『境界知能とグレーゾーンの子どもたち』を読んで
私は何故だか「発達障害」や「自閉症」ということが気になる。
そんな私の目に止まった本がこの「境界知能とグレーゾーンの子どもたち」だった。
この本は漫画なので、とても読みやすい。
絵によってわかりやすく伝わりやすくなっている。
今やクラスに1人や2人どころではないくらいそういう症状を持っている子がいるという。
グレーゾーンを入れたらかなりの数だろうと。
発達障害や自閉症というのもここ数年で多くの方に広まったが、私が子供の頃はそういう言葉も症状も知らなかった。
親の子育てが悪いと思われてきた時代でもあった。
辛い…。
辛すぎる…。
親も子も。
理解されてきている時代ではあるものの、やはりまだすべての人が全て正しい知識でいるわけではない。
それは、私も含めて。
おとなしい子ならまだしも、上手く表現出来ないから、上手くコントロール出来ないからと、乱暴をする障害を持った子が我が子の近くにいたらとても怖い。
全力で我が子を守りたくなってしまう。
その偏った正義感から、間違った方向で障害を持った子に対して、ひどいことを言ったり行動してしまう自分がいるかもしれない。
それでも、それだからこそ、正しい知識でみんながみんな幸せな生き方が出来るような社会になってほしいと思っている。
特別教室というのも、その子にとってそうした方が上手く生活出来るならいい場所だけど、みんなと違うから、はいあなたはこっちの教室ね、というような外に追い出すような思いでの教室であってはならないと思っている。
例えば、うちの子はアレルギーがある。
だからといって、みんなと同じものが食べられない時に「はい、あなたはみんなと同じじゃないから違う部屋で食べようね」って言われたら胸が痛くなる。
違うでしょ。ってなる。
みんなと違うということを共有するのも大切なことだと思う。
目が悪かったらメガネをかけたりコンタクトを入れたりする。
だけど、それをみんなと違うからメガネしちゃダメ、みんなと同じ部屋にいたらダメっていうことはない。
平等って何かな?って考えた時にメガネをすることは平等なのか?
ってこと。
メガネをかける方がみんなと平等になる。
平等という言葉にも違和感があるけど…。
計算が苦手な障害を持った子がいる。
どうしても出来ない子。
そういった子が電卓を使うことがメガネをかけるのと同じように平等になる世の中になってほしい。
これ、何かのドラマで言ってたな…。
『ゆとりですがなにか』だったかな?
電卓を使うことが、ズルいとかじゃなくて、そういう子もいるよねという理解ある世の中に。
足が不自由で車椅子を使う子に車椅子に乗ってるなんてズルいなんて事言う人はいないだろう。
そういう目に見える障害も目に見えない障害もみんなが暮らしやすい、生きやすい世の中になってほしいと願っている。
『ケーキを切れない非行少年たち』
これを読んだ時にも感じたことだけど、早めに必要な教育を受けられる事が出来たなら、本人も周りの人たちも生きにくさを感じることが少しでも減り、より良い世の中になると思うんだけどな。
かなり前にこの記事を書いて途中にしていました。
読んですぐの時の感想とは少しズレてしまったかもしれない。
それでも本当の意味の多様性が認められて、みんなが生きやすい世の中になって欲しい気持ちには変わりない。
今日も幸せをありがとうございます。