見出し画像

【現代文】宇田川に 不思議な春を 見つけたり

 二日酔いの理由は、飲み過ぎた事である。飲み過ぎた理由は、ずっと昔に痛も焦がれていた春子さんに再会した事である。馬券も車券も恋愛も、何だかんだ言って愉しめるのは結果が判明するまで。若い時分には「当てよう」としていたけれど、亀の甲より年の功なるものを稀に実感するもので、今は精神の余裕というか、「当たらない可能性のほうが高いと知っているけれど、当たったらいいな」くらいの情調だ。結ばれそうで結ばれぬうちを堪能する。恋人の距離感なのに男女関係には至らないこの時間が、実は最も心地良い。惨くもこの歳まで独身で居続けたことの唯一の褒美というか、そういう「ゆとり」を得てからの再会なので、ときめきと興奮の渦の中にも達観が潜んでいた。だから、中学生の頃みたいに彼女に対して「モテよう」とか「自分をイイ男に見せよう」とかいう気張りがさほど無かった。気張りの無い分、愉快に酒を飲み過ぎた、とまあこういう顛末での二日酔い。
 
 私が京都から指を咥えているだけの同窓会で、有難いことに私の話題が出たそうな。もう東京なんて、ましてや渋谷なんて、テレビでしか見ない街になってしまった。毎日のようにテレビで地元を拝む恩恵に与れるのだから贅沢は言えないが、テレビが映す渋谷なんてハチ公とスクランブル交差点くらいのものである。それ故、二度目の東京五輪が緊急事態宣言の最中に開催された年、新型疫病のワクチン不足で世間が騒いでいた折、公園通りに出来た注射待ちの大行列の様子が画面上に報じられただけで、私は郷愁に駆られたものだった。
 故郷というのは「変わらずに私の帰りを待っていてくれる土地」たるイメージがあるものだが、私の故郷にはそれが全く当てはまらない。道路図だけは変わらないから迷子にこそならないものの、看板も人も半年経てば別世界だ。都会の出身者にとっては、故郷なんて、在って無いようなもの。そう心得ては居たのだが、それでも東急百貨店から「本店」が消えたのと、東急ハンズから「東急」の文字が消えたニュースには、それなりの衝撃を受けた。東急は地元の象徴みたいなものだったからである。まさかハンズが群馬の会社になろうとは。まさかこの街で東急よりも西武のほうが長生きしようとは。と思いきや、西武もそごうと一緒になったり、セブンの傘下になったりして、今やアメリカの会社だったな。いつまでもあると思うな親と親会社か。
 この地にもう私の帰る場所は無い。両親も他界した。・・・が、初恋の人は残っていた。区立の普通の中学だが、同窓会の組織がなかなかちゃんとしていて、半年に一度くらいの頻度で「会報」が届き、変わり果てた地元の風景を伝えてくれる。その「会報」欲しさもあってか、私は辛うじて氏名と住所だけでも同窓会に登録している状態を維持し、「幽霊会員」のせめてもの償いとして毎年「寄附」を会費に上乗せして納めていた。その「会員名簿」をわざわざ閲覧し、この通信手段が豊富なご時世に、住所だけを頼りに便りをくれた春子様。もうその不意の厚意が秘められた手紙に触れた途端、私のハートは修学旅行で三十三間堂を巡った三十三年前に戻ってしまった。33年前の春は、洛中に永住することとなり、貴女どころか東京ともご無沙汰になろうとは想像だにしていなかったけれど、温もりの伝わる便箋には、450キロの距離と33年の歳月を一気に埋めてしまう程の威力があった。「京都に住んでいるなんて驚きました」と綴っているけれど、私は彼女から手紙が届いたことに驚いている。返信の手紙には何を書こうかと迷いながら読み進めていたが、末尾にメールアドレスが添えられていたので、電子的手段を用いることとした。短い文章を何時間もかけて下書きする。これ程の労力を注ぐくらいならば、寧ろ手紙のほうがすらすらと筆の乗ったことだろう。
 無論、頗る仲は良かったけれど、それは15才の狭い狭い教室における小さな小さな想い出のこと。干支も四周し、還暦まで12年、すっかり教室の外の広い世界に慣れ切った歳になってから、突如として私と連絡を取りたくなったのは何故だろう。単純に同窓会での話題から遠い青春が懐かしくなっただけの動機だろうか。風の噂には疾うに結婚した筈だったが、手紙から漂ってくる日常生活の匂いが明らかに独り暮らしだった。旦那さんが単身赴任なのか。いや、そうだとしても子供が独立している歳だとは考え難い。それとも子供を授からなかったのか。まさか離婚したのか。或いは結婚したという事自体が浮説に過ぎなかったのか。その辺りの事には一切触れていなかった。もともと裕福そうなご実家だったし、だいいち彼女の人間性と才能をもってすれば、仕事や生活には苦労していないだろう。苦労している人間というのは、その苦労している現在の姿を過去の自分を知る者には隠したがるものである。手紙を送ってくれた時点でその心配は無さそうだ。
 
 何度かメールでやりとりしているうち、「東京に出張することはないの?」と聞かれた。展開がこうなれば、ハチ公前で待ち合わせるのは時間の問題だった。お互いの今の写真は敢えて送らずに会ってみようという趣向にしたが、スマホを取り出すまでもなく、目と目が合った瞬間、お互いに判った。街の顔は激変したというのに、春子さんはそのままだった。そりゃ中学生の若さを保っている訳では無いけれど、ほぼ想像から外れないオトナになっていた。容姿が端麗というわけでなく、他の男子生徒が彼女に想いを寄せているなんて話も全く耳にしなかった彼女。しかも33年の時を隔ててすっかりオバさんの年齢だというのに、ちょっとだけ胸がドキドキしている自分が恥ずかしかった。でも、それも5分足らずのこと。「48年も渋谷に居るのに、ハチ公で待ち合わせなんて初めて。」「モヤイ像にしとけばよかったかなあ。」などという他愛もない会話をしている間に、二人は童心へと返っていた。
 「えっ!玉久って無いの?」「あなた、それ、いつの話をしてるの?」「109(マルキュー)が残っていることはテレビで確認した」「109は無くならないわ」「でも東急本店は無くなったんでしょ」「それは知ってるんだ」「うん、さすがに関西のニュースでもやってた」「京都ってどんなデパートがあるの?」「烏丸に大丸があって、河原町に高島屋がある」「うわ~、そのカラスマとかカワラマチって響きだけで雅な感じね」「売っているものは東京とそんなに変わらないよ」「でも『ひろうす』なんて、東京じゃ御目に掛かれないわ」「あれって『がんもどき』のことだぜ。でも、まあ雰囲気が違うか。総菜売り場っていうか、食文化は確かに違うねえ。」「ねえ、食べ物って言えばさあ、ここに中華屋さんが在ったの、覚えてる?」「ええ!無くなったの?」「フフッ、でも麗郷と兆楽は健在よ」「麗郷かあ!あそこの腸詰、好きだったなあ。誕生日くらいしか行けなかったけど。」――彼女はいちいち私の“浦島太郎”宛らのリアクションを愉しんでいる面持ちだった。
 というわけで、昼食会場は台湾料理の王道「麗郷」と決した。「お酒、結構飲むんだね」「やだ、私、もう中学生じゃないのよ」――此処で紹興酒のボトルを空けてしまったがために、二人の童心に再びオトナの成分が混入する。結婚しているのかは訊けなかったし、向こうからも訊かれなかった。私とて一応、性別は男性である。かつ、かつてはこのオンナに夢中だったオトコである。もし彼女に旦那や子供が居たならば、こんなにもしょうもない男とこんなにも嬉々として土曜の昼下がりを過ごすことが出来るだろうか。
 店を出て、道玄坂小路を下がり、文化村通り――私にとっては旧名のまま「東急本店通り」だが――を横切り、兆楽経由でハンズへ向かう。その道すがら、遠回しに確認するつもりでは無かったのだけれど、自然な流れで「家族は元気?」といった話題になった。すると「今度、お母さんに会わない?すんごい面白い人よ。あなたとは絶対に合うわ。」と急に彼女が言い始めた。是、どういう意図だろうか。家族の近況を訊かれて、子供や夫では無く、真っ先に親の話をしたことに驚いた。まあ、そこは考え過ぎだとしてもだ。その親に会わせようとしている。仲良しのピークだった中学の時分でさえ、互いの家へ遊びに行くことは無かった関係だ。「はっ、ハンズの近く、オルガン坂のとっ、途中にさあ、レコード屋さん在ったよね」――動揺するばかりであった私の傍ら、春子さんは何食わぬ顔で歩いていた。私が街の景色を目に焼き付けておきたいと望んだばかりに、彼女にとっては未だに地元の宇田川町を特に目的も持たないまま散策する。右手にパルコが見えたなら、右折して公園通りへ。山手教会と西武百貨店を経由してハチ公方向に戻る。工事中の渋谷駅――床屋は今も営業中だったが、銀座線のホームが様変わりしていたし、ヒカリエなる建物を実際に眼前に据えると圧倒された。「プラネタリウムが無くなったのは知っているのね」「それはさすがに俺が京都に引っ越す前の出来事だよ」――彼女は喋り続けているのに、或る大切な事については黙したままだ。私がプラネタリウムの下にある映画館で『羊たちの沈黙』を観たのは中学三年生。48歳の今、春子さんの沈黙に、あのサイコホラー以上の戦慄が走る。
 諸々思いを巡らせているうちに、私は彼女にまだ惚れている事を自覚した。と同時に、馬券も車券も恋愛も、早く結果を知りたいと焦らずに、ましてや当てようなどと意気込まずに、この予想や想像を働かせている時間をゆっくりと味わうべきだという事も承知した。彼女は配偶者の有無を隠しているのか、それとも言わないだけなのか、訊く必要も無いけれど、気になる。不倫はしたくない主義だからである。それとも私から訊くのを待っているということか。訊かない私が男として鈍感だということか。いやいや、そんな意地悪な。それとも彼女には他人に白状できないような過去があるというのか。まっ、まさか――私は中学三年生まで一度巻き戻していた時計の針を、中学を卒業して約1年後の春の回想に進めていた。
 
 高校時代の現代文の鬼教師による読書感想文の宿題。その14作目、1年生最後となる課題図書の粗筋は、私の記述によると次のようなものだった。
 「技芸学校の校長による噂から始まった、弁護士・柿内孝太郎の夫人・園子と、羅紗問屋の娘・徳光光子との同性愛であるが、それは次第に深いものとなっていった。しかし、光子の婚約者という綿貫栄次郎の存在によって、特異な関係はいっそう複雑化。彼は睾丸炎の身でありながら、それをひた隠し、女の愛を求める陰険な策略家で、光子との結婚を実現するために数々の策を練る。もう彼とは縁を切りたい光子、そして綿貫の手によって夫に同性愛が知れてしまった園子、二人はそろって狂言自殺を図るが、そこで園子の知らぬ間に孝太郎と光子が恋に落ちる。そのため、孝太郎が綿貫の件を片付けると、今度は柿内夫妻の愛を光子が弄ぶ関係となる。しかし、新聞で一切のことが明るみに出てしまい、ついに三人そろって自殺を図るものの、園子だけは死にきれなかったのであった。」
 ・・・というわけで、死にきれなかった春子さんが「こない泣いたりしまして堪忍して下さい」とばかりに、この渋谷のド真ん中で、何もかもを私に告げようとしているのだろうか。そんな訳は無いだろうけど、高校1年生当時の私は、春子さん、否、園子さんの過去の白状をどのように咀嚼したのだろうか。粗筋に引き続き、私の感想文は次のようなものだった。
 「私は、人間とはこんなにも信用できないものだろうかと思いました。綿貫のような人間もまれですが、生真面目な孝太郎までもが光子に愛を捧げてしまうという展開には驚きました。この小説は人間の弱く暗くいやらしい面をストレートに表していると思うのです。人を信じる者はバカをみる――少なくとも私はそう思いたくありません。いかなる考え方の持ち主であっても、どんなに疑わしい人物であっても、その人のことをはじめから信用せずに全面否定して嫌うことはあまり好ましくないと思います。また、いくら形勢によって態度をがらりと変える人間であっても、心の中では自分で自分を欺くような生き方を腹立たしく感じているはずです。
 次に、この小説の材料となっている同性愛についてですが、私はもし谷崎が男性の同性愛を材料に選んだとしたら、本作品をさほど美しくは描けなかったものだろうと推察します。また、同性愛に対し、変人にしか分からない実に非常識なものだという先入観をもって本作品を読み進めただろうと推察します。それは谷崎も私も同性愛者ではない男性だからなのでしょうが、よく考えてみると「常識」と「非常識」の区分は世間が決めつけているものであって、自分自身が納得いくのなら、何でも好きなことをすればいいし、自由に愛し合ってもかまわないのです。相手の性別がどうであろうと、恋愛が成就すれば本人は幸せなのです。ただし、不倫は肯定できません。何か行動を起こすときには、自分の周囲の人間にどのような影響を及ぼすのかをまず見極めるべきです。本人にその見極めを求めるくらいは、世間が決めつけてもよい常識の範囲だと思います。作品中の人物がそれぞれどんな気持ちでいたのか想像もつきませんが、もう少し冷静だったら、自殺を図りたくなるほどの複雑な関係は避けることができたのではないかと思いました。」
 私が高校生だった平成4年当時は「LGBTQ」と謂うようなコトバも概念も皆無だったし、同性愛に対する世間の理解度もまだまだ低かったように振り返る。そんな時代背景を踏まえると、なかなか寛容的な視点で所感を述べているし、もし本作が「L(レズビアン)」ではなく「G(ゲイ)」を描いたものだとしたら、といった仮定での推察も16歳の青二才にしては鋭い。読解力と文章力は兎も角、思考力のほうは1年間で14作もの読書感想文を宿題に強いられた経験を糧として、それ相応に鍛えられたものと判断できる。
 内容に偽りがないことも自画自賛したい。「相手の性別がどうであろうと、恋愛が成就すれば本人は幸せ」と吐露している辺りに、このままモテない男として人生が終わるかもしれないという予感をたっぷりと含んだ切実さが伝わってくる。中学生の頃の私は「クラス45名のうち、男子が25名、女子が20名。この小宇宙の中で全員がカップルを成立させたとしても、5名は『飼い主の見つからない野良犬』となる。私がこの5名に入る可能性はあるだろうなあ。」という想像をしては、自己嫌悪に陥っていた。その後、高校に入ると、1クラス45名のうち、男子が20名、女子が25名という好条件に転じるが、恋人のできる気配は微塵も無かった。この好条件でもモテないのだ。ましてや卒業して社会に出れば、未婚女性の全員が男性と結婚したとしても、なお男が余るという根本的な人口構造上の問題を突きつけられる。ましてや少ない女子の中にさらに同性愛者が居るとなれば、私が野良犬となる確率はますます上昇する一方だ。きっと、そんな本音が感想文に滲み出たのだろう。その上で「不倫は肯定できません」と言い切っているところに、昔から首尾一貫している価値観を確認することができ、我ながら痛快な読後感を抱いた。不倫を許すくらいなら、後々になって嫉妬や扶養や相続といったことで泥仕合とならぬよう、予め一夫多妻および一妻多夫の成立要件を法制度化したほうがまだマシではないか。それが16歳の私の見解だったのだ。三十代半ば、引越荷物の整理を機にタンスの奥から出てきた読書感想文――「いいか、諸君。他人の書いた本は捨てたとしても、必要になったら再び買える。けどな、自分で書いたその宿題くらいは取って置けよ。何かの節目に人生を振り返る教科書になるから。」――先生の仰せは的中した。
 
 さすがにまだ高校生だった私は、谷崎潤一郎の『卍(まんじ)』が描く恋愛観に対して些かの拒否反応を示す程度には潔癖だったみたいだ。ところが、あれから随分とオトナになった証なのだろうか、48歳の私にとっては春子さんの過去なんてどうでもいい。今の彼女をありのまま受け入れるのみ。
 別れ際、「ぜひ次も」と誘われたのだから、断る理由も無い。こうして私は季節の変わり目毎のペースで東京へ行くようになっていった。そして、いつの間にか、東京へ「帰る」ではなく「行く」と無意識に表現している辺りに、私がすっかり京都の住人となった片鱗を感じ、新幹線でたったの2時間余りという距離を疎ましく思うのだった。とは申せ、これがひと昔も若かったら、四半期に一度のデートをせめて2ヶ月周期に縮めたい、都合が付けば毎月一度は…と欲を抑えられなかったのだろうけど、これも年の功の余裕というやつなのか、時の経過を待てるようになっていた。頻繁には会わないから、簡単には会えないから、この恋に値打ちが生まれる。ん?もとい、これは恋でも何でも無かったし、恋に進展する気配すら無かった。やはり「久しぶりに珍しいクラスメイトに興味が湧いた」というだけの動機だったのだろうか、当初は彼女のほうから「会おう」「会いたい」と積極的な構えだった割に、蓋を開けてみれば只の友達。私のほうがやや片想いの沈殿物を濁らせているのみで、二人は一向に溶け合う化学反応に及ばない。しかし、これも年の功の余裕というやつなのか、彼女が意外にも“気分屋”として私を翻弄している現状にやがて腹も立たなくなったし、ましてや彼女に憤る権利など私には無い。この現実逃避の舞台で踊らされ躍る運命を愉しんでやろうじゃないか。
 街を歩いて、買い物をして、観劇か何かに感激し、あとは只管に酒を飲む――やっている事は終日デートそのものだが、1秒たりとて手も握らない。とうとう母上様にもご挨拶をして、三人で夕食に出掛けたりもした。店主の穏やかな眼差しにも、夫が優しい妻と朗らかな義母に囲まれて愉快に酒を飲んでいる光景としか捉えられなかったようだが、その後は最寄りの駅で解散する。でも、暫くはこのままでいい。私は独り身であることを白状したが、彼女は沈黙を破らない。でも、それでいい。あくまで友達のまま。野暮な探りを入れて関係を崩したくない。だって、33年前は春子さんとデートするなんて夢のまた夢だったのだから、夢なら醒めないのが一番ではないか。不倫が嫌いという、ここだけはやたらと融通の利かない性格上、やはり彼女に特別なパートナーが存在しない事実だけは確かめたかったけれど、もうそこは「気にならない」という演技に徹した。これからも定期的に妙な逢瀬を重ねる以上、本当は知りたいけど、知らなくてもいい事だと割り切った。そもそも人間関係なんて演技によって成り立つところが大きいではないか・・・つづく

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?