#いけばなが芸術であるか否か
いけばなの芸術論争についてのシリーズ。その③
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前回は、
戦後直ぐの頃、焼け野原になってしまった東京で『花の展覧会』を
草月流の創設者、勅使河原蒼風と小原流の創設者、小原豊雲が行った。
そして、
という所で終わりました。
詳しくは、コチラ ⇓
いけてますって✨ ~生け花芸術論争の巻~ その②|ほりべえ (note.com)
では、では、つづきに参ります。
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いけばなが芸術であるか否か
この時代に語らねばならない華道家の中に勅使河原蒼風、小原豊雲、安達潮花、中川幸夫がおります。
今回は、椿と云えばこの方安達潮花の話です。
~安達式挿花の巻~
数え上げられない程いけばなの流派がございますが、大正時代初期に安達潮花は池坊を学んだ後に「安達式挿花」という流派をを立ち上げたのですね。
そして、ほりべえも大好きな華道家安達瞳子は安達潮花の次女。後継者と目されておりましたが、ある時考え方の違いから独立。1973年「花芸安達流」を創設しましたが、潮花の死後「安達式挿花」に統合し現在に至るわけです。
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今年は「椿」を沢山生けさせて頂きました。
安達瞳子さん♥
生きていらっしゃるうちにお会いしたかったなぁ。
春を惜しむ
安達潮花の実家は呉市のお寺です。
ほりべえのいる所と呉市はちょっと遠いけれど、花を通して繋がっている。🛐😌🌸💕
ここまでお読み下さいまして、誠にありがとうございます。m(__)m
心はいつも #花とともに
to be continued
(毎度のおまけ)