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『真夜中の五分前』~好きすぎる世界観を行定監督の言葉から紐解く

春馬くんのお誕生日にドリパスで見てから、私は相変わらず『真夜中の五分前』の世界観の中にいる。大きなスクリーンであの世界にどっぷり浸ったせいか、私の細胞すみずみまで沁みてしまったらしい。

そこから、この映画関連の記事を連投しているから、
もういいよ!とお思いかもしれないが、まだ書かせて。

こちら、最初に書いた記事。

先日、ももんさんが書かれた記事、DVD特典の行定勲監督のオーディオコメンタリーのこと。

えーっ!?行定監督がそんなことお話しされてるの!?
これは絶対聞きたい!!
はやる気持ちを抑えきれず、翌日到着のAmazonでDVD即購入した。

これまで漠然と、なんだか好き♡、という感覚だけでうまく説明できなかったこの映画の好きすぎる世界観について、行定監督が事細かに語ってくださっていて、なんだか目の前がスーッと開けたような感じがした。
思いっきりネタバレです。まだ映画本編を見ていない方は、ご覧になってからね。

小説からの設定変更がもたらした世界観が好き過ぎる

本多 孝好原作の「真夜中の五分前―five minutes to tomorrow」の小説を初めて読んでこれはいい映画を作れそうだと思ったという行定監督。でも、このようなラブミステリーは今の時代にマッチしないということで、なかなか製作に踏み切る会社が日本にはなく頓挫。それでもずっとこの小説のことが頭にあり、上海の会社が手を挙げてくれて、企画立案から10年経過してようやく動き出した映画だったとのこと。
これまで日中合作映画というのは政治的、文化的な面からかなり難しくて、今までほとんどなかっただけに、この映画を撮影し世に出すまでには、行定監督いわく「悪夢のような撮影期間」を経験することになったという。

また、原作小説の主人公は広告代理店で働く青年なのだが、『真夜中の五分前』というタイトルから映画のストーリーを練っていくうちにどんどん時計、時間というものがキーワードになっていき、主人公を時計の修理士という設定に変更したとのこと。

確かにこの映画の中では、舞台が上海ということ、時というものにフォーカスを当てることによって、この独特の世界観が生まれていると言っていいと思う。
原作同様、舞台は東京で広告代理店で働く主人公となれば、これは映画よりも連続ドラマの方がいいのではないかと思う。
もともと日本で実現できなかったからこそのこの設定変更、これも運命だね。

妥協なきロケハンよる美しい風景が好き過ぎる

この映画の世界観の最も重要な要素である美しい風景は、妥協なきロケハン(ロケーションハンティング)により生み出されたものらしい。

①主人公良が働く時計店がある街並み
 ここは、上海の張園というところらしい。もともと上海に住む外国人のため建てられた中欧折衷スタイルの建物が立ち並ぶ古き良き上海の路地裏が残る街なんだそう。この、近代的な上海のビル群の中の、時代に取り残されたような街の片隅という点が、異国の地でを淡々と暮らしている日本人青年の孤独を美しく醸し出す効果絶大だと思う。

②双子の邸宅の中庭
 冒頭とストーリーの真ん中で出てくる幼い双子のブランコのシーンで使われているの邸宅の中庭。ここは郊外にある大学の中庭なそうだが、中国では民間にもこのような異国情緒がある古い建物がそのまま残っていて、それをうまく活かしたとのこと。赤レンガの塀に囲まれた同じく赤レンガのお屋敷。草が生い茂り高い木が乱立する少し薄暗い中庭と古木でできたブランコがノスタルジック。姉妹が着ている深い赤と青のワンピース、でも襟とソックスは黒。この格好でここに存在させたのもまたノスタルジック。

③ルオランが良にモーリシャス行きを告げる屋上
なかなかいい場所が見つからず、打ち合わせに行った事務所で窓の外に目をやると隣のビルの屋上が見えて、ここがいい!となったとのこと。屋上の手すりがレンガと古木で可愛い。眼下にはレンガ色の屋根の古い街並み、遠くには上海の近代的なビル群が霞んでいる。これは、上海のあまりきれいでない空気のせいでいい具合に霞んでいるんだとのこと。思わぬ上海効果で美しい。

④ティエルンとルーメイの部屋
上海にはアーティストが倉庫をオシャレに事務所に作り替えたものがたくさんあり、それを何件も見て参考にして、商業ビルが廃墟になったところを作り替えたそうだ。玄関は緑色の壁に大きい重厚な木のドア。部屋に入ると大きな半円の窓が印象的、そしてソファの横からのびたライトスタンドも半円を描いていて、この半円の繰り返しが素敵。床、チェストや家具の深い赤褐色、ソファや壁の優しいクリーム色、窓枠のくすんだ緑色とソファに置かれたクッションのフォレストグリーン。ブロックガラスの窓から優しく差し込む光と、アンティークな照明の黄色い光。なんて素敵な色と光の組み合わせなの!関係ないけど、この暖炉の上にはお馬さんの置物があるのね。美術さん、いい仕事してます。

⑤良とティエルンが話をする橋のたもと
良とティエルンが彼女が姉妹のどちらなのかについて話すシーン。ここは上海撮影所で、後ろには本物の上海映画の撮影が行われているのがそのまま映り込んでいるとのこと。こんなこと段取り重視の日本ではありえないが、これも行き当たりばったりの中国ならではなんだそう。後方でライトがきらめいたりレフ板が反射したりと活気ある撮影風景が映り込んでいるが、それに対比することによって、二人の深刻な様子がより際立っていて、これも効果絶大だなあと思う。

⑥インド洋に浮かぶ島モーリシャス
姉妹が旅行するところは最初ポルトガルで考えていたが、中国スタッフ側の製作条件として、是非中国人にとってあこがれの島のモーリシャスにしてくれと言われ変更したとのこと。ちなみに、教会の中を飛んでいるのはモーリシャス蝶。ラジオから事故の情報が流れてくるときに、良のまわりに飛んでいたのもモーリシャス蝶。ミステリアスなこの蝶を盛り込めたのもモーリシャスにしたからこその効果だと思う。
姉妹が訪れる教会は、マリア像の顔が気に入って決めたとのこと。ルオランが衝動的にロザリアを奪うという罪を犯してしまう、そして、また再びこの教会に行ったときに、このマリアの目が彼女の何かを癒すというような気がしたと。確かに、一般的にマリア像の目は石膏でできていて白一色のことが多いと思うが、このマリア像の目は黒く縁どられ生きているような印象を受ける。見られている、という印象が強い。マリアだけが知っている、みたいな。

音が好き過ぎる

前の記事でも書いたが、この映画の中の音が好きだ。

①時計店のラジオから流れている曲
ルオランとプレゼント選んだ夜のあと、良が時計を修理している横の古いラジオから流れてくる明るめの曲は、中国のカリスマミュージシャン(名前聞き取れず)の大ヒット曲でタイトルは「花売りの娘」みたいな(明確に言及せず)曲なのだそう。俺は結局お前を忘れられない、みたいな歌詞で、この映画のストーリーを示唆しているような曲だと思い選んだそう。この映画の中で、明るい雰囲気なのはこの曲くらいなのではないかと思う。前日のルオランとの出会いのウキウキ感なのかな。

②ゴルフの後の別荘でルーメイがかける曲「Whisper of Rain」
この別荘のシーンは、なかなか中国にイメージに合うものが無く、上海での撮影が終わった半年後に日本で撮影したらしい。当初ここでかける曲は、オールドスタイルのジャズを選んでいたが、日本で時間が経ってからこのシーンを改めて見るうちにもっと現代的な曲の方がいいのではと思い直し、音楽プロデューサーの半野喜弘さんに急遽作成してもらった「Whisper of Rain」という曲だそう。しかも、行定監督が敬愛するEGO-WRAPPIN'の中納良恵さんが歌うことになったという。中国でいい撮影場所が見つからなかったからこそ生まれた奇跡だと。

確かにこの曲、初見の時からすごく気になっていた。ボーカルののびやかな高音と不思議なメロディライン、背後に流れるプっププと不定期に刻む電子音がとても幻想的でミステリアスで、双子の複雑な心情とそれを受ける二人の男が惑わされる心情にぴったりだなと思っていた。

③リフレインする「Five Minutes to Tomorrow」
この「Five Minutes to Tomorrow」という曲は、映画の中で3回かかる。
まず、冒頭のルオランの語りから始まるシーンで。
次は、ルーメイに翻弄され別荘を飛び出したルオランが橋の上で、良に苦しい心の内を打ち明けるとき。
最後は美しいラストシーンで。

行定監督は、同じ曲がリフレインしていくたびにどんどん印象を深めていき愛の深淵を感じさせるという効果を狙っているという、これがそのキーになる曲で半野喜弘さんの曲。愛することの本質と愛の多面性を表現するのに、その一曲だけで事足りるような曲で、繰り返されるたびに二人の記憶がいろんな形で甦り重なり合っていくという効果がもたらされればいいな、という意図があるという。静かなピアノの音から始まり弦楽器で盛り上がるクライマックスでは涙腺を刺激し鼻の奥がツーンとする。見ているこちらも想いが深まっていく、見事に。しびれます。

④時計の音
実際の上海は喧騒がすごいところなのだがその中での真逆の静寂という世界観を目指していたと行定監督。サウンドデザインは台湾や香港の映画のサウンドデザインを多く手掛ける行定監督憧れのドゥ・ドゥチーさんにお願いしている。時計店の二階に住む良の部屋では、階下の時計店から聞こえてくる無数の時計の音が段々ひとつの音に集約されて、鼓動のようになっていく。
この映画の中では、時計の音が何度も効果音として使われているが、行定監督が、この映画の根底に潜めた哲学者プラトンの言葉「時は未来永劫の幻影なり」を意識しているからこそだ。

時間と言うのは存在していないのに存在しているようにも見えるもので、永久に続くものではないんだ。このメッセージが、今しかない時間を生きる男女、この映画の最後の解決になる重要な糸口になると思っていた
    ~行定勲監督『真夜中の五分前』オーディオコメンタリー

最後の解決になる重要な糸口!?今しかない時間を生きる男女?

行定監督のこだわりが好き過ぎる

1.上海映画へのリスペクト

この映画では、上海との合作と言うことで上海映画へのリスペクトが散りばめられている。それが、男女の心の変化にいい感じに作用している。
①良とルオランが見る野外上映
公園で実際に野外上映をやっていたのを見て、どうしてもこのシーンをいれたいとすごくこだわったという。中国版のロミオとジュリエットみたいなミュージカル映画の傑作で上海映画「アシマ」という映画を選んだ。二人が初めて出会って惹かれ合うシーンを見ている二人が手を触れあってつないでいくところが映画「アシマ」の内容ととシンクロしている狙いがあると。

②モーリシャスから帰還後の女優ルーメイ(仮)が演じている映画
映画歴史的名作映画「神女」のリメイクを撮っている設定。ロアン・リンユイという中国のトップ女優がかつて演じていた役をルーメイ(仮)が演じてている。実際のロアン・リンユイは、上海でいろんなスキャンダルに巻き込まれて25歳の若さで自ら命を絶ったというドラマティックな人生を送った女優なので、双子の片割れが事故死してしまったというこの映画のヒロインとどこか重なり合うといいな、と思って選んだそう。この映画が、前半のラブストーリーから一気に雰囲気がサスペンスに移行していく効果絶大。

③帰還したルーメイ(仮)と良が見ている野外上映の映画
上海の傑作映画「古城の春」で、愛が覚め切った夫婦のもとに、妻の初恋の人である夫の旧友が訪ねてきて、そこに起こる三角関係を描いている映画だそう。見ているシーンは妻と旧友が夫の目を逃れて逢引するシーンで、こちらも双子の姉妹と良、ティエルンの絡み合った関係と重なり合うと思うって選んだそう。

2.リフレインするシーン

この映画では同じようなシーンがリフレインするところがいくつかある。

①幼少期の双子のブランコのシーン。
オープニングでは、幼少期の双子が洋服を入れ替え、いたずらしていない方が母親に怒られるシーン。
次にストーリー中盤、良にモーリシャス行きを告げたルオランが、ルーメイと勘違いしてティエルンがくれた洋服を着て鏡に映る。そこで回想するブランコのシーン。映るたびに双子の洋服の色が入れ替わる。

②傷ついた双子の片方が良の部屋に泊まった翌朝のシーン
最初は、ルオランが初めて良の部屋に泊まった翌朝。彼女が目覚め、階段を静かに降りてきて壁掛け時計を見つめ目を閉じる。耳に手を当て秒針を聞き、それが鼓動と一体化する。おじいさんとあいさつを交わす。
次は、ティエルンから疑われて傷ついたルーメイを泊めた朝、同じことが起こる。最初にルオランがやったことを同じアングルで繰り返している。
その後のおじいさんと双子の片方が朝食を準備するところも同じく繰り返している。目を覚まし階段から静かに降りてくる良は窓越しにキッチンに立っている彼女を見る。おじいさんと料理を作っている。料理の盛った皿を手に振り返る彼女がパーカー姿であるのも同じ。ルオランはベージュ、ルーメイ(仮)はグレー。

③野外映画を見るシーン。
ストーリーの前半では、良とルオランが顔を見合わせ微笑み合う。後半の二度目は、良がルーメイ(仮)の方に顔を向けても彼女ははこちらを見ず映画に食い入るように見つめる。二人の手だけをの映すアングルも同じ。前半は戸惑いながら手を繋ぎ握り合うが、後半のシーンでは手を繋ぐのをためらいやめる。

④夜、良の部屋でベッドに腰かけてのキスシーン。ナチュラルな自然光を生かしたライティング。カメラマンのカメラワークのこだわりが込められているとのこと。前半は少し明るめの照明で二人はその後可愛くじゃれる、後半は暗い照明で泣きながら抱き合う。

⑤時計店の店主の老人が落としたペソアの詩集を拾い上げ開いたページを読み上げるシーン
この本は、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの詩集。ペソアは、自分とは異なる人格の詩人を何人も作り上げその異なる人格が詩を読んでいるという変わった詩集。自分ではない人間を作り上げるところが、この映画のひとつのフックになるんじゃないかという本作の脚本家堀泉杏さんのアイディアなそう。最初、良が読み上げるシーン。

美にはなんの意味もない
ならばなぜ
私は事物を美しいと言うのか
そうなのだ
ただ生きているだけの私でさえ・・・

後半ではルーメイ(仮)が同じようなことを繰り返す。

「誰も他人を愛することはない」
他人の内にいる いると思っている自分だけを愛する
愛されないことを悩まなくていい
人はお前を他人として感じたまでだ
お前はお前のままであろうと努めよ
そうすれば愛されようが愛されまいが
わずかな苦しみを被るだけだ

この詩集からそれぞれが導きを得る感じ。

⑥モーリシャスの教会で。
祈った後時計を外し、マリアを見上げロザリオと入れ替えるルオラン。それを見ている老婆。なにかたくらみを感じさせる。
二度目。腕時計をつかみ、後ずさりし、マリアを見上げる。入れ替えに置いた腕時計。許しを請うような印象。同じ老婆が見ている。この老婆がすべて見透かしているような雰囲気。

このように同じアングルから同じ構図で絵が構成されて繰り返されていくような場面がいくつもあるのは、行定監督の意図的な狙いとのこと。
同じ映像なんだけど少しずつ異なる、そのことが登場人物の気持ちの変化、愛情の変化のようなものとして印象付けるられる。この効果により、見ている私たちはデジャブを覚え、惑わされながらもでも微妙な違いに「ん?」と立ち止まる。重なる記憶がキレイに層をなしていく感じ。

素敵な共演者たちが好き過ぎる

1.双子の姉妹役のリウ・シーシーさん

行定監督大絶賛のリウ・シーシーさん。彼女の醸し出す物憂げな表情とウィスパーボイスがこの映画の世界観に大きく寄与していると思う。
一人二役で、かなりそっくりな双子の微妙な違いの演じ分けをしてほしいとの行定監督のオファーに対して、期待以上の演技を返してくれたんだな、というのが監督の話しぶりからわかる。
撮影していく途中でいろんなものが見えてきて彼女の中で変貌していったようで、終わりの方では姉妹のどっちでもなくなった第三の人格のような気持になっと言っていたらしい。それは演技をすることによって導かれたもので、なにかが抜け落ちたようなもの悲しさがよくでていた、と行定監督。映画を見終わった後、私の頭の中に残るのは最後に振り返った時の彼女の表情だった。

2.ティエルン役のチャン・シャオチュアンさん

春馬くんの繊細で中性的な美しさと対比して、野性味ある男らしい魅力を放つチャンさん。後半で、彼女がルーメイではないかと疑いを持ちながら自らプロデュースした映画「神女」のシーンをモニターで見ている時。たばこをくゆらせながら、先の灰が落ちそうに長くなるのも忘れて、鋭くモニターを睨む表情がなんとも言えず好き。前半の包み込むような優しさに対して、凶暴さを感じさせるような憎悪の表情。この映画の滅茶苦茶いいスパイスになっていると思う。

ラストシーンが好き過ぎる

ラストシーン直前では、真っ青な空と海のモーリシャスの風景と、夜の暗い部屋にいる良が交互に映し出される。モーリシャスの教会の鐘の音、良のアップ。海を見る彼女、暗い部屋の良の背中。誰もいない砂浜が映り、ソファで眠っている良が目を覚ます。こちらも、明暗の対比が迫りくるラストに向けて見ているこちらの気持ちを盛りげてくる。
目が覚ました良が見た時計は真夜中の五分前。良が階下の物音に気付いて降りると、そこにはルオランにプレゼントした腕時計だけが残されている。あわてて外へ出る良。日付が変わったことを告げる柱時計と定刻を示す腕時計を見る良。上海の通りで振り返る彼女。「Five Minutes to Tomorrow」が劇的に響き渡り、エンドロール。

行定監督は、このラストシーンが撮りたかったために、この映画を撮ったと。彼女が振り返った時の何者でもないこの顔を見たときにこの映画を撮ってよかったと思ったと言っていた。とても、とてつもなく美しいシーンだと思う。

これまで、なかなかこの映画が実現しなかった理由のひとつに、姉なのか妹なのか結論めいたシーンを入れるかどうかで揉めて頓挫したとのこと。サスペンスの種明かしを求められたと。行定監督は、結論を求めない中で愛と言うものが複雑で一筋縄ではいかない難しいものだ、ということを描きたかったとのこと。
よかった。これが種明かしのシーンなど入ったものなら、途端に火曜サスペンス劇場になりかねない。よくわからないからミステリアス。どこまでもミステリスだからこそここまで好きになってしまったんだと思う。信念を貫いてくださった行定監督に拍手を送りたい。

行定監督フィルターを通した春馬くんが好き過ぎる

行定監督が春馬くんについて語ってくださっている。

ルオランが別荘から飛び出し良が追いかける橋の上のシーンでのこと。

ここまで街の中の淡々としたシーンしか撮ってこなかったが、ここで感情を表に出すシーン。リウの感情の出し方が素晴らしく、撮影後春馬がこのシーンで、自身もこのラブストーリーに対してのモチベーションが凄く上がったし、すごく意識的にこの作品をよくしていこうという気になれたと言っていたという。二人とも、彼女の悲しみとそれを受け止める良というラブストーリの入り口が非常にうまく出ているいい芝居だなあ、と思った。役者と言うのは、相手の芝居が良ければ自分の芝居にももちろん影響を受けるもので、それを僕に伝えてきた三浦春馬という俳優もいい俳優だなあと思った。すごく素直に彼女を称賛していた、すごく心を動かされたと何度も言っていた。 ~行定勲監督『真夜中の五分前』オーディオコメンタリー

素直に称賛を表す春馬くんがここにもいたんだ。

彼に興味持ったのは『東京公園』を見たとき、いい意味で日常のつまらなさをちゃんと演じれる俳優だと思った。この映画も特別なドラマティックな要素は他者によってもたらされるわけで、主役として淡々とした日常を過ごしている人間、そのつまらなさをきちんと演じれる俳優を望んでいた。春馬自身は、役者がよくどこかしら装飾したいというものを日常の中にも持ち込もうと思うものだが、そういうものを排除してそれゆえにどうしようもない感情とか自分の中にあるものを表情として映し出せるいい俳優だなと思っていた。 ~行定勲監督『真夜中の五分前』オーディオコメンタリー

これ、『ブレイブー群青戦記』の本広監督もおっしゃっていた、見せ場のシーンで自分のセリフを削った春馬くんに通ずると思った。自己顕示欲よりもその作品そのもののことを考え作品をよりよくしていくことを一番に考える、どの現場でもそういう俳優だったんだな。

もともと春馬くんを愛でるために巡り合ったこの映画。見れば見るほど、その世界観に惹きつけられていき、とうとうマガジンまで作ってしまった。ネタバレ満載です。

今回、この記事を書くのに、丸々3日費やしてしまった。その間、何度も繰り返しいろんなシーンを見たが、更に更にますますこの映画が好きになった。見るたびにその世界観が心に沁みて、いろんな印象が変わる不思議な映画。今からでも、日本で、世界でもっともっと再評価されていい映画だと思っている。

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そして最後に、行定監督がこの『真夜中の五分前』についてお話してくださっている記事を、いつでも見られるように貼っておく。


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