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大女優に引き込まれる〜成瀬巳喜男監督「流れる」

昨年10月以来の小林信彦「日本映画ベスト50」クエスト。まだ続いています。(前回は大島渚監督「愛と希望の街」

家のテレビで映画を観る。どうしても、周囲に気を取られる。特に携帯電話をいじってしまう。しかし、この 成瀬巳喜男監督作品「流れる」(1956年)は、そうした行為を許さない。映画の吸引力が強いのだ。(U-NEXTで配信中

はるか向こうに千住大橋と思しきアーチ橋、それを望んで流れる隅田川。その川辺に在する柳橋の花街。タイトル、スタッフのクレジットの後、“出演者“として映し出されるのが、田中絹代山田五十鈴高峰秀子、画面が転じると、岡田茉莉子杉村春子栗島すみ子(特別出演)。これだけで、居住まいを正さざるを得ない。

幸田文の小説を原作とするこの映画、舞台は戦後の柳橋の置屋「蔦の家」。置屋(おきや)というのは、芸能プロダクションのようなもので、芸者を何人か抱え、注文に応じて料亭などの場所に抱えている芸者を差し向ける。

「蔦の家」の主人であり芸者、つた奴を演じるのが山田五十鈴。劇中聞かせる唄と三味線も絶品である。山田五十鈴の舞台における代表作の一つが「たぬき」。浮世節の立花家橘之助(初代)を演じる。この舞台、観ておきたかった。

つた奴の娘で、芸者になることを拒否したのが勝代。「蔦の家」の経営は思わしくなく、斜陽の家業の中にある“現代“が勝代である。

そこに女中奉公にやってくる梨花(お春と呼ばれる)が田中絹代である。彼女の存在はドラマにとっても、観るものにとっても精神安定剤のような存在である。

「蔦の家」に身を置く芸者は、若い岡田茉莉子、そしてキャリア十分の染香(杉村春子)らである。

彼女らががっぷり四つに組んでドラマを展開するのだから、一気にその世界に引き込まれていく。

さらに、つた奴の姉に賀原夏子。我々世代には、「チャコちゃんシリーズ」のお婆さん役が身近である。同業の重鎮役が栗島すみ子。どこかで観たと思っていたら、小津安二郎の「淑女は何を忘れたか」(1937年)の奥様役。これを最後に引退していたが、19年ぶりの特別出演。「淑女〜」の時と同じようなメガネをかけ、味のある演技を見せてくれる。

大袈裟に言うと、花街という日本の文化が滅び去ろうとする様子を、置屋の視点から描いた作品ということになるのだろう。

それは、残酷な時代の“流れ“として、ずしっと心に響いてくる。ただ、同時にこうした大女優の時代というのも、もしかしたら滅びてしまったのかもしれない。などとも考えた。


改めて、小林信彦のコメントを見ると、<杉村春子が山田五十鈴に電話で三味線を習うシーンなど、うま過ぎる。《昭和三十年ごろの柳橋》が描けるのは成瀬巳喜男だけである。>と書かれていた



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