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スピルバーグに啓示を与えた作品〜母と娘の物語「レディ・バード」

宇野維正著「ハリウッド映画の終焉」に触発されて観た映画の第三弾である。

同書の第三章は<『最後の映画』を撮る監督たち>と題され、スピルバーグの「フェイブルマンズ」「Mank/マンク」「リコリス・ピザ」そして「トップガン マーヴェリック」が紹介されている。

これらは全部観ていたのだが、これはと思う映画が文中にあった。それが「レディ・バード」だ。(U-NEXT等で配信あり)

2017年の「レディ・バード」を、スピルバーグは激賞し、宇野によると<『フェイブルマンズ』のハイスクール時代のパートは〜(中略)〜『レディ・バード』への返答のような瑞々しいタッチで描かれていく>。

監督は、女優としても活躍している、グレタ・ガーウィグ。監督第1作である。一昨日取り上げた、「プロミシング・ヤング・ウーマン」のエリザベス・フェネルといい、ガーウィグといい、凄い才能が登場している。

なお、ガーウィグは、<スピルバーグの助言によって、次作『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』(2019年)でフィルムカメラでの撮影を選択した>とある。「ストーリー〜」は映画館で観たが、良い映画だった。

さらに、ガーウィグの最新作が「バービー」である。

「レディ・バード」、観るしかないではないか。

カリフォルニア州サクラメントに住む高校生、クリスティン(シアーシャ・ローナン〜「ストーリー〜」でも主演のジョー役)は、大学生になり街から脱出することを願っている。そして、彼女は親から授かった名前に抵抗感を示し、自ら“レディ・バード“と名乗っている。

展開される物語は、いわゆる“青春映画“である。宇野氏の言葉を借りれば、まさしく“瑞々しいタッチ“でレディ・バードの日々が映し出される。

“青春“なのだが、私には母と娘の物語である。

子供は娘二人という立場からは、母親と娘というのが特別な関係であることを感じることがある。特に、“レディ・バード“のようなティーンエイジャーの頃は、娘と母親、つまり私の妻との間には男親には到底想像がつかない、一触即発の高いテンションがあった。もちろん、その裏側には深い愛情と結びつきがある。

こうした経験を経た私にとって、この映画における視点は、“レディ・バード“の父親であり、彼から見える妻、“レディ・バード“の母親の存在、そして母娘の関係を抜きに観ることはできない。

これが、この映画を単なる“青春映画“から、一段深いものにしていると思う。“レディ・バード“が本名のクリスティンを取り戻す成長物語でありつつ、母親マリオンの複雑な心の動きがドラマをしっかりと支えている。

映画の冒頭、母娘が車中で聴いているのは、スタインベック「怒りの葡萄」のオーディオ・ドラマである。オクラホマを離れざるを得なくなった家族が、カリフォルニアを目指す物語に感動する母親、これも何かの暗示なのだろうか


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