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【英語】遠き夏 我が櫻花 咲きにけり

 「英語に比べたら楽勝だと思いますけどねえ、僕の古文の授業なんて。Now that you are 17 years old, you can study it by yourself.(君達はもう17歳なんだから、一人で勉強できますよ。)However, I will help you study it.(けれど、先生がその勉強の手助けをしましょう。)そうですねえ、英語よりも難しいところかもしれない古文の特徴を1つ、今日は話してみましょうかね。英語の授業がちょっとだけ楽になるかもしれないし。」――斯く仰せの業平先生だが、ちゃっかり英語にも精通されている。
 「よく謂われるのが語彙の多過ぎる点ですかね。例えば、呼び方。『あなた』『そち』『お前』『君』『貴様』・・・これ、英語では全部『YOU』で済んじゃいますもんね。でも、呼び方以外では英語のほうがコトバ使いの幅広い場合もありますし、今日はそういう話ではありません。
 そもそも言語とは何かってことを考えると、英語を無理に日本語で理解しようとはしなくなるので、楽になる筈です。例えば、虹って七色なんでしょうか?日本語では七色ですが、イギリスやアメリカでは六色ですし、フランスや中国では五色なんですよ。私達はあらゆる物から言語を作り出すのではありません。逆です。すでに存在している言語から外れることなく物を考えるのです。則ち言語によって物の見方は変わります。例えば、『そこに犬がいる』という短い文を目にした時、日本語なら『犬』であればそれでOKです。英語の場合はその犬が何匹なのかを気にします。複数形ってやつですね。『数』は日本語では任意範疇ですが、英語では義務範疇です。他にも『男なのか、女なのか』に拘る言語もあれば、『食べられるのか』に拘る言語もあります。日本語では『私は』『私の』『私を』を助詞で区別しますが、英語では『I』『my』『me』というように『格』が決められています。英語では当たり前となっている『時制』ですが、日本語では『走る』という動詞に対して『走っている』『走り始める』といった具合に後ろに何かを付ける『相』によって動作の状況を表します。『明日は雨が降るだろう』の『だろう』は、日本語では必ずしも未来を示すものではなく、自分にとってそうありたいという気持ちが含まれていたりもします。――これら文法の違い、これを文化の違いと受け止めれば、君達は日本語の英訳、英語の和訳に固執しようとはせず、『英語は英語、日本語は日本語』という切り替えが出来るようになるでしょう。言語の違いは文化の違いなのです。外国人とりわけ西洋の人が日本語を学ぶとき、皆さん口を揃えて『敬語』が難しいと言います。目上の人を敬う、自分が謙るという範疇そのものが英語には存在しないわけですから、そりゃ難しいです。極端に言えば、英訳不可能な日本語ってことです。」
 ――流石だ。千春さんは恰も始めから答えを分かっている様子でこの授業を聴いている。今日も麗しいなあ。If I had had a little courage, I would have made love to her.(私に少しだけ勇気があったなら、彼女と愛し合っていたことだろうに。)どうして「たられば」を語るのに「have」を用いるのか、私が「仮定法過去完了」をなかなか習得できなかったのも、2つの言語を別物と捉えずに“翻訳しよう”としていたからかもしれない。
 
 「さて、この授業は『古文』でしたね。ここからが本題です。『草むらに虫の声す。』ハイ、これを疑問文にしてみましょう。因みに今回は文の終わりを分かりやすくするため、『声す』の後に『。』を付けていますが、句読法の成立は明治以降ですから、本来マルは付けません。
 英語の授業では、まあ教科書に出てくる正解は1つです。『Insects are singing on the grass.』を『Are insects singing on the grass?』にすればOKですね。be動詞を頭に入れ替えて、終止符を疑問符に入れ替えれば完成です。
 古文の場合、答えは最低でも3つあります。あ~、今のは大サービスのヒントでしたね。そう、面倒な入れ替えは無く、「や」を挿入するだけだから、文の作成は英語よりも簡単なのですが、挿入する位置によって現代語訳やニュアンスが変わってしまう点で英語より難解だとも云えるのです。『草むらに虫の声すや。』『草むらに虫の声やする。』『草むらにや虫の声する。』――つまり、ただ『草むらで虫が鳴いていますか?』って訊ねているだけではない特別な表現の価値が潜んでいるのです。
 強調の表現だって同じですよ。感嘆符を付ければOKというわけにいきません。『草むらに虫の声なむする』(草むらで虫の声がするなあ)と『草むらになむ虫の声する』(草むらになんだなあ、虫の声がするのは)は使い分けます。むろん英語の表現技法も豊富なのですが、言い回しや比喩によるものが多く、たった一二文字の挿入位置によって場景を変えるような文法は存在しません。因みに『なむ』は『ぞ』でもOKですね。『なむ』は会話文や手紙文で多用するのに対し、『ぞ』は書き言葉であり小説に使います。」――あっという間に黒板の右半分が草むらと虫で埋め尽くされる。
 「係り結びのほうが、より違いが明確になりますよ。」と業平は続け、黒板の左半分に歌を書き始める。「2つの歌に傍線(作者注:noteでは太字)を引きますよ。①『道の辺に 清水流るる 柳かげ しばしとてなむ 立ちどまりつる』②『道の辺に 清水流るる 柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ』。上の句は両方とも『道端に清水の流れている柳の木陰に』という訳となりますが、下の句に違いが表れます。①では『ほんの少しの時間なんだよ、立ち止まっていたのは』という訳となりますが、②では『ほんの少しの時間だけ立ち止まるつもりだったんだけどなあ』という訳となり、『長いこと立ち止まってしまったなあ』という意味合いを含むのです。でも、その意味合いは『含む』だけで、書かないし、言わない。ねっ、ちょっと英語圏の文化には無さそうな『和風』を感じるでしょ。」――正直、高校当時の私は和風でも洋風でも何でも良かった。が、数学や物理や化学で無かったら、とりあえず授業に取り残される心配は無かったし、それだけで安心していた。
 
 「あの、ホレ、和風スパゲティってあるやんか。ああ、アンタ若いもんな、そら、知っとるわな。アレ、まあまあ旨いなあ。」――古文の授業から30年、もはや当時の私が書き残した古文のノート自体が「古文」の領域に達していた頃合い、私は半年ぶりに冬さんのオンボロアパートを訪ねていた。
 春奈との別れ以降、半月に一度くらいミナミのホテヘルでお気に入りのお嬢とシャワーを浴びる習慣は相変わらず続いていたものの、毎回そのついでにカップ酒をぶら提げてこの爺さんに会いに行くのは控え、半年に一度くらいのペースにしていた。廊下から声を掛けても返事が無く、鍵の掛かっていない扉をそっと開けると大鼾をかいていることが多かったものだから、こちらの都合で頻繁に邪魔するのも悪い気がしたのだ。しかし、今日は敬老の日。生存確認をする約束になっていた。
 通天閣界隈は最高気温33度を超える残暑。せっかくお嬢とサッパリしたばかりの躰に再び汗が纏わり付く。彼女とは何度か食事にも出かけていたが、街を一緒に歩いている折も源氏名のまま“サクラ”と呼んでいた。三宮でしゃぶしゃぶを堪能したあの福原のお嬢と偶然にも同じ花の名だ。大学生だというから、長くても卒業式の桜が散るまでの付き合いだろう。ホテヘルのバイト収入は彼女の狙い以上で、はじめのうちは私学の高い学費に充てるくらいのつもりだったらしいが、今では就職への意欲を失いかけるほどの稼ぎだという。でも、ホストに貢ぐような阿呆には興じること無く、母親と二人でアイドルの追っかけをしているらしい。サクラの母だったら私よりも若い可能性が高いわけだが、そんな二十歳そこそこの娘と遊戯に耽った30分後、お次は八十代後半の男と酒を酌み交わすのだ。自分の父親が仮に生きていたとしても、その私の父の現年齢よりも年長である。サクラと冬さん――この二人の年齢差を以てしても相手によって特段話題を変える腐心もせずに自然体で居られたのは、平々凡々たる私にとって数少ない特技らしきものの1つだった。
 「いやな、カルビナーラとかゴロネーゼとか、ああいうのも旨いんやけどな、和風は和風でええなあ。アレ考えた奴、アッタマええなあ。」「爺さん、何処でスパゲティ食べんの?」「近くにファミレスみたいんがオープンしてん。客層はちっともファミリーちゃうで。平日のランチは疲れた営業マンが数人おって、あとは全員年寄りや。はじめのうちは喫茶店感覚でナポリタンばっかり頼んでてん。けどな、孫みたいな歳のバイトの子ォがな、いや、ワシはずっと独り身やけど仮に孫がおったら孫みたいな歳の子ォがな、『只今こちらがオススメです』みたいなこと言うて、一生懸命接客したはるさかい、『ほな、それ』てェ注文したら、麺の上に菜の花としらすが乗っかっててん。人生で初めて食うたで、あんなん。ベースの味は醤油やねんけどバターと胡椒も仄かに香っていた感じやったな。でも、ソースべったりの洋風と違うて、何やハッキリとは分からへんくらいの味付けが、如何にも和風でええやんか。」――ここまで詳らかに味を解説できるのに、ゴロ寝しながら「ゴロネーゼ」とは傑作だ。「高菜と明太子のやつも良かったで。同じ辛いんでも、ポポロンチーノとはちょっとちゃうな。」と喋り続けるが、こっちはいちいち訂正せずに聴き入るばかりなり。
 
 「ワシも若い頃には上京して赤坂の居酒屋で長う勤めたけど、それはワシにとって二回目の東京やってん。実はワシの親父もな、目黒で床屋しててん。何や夢でもあったんやろか。オカンとも結婚してたし、大阪かて十分都会やったのに、何でわざわざ苦労しに東京へ出たんやろな。そこで敗戦、焼け野原や。山手線に占領軍専用の車両が走っとったんやで。そんな時代にな、基地へ入って出張床屋の商売を許されとってん。ほんでな、そこで出された軍の食べ物を黙って弁当箱に隠して持ち帰ってな、当時ガキだったワシに食べさせてくれたんや。そら、初めて食べるもんの数々に仰天したで、ホンマに。コンビーフやろ、ガムやろ、乾燥バナナやろ。外人見るのも初めてやったな。黒人にはビックリしたわ。ガタイの大きさもやし、日本人のパンパンを何人も侍らせている妖しい雰囲気もやし。
 そんなこんなで小銭を貯めて、親戚の居る恵美須町に戻ってきたんやろな。ワシも幼かったさかい、細かい経緯は覚えてへん。せやけど、毎日が食べることに精一杯やったし、おまけにワシみたいなガキにとっちゃ毎日が新鮮やったから、くだらない将来のことなんて考えるヒマはあらへん。今なあ、真っ昼間のファミレスなんて、ヒマな連中が年金やら病気の話ばっかりしとるで。平和ボケやな。まあ、ホンマにボケてはる人も居はるけど。
 床屋やったから、当たり前やけど、髪の毛に詳しかったで。人間の髪の毛ってなあ、生命力が強いさかい、熱以外のものに対してやったら、かなりの耐久性に優れとるんやて。ナチスドイツが女の捕虜を捕まえたとき、真っ先に髪を切って、縄の材料に使ったっちゅう話が残っとるくらいや。他にもあるで。髪の毛に栄養があるゆう話はどうやら事実らしいねんけど、それをな、親父が素人考えで瘦せた畑に撒いてみたらしいんやわ。ほったら、見事に大根が育った。ここまでは良かったんやけど、輪切りにしてみたら、毛が大根の中にまで入り込んでいるもんやさかい、腰抜かしたらしいで。まるで生き物みたいに動きよる。なっ、気味悪いやろ。いや、実はコレ逆で、髪の毛まで吸い込んでまう大根の生命力の強さかもしれへんなあ。
 そんな親父も、賭け事に夢中で、店の近くで小火が起きた時も、売上の現金より当落発表前の宝くじを握り締めて逃げるような、とことんギャンブラーの質でな。結局、酒ばっか喰らって死んでもうた。そっからはオカンが苦労してワシを育ててくれた。」
 ――「年齢には勝てない」という表現は大抵「若さ」への未練と讃辞をもって用いられるが、逆もまた然りだと思う。凄い中高年は凄い若者の倍は存在感がある故、その凄まじい存在感を穴埋めするに足りる何かを備えていなければ、如何に凄い若者とて中高年と対等な器には成れない。でも年を取るには時間だけしか手段が無い。よって、冬さんみたいな年寄りに遭遇すると、私は「老い」への憧れと讃辞をもって「年齢には勝てない」とつくづく感じ入るのであった。否、「つくづく」を漢字にすれば「熟」と書くが故、つくづく老いを称揚するのであれば、「老いる」と云うより「熟す(じゅくす)」と表すべきだろうか。否、ややこしや。「熟す」と書けば「こなす」とも読めてしまう。
 
 私は、仮に父が生きていたとしても父親以上の歳に「熟」した爺さんに会う30分前には、仮に私に娘が居たとしても娘以下の歳とも謂えるサクラに「熟」されていた。
 「色々な男の人を観察しているとね、アナタって、かなりイイ男だと思うわ。お客さんやて割り切らへんで、こうしてホテルの外でデートまでしてるのって、アナタだけよ。東京で会社勤めしてるお姉ちゃんにだけはこのバイトの事を隠さずに話してるんやけど、『アンタ、オトコ見る目が急に厳しなってへん?』って、よう言われる。心の何処かでアナタが基準にあって、気になる人が居てても、その人をアナタと比べているのかもね。お姉ちゃんったら『たまに食事に行くそのお客さんから色んな事を学びなさい』って説教するの。」
 ――世間には「風俗嬢のお世辞ほど当てにならないものは無い」と揶揄する男も沢山いるものだけど、私は単純な生き物だ。こんな風に持て囃されたら嬉しくて、一気にサクラを好きになってしまう。世間には「学生の分際で大人の男を評価するなんて生意気だ」と誹議する男も沢山いるものだけど、私の場合、30近くも歳の離れた若い女性に弄ばれているムードすら心地よく受け止めてしまう。きっと淡い初恋にしても、純粋で切ない片想いにしても、汗ばむ季節に艶っぽい大学生がアイスコーヒーのストローに唇を付ける光景を目の当たりにした時の中年男のいやらしい連想にしても、あくまで生理的な現象として胸の高鳴りが抑制できなくなるような情調においては等しいのではないか。今サクラと会話しているときのドキドキって、実は中学の遠足で春子さんに接した当時のドキドキと変わらないのかもしれない。私は、相手の職業や年齢によって、親しくするか、距離を置くか、を判断したことは一切無いし、判断できるほど偉そうな位置にも立てない。どんな女性であろうと、その人から「イイ男」と認められたら、悦びに満ち溢れる。男女というのは、互いに値踏みをするわけだが、どうやらサクラという人には私と共通した価値観があるようで、仲良くデート染みた事を楽しんでいる相手が風俗狂いの独身中年であることについては全く意に介していない。
 「ねえ、だから、お姉ちゃんの言う通り、アナタから色んな事を学ぼうと思うの。何か私に教えてくれへん?」「とっ、唐突だなあ。大学生って、何を専攻しているの?」「理工学部。物理工学。」「その分野じゃ、オレには1つもネタが無いよ。」「ダイジョブよ、それは大学で勉強するんやし。理工系以外のこと教えてよ。ってか、学校で習うような事とはちゃうのがええねん。」――彼女よりも先に冬さんに会っておけば良かった。次回はサクラと和風パスタを食べながら、髪の毛と大根の話でもするか。
 
 「せやせや、黒人兵の話をしとったんやったな。親父の弁当箱から飛び出す食べ物もそうやけど、もうアメリカってやつに圧倒されてもうたんやわ。親父も『これからはアメリカを手本にしたらええ。日本とは比べもんにならん程ごっつい国や。』てェ、此間まで鬼畜言うてたくせに手放しで誉めちぎっとった。まあ、親父が出入りしていた基地はイギリス連邦軍が進駐してたらしいねんけどな、米国でも英国でもエエわ。とにかくガキん頃から西洋のもんが何でも日本より上やっちゅう先入観で育ってもうたさかい、ロック聴いて、ウイスキー飲んで、ステーキ食うて、羽振りのええ時はスーツも時計も舶来品で洒落込んで、まあ外車には手ェ届かんかったけど、そういう生活が夢の竜宮城みたいなもんやってん。せやからな、この歳んなって『和風スパゲティ』に出会うたのなんか、浦島太郎が玉手箱開けるようなもんやで。まあ、蓋を開けたところで、そもそも爺さんなんやけどな。
 ん?何やヘンな感じせえへんか?スパゲティってイタリアのもんちゃうか?枢軸国側となると、同じ西洋でも、ちいとばかりややこしいなあ。」
 ――いつも通りカップ酒を2本ずつ空けたので、私は長居せず帰る。だいぶ旧式のクーラーでモーター音が喧しかったが、物置のような六畳板張りが隅々まで冷えていたのは有難かった。
 それにしてもアメリカねえ。あれは会社の慰安旅行だった。伊香保温泉の旅館で二次会までドンチャン騒ぎをした後、先輩と外へとフラフラ。石段街からちいとばかり外れた裏通りで、私達と同じくらいフラフラしている酔っ払いから声を掛けられる。「ダイちゃんのミセ、オイデヨ」と促されるまま、その腰の辺りまでブロンドを靡かせた三十路女のスナックへ入る。古ぼけたアパートの二階の一室で、住居の居間みたいな造りだった。「タバコ、キレはから、コンヒニイッテタ」と半ば呂律が回らない彼女の名前はダイアナ。それで「ダイちゃん」。日本人は寡黙だというのも先入観だが、アメリカ人が饒舌というのも先入観だと心得てはいる。が、ダイちゃんは先入観を裏切ること無く、こちらが「少し落ち着いて呼吸しよう」と水を入れたくなる程うるさかった。そして吐き気を催す程キツい香水のニオイを放っていた。どうしても何か気分を変えたかった私は、殆ど洋楽に興味が無いのだけれど、英語の歌をリクエストする。「ワタシ、カーペンターズくらいひかウタえないヨ」とマイクをそっと握った後に響いた彼女のsinging voice――是、生涯忘れられぬ。・・・ド下手だったのである。客を笑わせようと思って敢えて音程を外しているとしたら天才だが、ダイちゃんは至って本気。それはソファー席ですっかりダウンし「ゴロネーゼ」していた泥酔客が目を覚ますレベルだった。
 私は彼女の歌声に遠慮なく泣き笑いする中、反省していた。アメリカ人だからといって英語の歌が上手いとは限らない。日本人にも音痴はいる。アメリカ人だからといって英語が達者とは限らない。日本人にも口下手はいる。I have to throw away all preconceptions here and now.(今ここで持っている先入観を全て捨てよ)と私は自らに言い聞かせたのであった。「There's no karaoke in America!(アメリカにはカラオケが無いんだヨ!)」と彼女は叫んでいた。あれが20年前くらいの出来事だったろうか。If the hair that got into the radish had been blonde, it would have been difficult to notice its existence.(大根に入り込んだ髪がブロンドだったなら、輪切りにしたとて気付き難かったことだろうなあ。)そう思わない?大根のダイちゃん。
 
 恵美須町の駅から淡路で阪急に乗り換えるまで約20分の間、地下鉄堺筋線に揺られつつ、ほろ酔い加減の私はこの祝日一日を振り返る。前半は勝手ながらもう桑年も間近に迫った自分に対する早めの“敬老”の日、後半はもう米寿も間近に迫った冬さんに対する文字通りの敬老の日であった。私のシャツにはサクラの甘い残り香と冬さんの煙草臭さの双方が入り混じっていた。サクラと過ごすホテルの部屋が現在の私にとっては竜宮城だ。浦島太郎かあ・・・あれも亀を助けた善良な男が最終的にハッピーエンドとはならない、っていう妙なストーリーだよなあ・・・つづく

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