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それぞれの卒業

つぶやきにも書きましたが、今日は息子の卒業式でした。

案の定、私は泣きませんでした。
…というか、体育館が寒くて寒くて寒すぎて🥶
コートも脱げず、着たまま、膝掛けもかけて、それでも寒くて…。

外も朝は少し雪が降っていて、それが雨に変わり、ザーザー降り。
余計寒かったんです。

なぜ、暖房をつけてくれなかったのでしょうか…❓

寒くて寒くて震える…西野カナの替え歌が頭に浮かびながらも寒くて。

感動するもなにも、頭の中は、西野カナと「寒い」と「早く終わって欲しい」と「ト、トイレ行きたい」「トイレ最後まで持つかな?」「今抜けたら目立つかな?」そんなことばかり…。

「ここまで大きくなったなぁ」とか、「あぁ、これで義務教育が終わりなのね」とか、干渉に浸ることも出来なかった。

他のお母さんたちが泣いたという合唱も「早く終わって…おしっこ漏れる…」なんて考えてしまう、薄情な母でした。
いやけど、涙腺緩んで、下も緩んだら大問題でしょ⁉️

隣のダンナもめちゃくちゃトイレ我慢してました。
しかもスーツキツくなってたから、余計お腹への圧が掛かっててよりトイレに行きたかったみたい😁

式が終わって、速攻トイレへ。
涙が出なかった分、違う水分がめちゃくちゃ出た。
「え?まだ?まだ出る⁉️」ってくらい出た。

って、なんの話⁉️

はい。卒業式。

5年前の娘の卒業式でも私は泣かなかったですね。

今年は、親たちが入れなかった最後のホームルーム。
娘の時、笑いに包まれた会で、そこでも涙は出なかったですね。

娘の小学校の時の卒業式のホームルームでは、担任の先生の話が意表をつきすぎて、そこでも私は泣くことが出来ませんでした。

私の中で卒業式の後の最後のホームルームというのは、金八先生の最終回のイメージを持っていたんですね。
1人ひとり前に出て、先生から「君の名前の漢字の由来は、未来に輝くという意味があります。あなたの人生が輝くものであってください」とか「あなたの名前の漢字の意味は、人を助けるという意味があります。いつでも人を助けて、愛していける人であってください」「周りの人に灯りを灯せる人で、あり続けてください」とか、そんな感動の話があるもんだとばかり思っていたんです。

ところが、娘の小学校の時の担任は、軽く思い出話をした後。急に自分の今後の夢を語り出したんです。

もちろん、定年間近のその先生が話すことで、夢というのは幾つになっても持っていていいし、それを追いかけるのが素晴らしいことなんだよ、君たちも夢を持っていってくださいとかね、それならわかるんですよ。

けどね、そういう感じじゃなかったんですよね…。
ただただ、自分の夢を語る。
僕、凄いでしょ、みたいな…。
上手く書けないけど…。
妄想話を延々されてる感じの…。
そんな風に私は、受け取ってしまったんです。

教室に入っていた他のお母さんたちもポカーンとしてました。

まぁ、卒業式なんて、そんなもんなのかもしれないですね。
私か金八先生に夢を持ちすぎちゃったんですね。

保育所の時の卒園式が、1番泣きましたね。
保育所は、たくさんの思い出もありましたし。
子供の成長が著しかったし、先生との交流も密でしたし。

こんなに大きくなった…。
成長した…と思えた。

ただ、卒園式の後、数日間普通に保育所に通ったりしませんか❓
3月31日まで預けるし。
「先生、お世話になりました〜😭」って泣いてお別れして、次の日や次の月曜日とか「おはようございます」って行く感じ。
ちょっと気まずい感じになりませんか❓
ちょっと照れくさい感じがします。


34年前の今日は、私は高校受験の日でしたね。
昔は日にちが遅かったんです。
3月15日が公立高校の受験日。
卒業式は、17日か18日くらいだったかな?

自分の卒業式も泣きませんでしたね。
ほとんど同じ高校に行くし、くらいの気持ちで。

ただ、式が終わってから、そのまま体育館で親たちに向けたちょっとしたセレモニーみたいなのがあったんです。
そこで、今まで育ててくれた両親へ、ということで、応援団のエールをしたんです。

「サンキュー、サンキュー父ーさーん」「サンキュサンキュ父さん、サンキュサンキュ父さん」「わ〜」みたいなやつ。
それの時に「サンキュー〜って言った応援団の男子がグッときて、言葉を詰まらせて、泣いたんですよ。
その時は、さすがに私ももらい泣きしました。

そこからは滝のように泣いてました。
しかもその時、滅多に引かない風邪を少しひいていたので、鼻水がヤバかったです。
そっちも滝のように出てました。

ティッシュも底をつき…っていうか、泣くつもりなかったから、持ってなかったのかな?
結局、ハンカチで鼻水を拭いてました。
汚くてすみません…💦

私たちの時は、親がホームルームに来るというシステムはなかったように思います。

式が終わり、セレモニーも終わり、ホームルームが終わってもなかなか帰らないで、何人かのクラスメイトと教室にいました。

そこへ先生がやってきて、私にすぐ帰るように言いました。

父方の祖母が亡くなったという知らせです。

祖母は入院していて、そろそろ危ないと言われていました。

ということで、私の中学の卒業式と祖母の人生の卒業は同じ日でした。
なんだけど、日にちが思い出せない…。
17だったかな…❓

祖母のお葬式の時、棺桶に何か自分のものをひとつ入れなさいと言われました。
そういうこと先に言っといてよ、そしたら、家から何か持ってきたのに…と思いました。
だって、私が持っているアイテムは、あの卒業式の時に鼻水を拭いたハンカチしかなかったんですから。
…ってか、洗えよって話ですが、すっかり洗濯に出すのを忘れて、そのままポケットに入っていたんです。

「おばあちゃん、ごめんね…」と言いながら、私の鼻水だらけのハンカチを棺桶に入れさせてもらいました。

本当にごめんなさい🙏

そんな、私の卒業式の思い出。

あ、肝心の今日主役の息子の卒業式エピソードがひとつもない‼️

私のおしっこと鼻水の話ばかりだ‼️

ええっと…。
息子の卒業式の思い出は…特に何もないです。

息子自身も泣かなかったし、周りも泣く子はいなかったと言ってました。
結構みんなクールですね。

と、ここまで卒業のことを書いていたのですが、ひとつ娘のことを。

息子の卒業式の話や息子が持ってきた、家庭科の授業でやった未来の自分の文集の話を娘とLINEでしていたんです。

こんなこと書いてる子がいて、面白いよとか。凄いよねとか。

そんな話をしているうちに、どういう流れだったか、娘が、娘の友達のひどいことをされたけど、笑っちゃう、笑うしかないという面白エピソードがいっぱいあるんだよなんてことを言い出しました。

娘の友達というのは、結構な確率で不思議ちゃんが多いんですよね。
変わった人が集まるというか…。

なので、それ、ブログに載せたら結構みんな読んでくれて笑ってもらえそうだよなんてことを言いました。

そしたら、意外と食いついてきた娘。

このnoteのことを言いたかったけど、娘のことも書いてあるので、もし娘が読んだらバレちゃう危険性が高いので、noteの存在は言えませんでした…。

なので、私の知っているのは後は「アメブロ」くらいなもん。

それを伝えました。

それから30分くらいしてから「アメブロにした」とLINEしてきた。


へえと思っていると「ブログも書いたしね」って。

え❓⁉️ええっ‼️

マジか…。
娘の行動力の速さと、文章書くスピードの速さにビックリしました。

ってなわけで、息子が卒業した日に娘はブログデビューをしたわけです。

アメブロですが…。

楽しんで続けてほしいなと思います😊


…って‼️また❗️また息子のことじゃなかった‼️


最後までお読みいただきありがとうございます💕

愛と平和をありがとう💕
祈りをこめて…💕



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