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家族からの過干渉が辛い君へ

この記事を見つけてくださり、ありがとうございます。

「高校のジャージを着て氷結ストロングを呑みながら記事を書いてるなう」な状態のみげです。

キーボードを見ながら打っているので
視界に高校のジャージが見えて、しかも高校名が書いてあるから
今年26になる女ですが!なんだか悪いことをしているような気分。(笑

久々に実家へ


コロナもあって実家へ帰省したのはおそらく正月以来ですかね•••

かなり久々ということもあって
実家の間取りは覚えていたけど家具があまりにも低く感じたり
あれ、こんなに古びていたっけ、と少し切なく、懐かしいような
そんな時間が過ごせました。

話は変わりますが

”一番近くにあるの社会集団は”家族”であるのに
それがうまく行かずして世の中でうまく生活できるわけではない”

このようなワードをここ最近耳にしました。
なんの文献で誰の言葉かは忘れてしまいましたが
私には特に響き、今からでも少しずつ向き合わなければならないと
背中を押された言葉でした。

子供の頃

私は18歳で実家を出ました。
それまでは俗に言う「反抗を一切しない聞き分けの良い子」でした。
今、過去の出来事を思い出すと涙を流す前の気持ちになるのですが
よくこんなことがありました。

高校で好きな人とデートをしても門限からの「わかっているよね?」
自分の意見を言おうとしても「子供の分際で親に歯向かうな」
いざ自分の意思で決めたことを伝えて「なぜ親に相談しなかった!」

いろんなことを言われたものだなぁと思います。

親元離れた最初のきっかけは「実家から通うのは大変だから」でしたが
卒業してからは

あの家になんて絶対に帰らない
あの環境にいたら同じことが繰り返される

敢えて実家から離れていたのではないか、と思います。

父からの言葉

父と小さい頃に買い物に出かけたことがあったみたいです。
親と離れてしまったとき、私はすごくパニックになったみたいです。

もしかすると「心配だから声が出て、失いたくないから手を出してしまう」
のかもしれない
だから大きくなっても「小さい頃のわたし」を思い出してしまい
必要以上に声をかけてしまうのかな、と

まだ消えない

まだ当時言われた言葉を受けた傷は癒えません。
完治はしないと思うけれど、それでも癒すことはできると思い
生活している中で不意に出てくる瞬間は内なる自分を癒そうとしています。

「辛かったね、でもその事象は過ぎ去ったんだよ、だから安心してね」

そして癒そうとしている中で気づいたことがありました。
それは

自分の家族は周りの人より心配症で
愛情のベクトルが周りの人よりもデカいんだな

ということ。

きっとわたしの両親はきっとベクトルが重くてデカくて不器用なんだなと思ったら

今まで家族、両親に対して抱いていたものが少し減ったような気がします。

いろんな家族の形があるから、これが正解なわけでもない。
でもやっぱり自分の周りとストレスなく過ごすためには
まず家族と向き合い、そこで「ストレスなく過ごすこと」ができれば
きっと自分の家族以外の世界、彼や社会との関わり方が少してでも変わるのではないか、と感じた気づきでした。

少しで良いから客観的に見て、
「親」という目線ではなく「一人の人間」として考えてみる
自分の両親がどんな人なのか、少し見えるかもしれません。

まだ嫌いだって良い、少し好きになって良い、だってそれが
「今の気持ち」なんだもの

わたしは家族のこと?今は好きって答えられるかもしれません。
ふふふ

お酒がうまぁぁぁぁぁいっ

今日もお疲れ様でしたっ!



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