか?
これが、ゲシュタルトでは重要になります。

特に悩みを抱える多くの人は、自らのダメだと思う部分に焦点を当ててしまいます。

そして、ネガテイブな情報として捉えてしまう傾向があります。


例えば・・・

学歴で周囲に劣っている・・・
仕事で出世できない・・・
自分の目が嫌い・・・
結婚していない・・・

しかし、この情報をネガティブにしてしまっているのは自分自身かもしれません。
そして、その多くは他者との比較によって生まれます。

幸せになることを考えた時に、そもそも幸せには「条件」はありません。
そして、本質的な幸せとは他者との比較によって生まれるものではありません。

自身を幸せにするのは自分自身です。
心理学者フレデリック・パールスは妻と、このゲシュタルト療法を創設しました。
その際、こんな祈りを残しました。

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世にいるのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世にいるのではない。
もしも、縁があって、私たちが出逢えたならそれは素晴らしいこと。
出逢えなくても、それも素晴らしいこと。

これは自己への、そして他者への本質的な尊重だと思います。パールスと奥さんは自分たちの幸せを互いに考えた結果一緒にいることを選んだんでしょうね。


人生において、欲しても手に入らない、足りない欠けたも
はいくらでもあります。

いい学校を出ていたら・・・
仕事で出世したら・・
自分の目が大きかったら・・・
結婚できたら・・・

「条件を満たせば幸せになれる」という思考でいると、それを手に入れたとしても、今度は違う欠落した部分に目がいってしまい、いつまでたっても、足りない部分を探し求めるというループに入ってしまいます。

しかし、欲するばかりではなく、いまの自分の全体像を見返して見ると持っているものもたくさんあるはずです。


パールスは、
「自分の中で欠落している部分を、人にはない個性として統合
すると、全体の集合である人格が輝き出す。」
と言いました。

有名なミロのヴィーナスは数奇な運命から、その両腕を失ってし
まいました。
しかし、多くの人はその欠けた腕を想像し、更なる美しさの可能性
を見出そうと魅了されました。

サモトラケのニケが人を魅了するのも同様の理由でしょう。

スラムダンクはあの終わり方だったから人々を魅了し続けるの
でしょう。

アップルのデザインも欠けているから惹きつけられるのではないで
しょうか。

お腹いっぱいになるより、腹八分目くらいの方がいいのかもしれま
せん。

人は欠けたものに目がいきがちになりますが、それを欠落と捉えるか
可能性として捉えるかによってその在り方は変わります。


欠けているの部分も自身の美しさの一部と気づいた時、人は幸せにな
れるのかもしれません。


Li(y)s 心理カウンセラー 北原正一郎
荒川区東日暮里 東京23区 カウンセリング/メンタルトレーニング
HP
 https://www.liys-mental.com
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