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「あおる(煽る)」という動詞の歴史を調べた

はじめに

 「あおる」という語は、「風を起こすこと」を指す動詞であるが、近年問題となった「あおり運転」や、インターネットやオンラインゲームにおいて挑発行為表す「煽り」というスラングにも用いられる。(スプラトゥーンでは「煽りイカ」なんて言葉もある)
 これ以外にも、写真やイラストが趣味の人間にとっては、下から見上げるような構図を俯瞰に対して「アオリ」と表現する場面も身近だろう。
 このように、「あおる」は非常に広い意味を持つ上、それぞれの意味の関係性がわかりにくい動詞だ。

 研究のきっかけについて、卒論上では「あおり運転」の出現であると設定した。しかし、それはいわゆる建前で、本音はゲーム内の挑発を示す「煽り行為」の「あおる」と、風を起こすという意味の「あおる」がどうにも意味が遠いように感じていたことがきっかけであった。

 このノートを通して、卒論を短くまとめ、且つ自身の論旨を整理してみたいと思う。私の卒論は丁寧に説明を加えていった結果、容量が80ページほどに膨れ上がり、自分でもなかなか再度読む気にならないため、のちに自分で見返しやすいようにするのが最大の目的である。

現代の辞書からみた「あおる」

 言葉を調査するにあたって最初に手がかりとするのは、やはり辞書であろう。日本最大の国語辞典である『日本国語大辞典』第二版(2002、以下『日国大』)では、以下のような説明がされる。(見やすいよう、用例は省略している)

あお・る【煽・呷】
【一】〔他ラ五(四)〕
①風などが吹いたり、風を起こしたりして物を動かす。翻す。吹き動かす。
②火気を盛んにするため、うちわなどを動かして風を起こす。また、そのような動作で板などを動かす。
③ものごとを激しい勢いで動かす。ものごとに勢いをつける。
④自分の思うようにさせるためにおだてそそのかす。扇動する。また、相手を圧倒して自分の思いどおりにさせる。
⑤(呷)酒などを一気に飲む。仰向いてぐっと飲む。
⑥気がもめる。
⑦取引相場で、相場を思惑通りに変動させるため、大量に売り、または買いを行なう。
⑧カメラに「あおり(煽)(8)」をつける。また、低い位置から上向きにして写す。
【二】〔自ラ五(四)〕
風などのために物が動く。
(後略)
『日国大』第二版(2002)

 『日国大』では9つほどに意味が分類されているが、その内容にざっと目を通していただくと、ほとんどの意味が現在でも用いられることに気づく。  
「戸があおられる」とも言うし、「火をあおる」「酒をあおる」とも、さらには「競争心をあおる」などとも使用することができ、さまざまなものを「あおる」ことができるのだ。

 しかし、語には出現した際に用いられた意味「原義」がある。「あおる」の原義はこの分類のうちのどれかと言うと、実はどの分類も原義ではない。
 『日国大』には、「あおる」の項目が上記の引用とは別にもう1つ立てられているのである。

あお・る[あふる]
〔他ラ四〕
あぶみで馬の障泥(あおり)をけって急がせる。
語源説
⑴アシフル(足振)か〔名語記〕。
⑵アシフル(足触)の略〔大言海〕。
(後略)
『日国大』第二版(2002)

 この項目で示されている「馬を責め急がせる」という意味が「あおる」の原義である。

平安時代に出現した「あおる」と当時の意味

 前章で、「あおる」の意味は「馬を責め急がせる」であると述べた。なぜなら、この意味で使用される「あおる」の用例が最も早く確認されるためである。

「あおる」の最も出現の早い用例は、平安時代前期に成立した『新撰字鏡』(898~901年)に見られる。

『天治本新撰字鏡』より
(傍線は筆者によって付されたもの)

 画像の傍線部に「阿布留」(アフル)という万葉仮名が確認できる。『新撰字鏡』とは簡単に言うと漢和辞典であり、この用例は「策」という字に対する説明から引用している。
 そもそも、「策」という字は中国において、「馬のむち」や「むち打つ」という意味を持っていた。また、「馬 木過」でみられる木へんに「過」ぎるという字にも、「むち打つ」という意味があることから「アフル」が「馬にむちを打って急がせる」ことを表していたと考えられるのだ。

 これ以外にも、平安前期では『躬恒集』(924)などに「あおる」が「馬を責め急がせる」という意味で用いられている用例がある。

 一方、これ以外の意味で早くから出現するのは「風が吹いてものを動かす」という意味であり、中世の一条兼良『梁塵愚案抄』(1455年)にならないと、用例がみられない。

 このように、最初に用例が確認された「馬を責め急がせる」と、次に見られた「風が吹いて物を動かす」の間には大きな年代の開きがあるため原義は前者であると言えるだろう。そしてこの「馬を責め急がせる」という意味は江戸時代まで継続して使用される。

中世における「あおる」

中世になると、「馬を責め急がせる」に加えて2つの意味が追加される。それは、前述した「風がものを動かす」と「特定の感情になるよう、また行動するよう仕向ける」という意味である。

「風がものを動かす」という意味

この意味は前で述べた通り、初出用例が1455年のもので、中世に出現したものとみられる。この意味は「旗が風にあおられる」などと用いるように、現在に至るまで途絶えずに存在している。

「感情や行動をそそのかす」意味

この意味は、現在「不安をあおる」や「店員にあおられて購入する」「敵にあおられてムキになる」などの例が当てはまる分類である。

当初、この意味の出現は明治以降であると予想していたが、それよりもかなり早く中世に出現していることがわかった。しかし、用例数は中世から江戸時代まででは2件しか見られず、「あおる」という動詞の主な意味ではなかった可能性も考えられる。

「馬を思い通りにする」から「人やものを思い通りにする」

現在インターネットで「あおる」が「特定の感情になるよう、また行動するよう仕向ける」という意味を持つようになった由来を検索してみると、どの記事やサイトでも「火を盛んにする様子から発展した」という旨の記述がされる。
 しかし、「特定の感情になるよう、また行動するよう仕向ける」という意味が出現するまでに、「あおる」が「火を盛んにする」という意味を持っている用例は1つもなかった。(具体的には明治以降に出現する)
 このことから「特定の感情になるよう、また行動するよう仕向ける」という意味は「火を盛んにする」とは別の意味から発生しているとみられるだろう。

 「特定の感情になるよう、また行動するよう仕向ける」という意味が出現した江戸時代以前にて用例が確認できた意味のうち、最も関わりが深いとみられるのは「馬を責め急がせる」だろう。
 「あおられる」のが馬か人かという違いはあるが、どちらも「他のものを思い通りにする」という部分で共通している。

江戸時代で意味が急拡大する

 平安前期では「馬を責め急がせる」、中世では「風がものを動かす」「特定の感情になるよう、また行動するよう仕向ける」という意味が発生するが、江戸時代、特に1700~1800年代ごろになると2つの意味が追加される。
 それは「酒などを一気に飲む」「相場を変動させるため売り買いを行う」の2つである。

 この2つの意味のどちらかは、今まで述べてきた「あおる」とは出自が異なる。意味の関連性から推測できるかもしれないが、一番最初に挙げた「酒などを一気に飲む」のみ別の語が由来となっている。これがちょっと面白いので、次の節で取り上げてみる。

酒を一気に飲む「あおる」

 では、この意味の由来はどこにあるかというと「青切(あおっきり)」という言葉にあると考えられる。

「青切」とはもともと「茶碗の口に青い筋のあるもの」を指していたが、それが転じて、「なみなみと酒を注ぐこと」や、その酒を「勢いよく飲むこと」を意味するようになったとみられる。
 この「青切(あおっきり)」の「あおっ」の部分が「あおる」の活用(連体形促音便)と混同された結果、「あおりきり」という語が誕生してしまう。これも酒を勢いよく飲む様子を表す。
 そして、この「あおりきり」の「あおり」の部分が動詞であると判断されて切り出された結果、「あおる」という動詞が「酒などを一気に飲む」という意味を持ったものとみられる。

 「青切」から発生していることを示唆するものとして、式亭三馬『辰巳婦言』(1798年)の用例を挙げておく。

夫だからおらアぐい呑(のみ)はしねへ。てめへこそ時々疳癪(かんしゃく)で青(あを)るじゃアねヱか
式亭三馬『辰巳婦言』

 江戸時代の「あおる」の用例は、ほぼ全てがひらがなで表記される。しかし、酒を一気に飲む様子を表すこの用例の「あおる」は「青」という字が使用され「青る」と表記されている。
 このことからも、「青切」という語から発生していることがうかがえるのではないだろうか。

「相場を変動させるため売り買いを行う」意味の出現と発生源

 「相場を変動させるため売り買いを行う」という意味も同様に、江戸時代に出現した。

現在の株式相場の基礎ができたのは明治以降であるため、この意味の出現もそれ以降であると想定されたが、実は江戸時代にも「かぶしき」が存在した。
 江戸時代では特定の営業権を「かぶしき」と呼んでおり、それを買い占めて高値で売る行為が行われていたという。このような行為を「あおる」と表現している用例1例のみ見られた。

また出現について、「相場を思い通りにする」と言い換えれば、「特定の感情になるよう、また行動するよう仕向ける」との共通性がおのずと見えてくるのではないだろうか。

明治時代の「あおる」

 明治期になると「火を盛んにする」と「影響を受ける」という意味が出現する。

また、これまで2例しか用例のなかった「特定の感情になるよう、また行動するよう仕向ける」が多く見られるようになるのもこの時代である。

「感情、行動を仕向ける」という意味の拡大

明治時代になると、「挑発」や「扇動」など「感情を激化させる」というニュアンスを含む用例が見られるようになる。

これは、「あおる」という語自体に「何かを強める」ようなニュアンスを付与したものと考えられ、次節で示す「火を強める」という意味の出現にも影響を与えているとみられる。

「火を盛んにする」と「あおつ」という動詞

 火を盛んにする」という意味の出現には前節の「何かを強める」ニュアンスが生まれたことに加え、語幹を同じくする別の動詞「あおつ」が関わっているとみられる。 

長くなってしまうので簡単に説明するが、「あおつ」という動詞は中世ごろに出現し「ばたばたとものが動く」、「ばたばたとものを動かして風を起こす」という意味で使用された。自動詞としても他動詞としても使用されることから、どうやら「ばたばた」するような様子をニュアンスとして含んでいた動詞であると見られる。

 現代では使われない動詞だが、江戸時代までは「あおる」と同じくらいの頻度で用いられ、さらに明確に使い分けられていた。(『日葡辞書』(1603~1604)では混同が見られてこれはこれで面白い)

 しかし、明治になると、「あおつ」の持っていた意味が「あおる」に移行するようになる。具体的には鳥が羽を動かす様子は、ばたばた動かすニュアンスがあるため「羽をあおつ」と表されるべきであるが、明治頃になると現在と同様に「羽をあおる」と表現されるようになる。

その結果、「あおる」が「ばたばたとものを動かして風を起こす」という意味を得、そこから転じて「火を盛んにする」という意味が生まれたものと考えている。

「影響を受ける」という意味の出現

 現代でも用いられる「あおる」の表現には「不景気のあおりを受ける」と使うように、「影響を受ける」という意味を持っているとみられる。

 「あおる」がこの「影響を受ける」を意味するのは、「あおり」という名詞形や「あおられる」という受身形に限定される。
 この意味の用例が出現したのも明治ごろであった。

(個人的にあんまり面白くないので簡潔にするが、)明治時代に出現した際は「あおりを食う」という形で見られ、さらに風の影響を受けることに限定されていた。これが徐々に風以外にも適応されていった結果、「あおり」や「あおられる」が「影響を受ける」という意味を持つことになったのだろう。

カメラ用語「あおり」の出現

 冒頭で見上げるような構図を表す「アオリ」について取り上げたが、この意味の出現は1950年ごろであるとみられる。

 これに関して、あまり用例が取れなかったが(悔しい)、網羅的に辞書を調べた際に広辞苑初版(1955)以前の辞書でそのような意味が確認できなかったことをもとに、年代を推測している。

 では、どのように出現したかというと、2つ要因が考えられる。1つは明治ごろ用いられた大判カメラの装置の「あおり」、もう1つは「あおる」とよく似た動詞「仰ぐ」の影響を受けているものとみられる。

 大判カメラ装置の「あおり」とは、レンズを上下左右に動かすことができる装置で、1900年ごろからこの意味を持つ「あおり」の用例が見られる。
 この「あおり」を使用すると、光軸をずらすことができ様々な効果が得られるという。(その方面に明るくないのが申し訳ない)

 その効果の1つに、見上げて写したものの形、つまりは「あおり」の構図で写したものの形を整える効果があり、建造物を撮る際などに重宝されたという。  
 このことから、「あおり」が見上げるような構図を表すようになった過程に影響を及ぼしている可能性がある。

 加えて、1950年代以前の写真に関する書籍では、「あおりの構図」を表す際に、「仰角」「仰望」「仰いで撮る」など、「仰」という字が多用された。この「仰ぐ」という動詞も「あおりの構図」の発生に影響を与えたのだろう。(全体的にあいまいな推論となったのが心残りだ)

故意に危険な運転をする意味の「あおる」

 2000年以降問題となって取り沙汰されている「あおり運転」であるが、「あおる」が故意に起こす危険運転を指すようになったのは、いつごろなのだろうか。

 用例として出現したのは1979年のものが最も早かったが、その用例は現在用いられる「あおり運転」の定義より狭い範囲を表すものであった。

これほど大きなトラックに乗ったのは、はじめてだった。(中略)「これでもかなりスピード出るんでしょう」「トラックは遅いと思ってるのかい」と、次郎という男はぼさっと言った。「そうは思わないわ。山のカーブの多い下り坂で、ダンプにうしろからあおられて必死で逃げたことがあるの」ハンドルを握っている次郎は、何も言わずに薄く笑った。
五木寛之『四季・奈津子』(1979)

 この用例では、「ダンプにうしろからあおられて」という部分に「あおる」という動詞が見られる。この「あおる」の意味としては、故意の危険運転全般を指すのではなく、「後ろから接近し責め急がせる」行為のみを指しているように判断できる。
 この用例だけでなく、1980年代前後の用例はこのようなものが数件見られたが、1988年にはライトの点滅などを含めた危険運転を「あおる」としているものが確認できるようになった。

 このように、危険運転を表す「あおる」は、出現当初は「後ろから責め急がせる」ことを意味していたが、1980年代後半にはそれ以外の妨害行為なども含むようになっていったとみられる。

 この変化について、最初は「あおる」の持っていた「なにかを思い通りにする」というニュアンスから「車を思い通り早める」という使用法が発生したものと考えられる。しかしそれに加えて、徐々に「あおる」が「挑発」の意味を持つことが影響して、運転に関しても挑発にあたる運転行為全般が「あおる」で表されるようになったと推測される。

 発生した当初は「馬を責め急がせる」という意味であった「あおる」が、1000年ほどの時を経て「前の車を責め急がせる」という意味を持つようになったのは、実に興味深い事象である。(直接派生したものではないところも相まって余計に面白くない?)

おわりに

 めちゃくちゃ飽きたので、論文内で使った図を挙げておく。丸番号は今回用いていないが、それ抜きでもわかる内容になっていると思う。
線で繋がれている意味同士は原義・派生義の関係にあることを示す。

最初に発生した「馬を責め急がせる」以外の意味を「あおる」は持っており、現代広い意味で用いる同士であることが改めて確認できる。

「あおる」が持っていた意味から派生したものもあれば、それ以外の語から影響を受けているものもあり、大変複雑な動詞であることが研究によってわかった。
絡み合った「あおる」の意味や派生関係をきれいさっぱり明らかにできたとは言えないが、ある程度整理することができたのではないだろうか。

これまで意味を拡大させてきた「あおる」だが、現在インターネット上で「煽る」と言えば「挑発する」という意味で受け取られることが普通になってきたように見える。今後、徐々に意味を狭めて行く可能性も考えられ、個人的には変化から目の話せない面白い動詞に出会うことができたと思っている。

「あおる」の持つ意味とそれぞれの関係性

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