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「私立の高校」や中学校の学校関係者の皆様へ

遅かれ早かれ、近い将来「あの学校は、お金を払っても行く価値あり」という「イメージだけでなく本当の評判」を勝ち得た学校だけが、残っていく世の中になると思われますので、

そんな、世の中に完全移行する前に、私学の学校の皆様へ、本質的には「今後学ぶ若い方々の為になり」その結果「学校が生き残る」という提案です。

提案の内容的には、学校の方針の「一流大学へ合格・進学させる事」を名実ともに実行されている進学校「以外」の学校関係者の方々への「2つの提案」でございます。

一つ目の提案は、

最初に短く結論を書いておきます。

学校の「主目的(売り)」を「(準)看護師・保育士・調理師免許・理容師・美容師」などの、必ず生きてゆける資格(就職できる資格)のどれかを「全員必ず取得して卒業出来るのが売りの学校」に移行してゆく。

という「提案」です。

その資格の中でも、特にコロナや、その他の不況の影響を受けない「(準)看護士」の資格を特にお勧めいたします。(※公務員試験の対策等の充実なども同じ方向性かと)

2つ目の提案は、

退学・復学・卒業後でも「出戻りが自由な学校」

の提案です

では、この2つの提案に興味がある方は、先の「理由」を読んでいただければと思います。

提案の理由

コロナ時代もしかり、人はどんな状況でも生きてゆかなくてはなりません。

座学で学べる事の大半が、既にインターネットで無料で個人宅で学習出来るようになってしまった今、そして、今後はその「学べる知れるクオリティー」が更に上がって行くであろう今後は、一昔前からの常識の

「音大なんか行っても、お金と時間の浪費だけで何にもならないぞ」

と同じくらい、

「一流でない大学に行っても、お金と時間の浪費だけで何にもならないぞ」

というのが、一般的な考え方になる日もそう遠くはないでしょうし、その延長線上に待っているのは、

「あの高校に行っても、大学受験のノウハウの勉強しか教えてくれないから、行っても無駄だぞ」

という考え方で、その「考え」が、今後は遅かれ早かれ主流になってくる世の中になると予想します。

ですから、公立よりもお金も高く別に「超進学校」でない私学は、

早い段階で「一流でない大学に頑張って合格させてくれるカリキュラムの学校」ではなく、

あそこに行けば確実に「最低でも自立して生きてゆける確実なスキルを身につけて卒業させてくれる学校」

になる方がよいと思うのです。

要は、わざわざお金と時間をかけて同じ「高校の卒業資格」をもらえるなら、という中で出来る早い時期に「明確な選択の価値のある学校」になっておいておく方が良いと思うのです。

ポイントは「形だけでない就職できる即戦力な資格取得」を、普通科でも

選択で取得はなく「学校の方針上の必修科目」にすることです。

なぜなら、高校生は「先の人生」の結末や途中経過をまだ本気で考えて想像できるほど人間が成長していませんので、そこはあえて「必修科目」という事にして、卒業後に「あの学校に行っておいて本当に良かった、ありがたかった」と思ってもらうためです。

これは、後に大金を払ってメディアを使う広告以上の密度の濃い「宣伝」になるでしょう。

もちろん、移行への「プロセス」はさまざまだと思います。

次に、

なぜ「(準)看護師・保育士・調理士」の免許を選んだかの理由

僕は8年間エジプトのカイロにある世界一周中の日本人が集まるゲストハウスに住んでいましたが、その8年間の間で世界一周をされている女性で圧倒的に多かった職業は「看護師さん」で、その次に多かったのは「保育士さん」でした。男性の場合は様々でしたが、海外移住されている方などは「調理師さん」や「理容師さん・美容師さん」が多かったです。

職種が偏っている理由は簡単で、

「再就職が圧倒的に他の職種より簡単だから」です、

看護師さんは、病院だけに限らず「老人ホーム」や介護施設などでも就職が出来て、条件を選ばなければ圧倒的に「引く手あまた」の職種です。

ですから、まず社会がどんな状況になっても、年齢が高くなってきても「再就職」がしやすい「(準)看護師」の資格を取っておくと、「お金持ちになる為」ではなく、人生の生きていく方向が定まらないうちに「自由に生きる最強の資格」を「義務的に」取らせておいてあげる。というのが、目的です。

そして「調理士さん」の資格に関しましては、更に「自炊生活ができる」という利点もございます。

若い方の「夢や目標」の中の職種には、僕の専門の「音楽」のように、少なくない数の職種に「あまり稼げない業種」というものがあります。それらを選んで進んだ時に、自炊で美味しい物が食べられるなら、食費も減らす事が出来るという利点もあります。

この「提案」で重要になってくるのが「専門学校」ではなく「あえて高校で」というのがポイントで、本当に「看護師さんや理容師さん」になりたいのなら話は別ですが、それは僕の提案の「趣旨」が違ってきます。

理由は、あくまでも「趣旨」は

「「生きていく上での最強の保険」を、同じ3年間で他の学校と違って手に入れさせてから卒業させてあげる」

ですので、高校であることによって「高校の卒業証書も手に入る」という点も重要なのです。

「高校の卒業証明書」を持つ事で、日本だけに限らず、海外の大学も受けることが出来るようになり、専門学校より「未来の選択肢」が圧倒的に増えるという事も

この「提案」の重要な点の一つです。

ですから、取得できる資格も、その資格があることで「就職が本当に簡単になる」物意外を「取得対象」にしては絶対にいけません。

この点がぶれると「信頼や評判」が一気に崩壊してしまうので、本当に重要です。

では次に、この件の提案延長の2つ目の「提案」ですが、

僕は「経営者」でも「法律家」でもないので「お金の事・法律の事」はわかりませんので「アイデア」だけを書かせて頂きますが、

更に、「あの学校に行っておいて本当に良かった」と思ってもらえるような

「価値観や常識」を超えたアイデアを形にした学校

についてです。

高校だけに留まらず、あらゆる「わざわざお金を払って学校へ行くという事」の価値が下がってきている今、今までの「価値観や常識」を超えたアイデアを形にした学校というのが生き残る要素になると思われます。

それは、学校が「新しく変わっていく」というよりもむしろ

「学ぶ」という事の中の「学校のあるべき姿に戻る」と言った方が良いかもしれません。

「学ぶ」という事の「学校のあるべき姿に戻る」とは

本来、あらゆる「学びの本質」とは、「させられる」ものではなく、「自己の欲求・探求」の延長線上の「芽生え」であり、「学校」とは、そもそもそ「芽生え」の先の学習する上での「唯の選択肢の一つ」に過ぎないはずなのです。

ですから社会から学校が淘汰される前に、あらゆる学校の決め事を決断するときに「経営側に都合が良いシステム」ではなく、常に「学ぶ側に都合のいいシステム」を選択する学校である事が大切になってくるでしょう。大切なのは

もちろん「大人」としての「表面上の理由」などではなく「本気の理由」としての姿勢です

その視点からのアイデアとして、

最初に書いた提案の「資格を取得できること」の「資格を取得するための費用は「必修科目」でなく「選択科目」にしておいたとしても「学費」にきちんと余裕を持って計上しておいて

卒業してからでも、必要だと思ったなったら、卒業生は「無料で資格を取りに戻ってこれる」というのも売りにするのです。

このアイデアは、今後は「資格」だけにとどまらず、

「学校を辞めたいと思った人はいつでも辞めていい、そして、いったん辞めて何年たっても本気で学びなおしたいと思ったら、いつでも戻ってこればいい。面接だけで試験も学費も既に納めた分は免除。」

という、方針にするのです。「学ぶ側に沿ったシステムです」

「学びたい人だけが集まって、学びたい物だけを本気で学んでもらう」

そんな、「本来あるべき学びの場所」にするのです。

費用は、もう一度書きますが、上のアイデアを前面に出して、これら提案を実行する為の費用は「学費」にきちんと「余裕を持って(ここ大切です)」計上して集めておいて、そうすることで

「たとえ学校を卒業した後でも」取りたいと思ったら、試験・学費なしで「各種免許」のうち一つを必ず取得しに戻ってこれる事が出来て、更に(これは料金もプラスで)別の資格も「試験免除」で、卒業生はいつでも取りに戻ってこれる。

というのが売りの学校にするのです。

その場合、すんなり3年間で全てを取得して卒業された方には、その「余裕を持って集めた学費」のうちの何割かを「卒業時に餞別としてお渡しする(掛け捨てじゃない保険のような感じです)」という事で、再取得の方との「バランス」を取る事もできるでしょう。

この提案の最後にもう一度、

これからは、金銭がかかるなら尚の事「学ぶ側が賢く選ぶ時代」になります。早い段階で「あの学校は、お金を払っても行く価値あり」という「イメージだけでなく本当の評判」を勝ち得た学校だけが、残っていくと思われます。

学校経営のための選択ではなく「学ぶ側の為の学校」に徹して、その結果「学校経営が成り立つ」という方向性が、結局は、本当の意味で「お金を払わなきゃいけない学校」ではなく「お金を払って行きたい学校」要するに

学校も「先にギブが多ければ多い学校ほど、テイクも多くなる」そんな時代になるのではないかと、僕は思っております。

「提案」は以上です。最後に「僕はこんな事を思ったか」について少し書いてふれつつまとめを書いて終わりにしたいと思います。

僕のこのような「基本的な考え方」の形成は「ドイツ留学と生活」からの体験からくる考え方で、ドイツは税金の使い方は、庶民にとってとても「真っ当」な使われ方が多く、社会保障がしっかりしていて「収入の範囲を超えないで生活(無理な借金やローンなどせず)」していたら、コロナや病気や失業など、本人の意思と関係ない世の問題の為に起こりうる問題への不安は、いっさいありませんし、出産費用無料で「子供手当て」も16歳まで一人当たり2万円程度、更に子供の数が増えれば一人当たりの金額も増えて行き、大学などに進学すれば、さらに25歳までその「子供手当て」の給付を延長することも出来ます。養育費も幼稚園から大学・職業専門学校まですべて「無料」で、大学は半年に一度、職業訓練校は年に何度か入試があり「無料なので幾つになっても人生の方向転換が出来る」システムですし、

無料ですから「行っても意味のない学校へは」誰もわざわざ選んで行かなくなるので、自ずと変な学校は淘汰され学校の質も上がってきます。

そんな手厚い保護があうから、収入(手取りの学)の範囲内の「無理のない生活」さえしていれば、何の心配もなく人生を謳歌できますので「税金を払う事」に対して、日本ほどの抵抗はありません。(※会社経営者の方々は、またちょっと違う感覚のようです)

この「税金を払うことへの抵抗」は、まさしく言い換えれば「学校に学費を払う事への抵抗」という言葉に置き換えられると思います。

先に「ギブが多く、それがバラマキでなく本当の意味で価値ある必要なギブであるならば」「あの学校にはお金を払って時間をかけて行く価値がある」という風に「本気で思ってくれる」ことになるのではないでしょうか。

僕の提案を形にするのは難しい事かもしれませんが、方法は必ずあると思われますし、そのような「無理難題」からの「逆転の方法を生み出せる能力があるのが、日本の底力」だと思っています。

以上です。

最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました。

多くの方が、余計な苦しみから解放されて、幸せに人生が全うできますように願っております。

堀江努

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