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あとは、これをヒントに自分の足で探索してね、編集部よりー藤原マキ『幸せって何? マキの東京絵日記』(文藝春秋)

「豆腐メンチを2つくださいな」
店主が手際よくビニール袋に包んでくれる。
「はい、360円ね。まいど〜」

わたしは、今、東京の下町に住んでいる。
ご近所のトーフショップむさしやさんは、お気に入りのお豆腐やさん。創業90年の老舗である。絹でも、木綿でも、豆の味がしっかり効いているお豆腐は、一口食べるとトロ〜リと口の中いっぱいに甘さが広がって、そりゃあ、もう幸せ。しかし、むさしやさんは、これだけじゃあ終わらない。このおいし〜お豆腐をベースに、他ではお目にかかれないオリジナル商品をたくさん作っている。カレーがんもに、キムチがんも、黒ごま厚揚げ。さらに、大葉とネギ味噌を厚揚げに挟んだ厚揚げのはさみ揚げ、お豆腐でハムとチーズをはさみ海苔を巻いた磯辺揚げ……そしてわたしの大好物 豆腐メンチ! 木綿豆腐に玉ねぎ、くるみ、そして大豆たんぱくで作られた擬肉をあわせて作られている。豆腐のふあふあに、くるみのポリッとした食感がアクセントになっていて、あっためて、お好みで醤油やソースをちょっとつけて食べたら……もう……やみつき。

夕方になるとショーケースの中はほとんど空っぽ。地元のみなさんに愛されていることがよくわかる。よっ、千住の台所! あ、そうです。わたしは千住に住んでいます(千住在住……ダジャレにはならないか)。

だけど、はじめはお店に入ることにちょっと緊張をしていた。普段はコンビニ、スーパーで買い物をするがゆえに、商店街の専門店にはあまり行ったことがないから。だけど、前を通るたびに気になっていたんだ。「若人にキムチがんも!」 とか、墨で書かれた文字がお店の外にいっぱい貼ってある。え、何それ? 若人に向けたがんもどき? そしてキムチ味? それに、いつもお客さんで賑わっている。きっと、美味しいのだろうなあ。しかし、こんな新参者がお邪魔していいのかしら……。まあ、えいっと、ひとたび暖簾をくぐりゃあ、なんてことないのよね。新参者のわたしでも、「へい、らっしゃい」と元気よく出迎えてくれる。もちろん、今はもう平気だ。トロ〜リと、とろけちゃうお豆腐と豆腐メンチが恋しくなると、常連ぶって買い物に向かう。すぐ調子に乗りやがる、わたし。

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これは、藤原マキ『幸せって何? マキの東京絵日記』(文藝春秋、1987)の1ページ。そう、お豆腐やさん。むさしやさんの豆腐メンチをむしゃむしゃいただきながら、この本を思い出した。藤原マキのことは、まんが家・つげ義春の奥さまとして知っている方も多いかもしれない。元々は役者さんで、唐十郎 作の舞台などに出演をして活躍されていた(「腰巻お仙」の初代お仙さんなんだよ)。実は、わたしも、つげ義春のファンで、そこからマキさんにたどりついて、この本を手に取った。

「こんなおみせしってる?」
「マキの思い出日記」
「マキの家族日誌」

の3本立て。
いずれもマキさんの文と絵で彩られている。マキさんの語りかけてくるような言葉選びと、素朴な絵のタッチが重なり合って、読んでいるとほっこりとあったまる。

「マキの思い出日記」は、ダルマストーブ、おまんじゅうやさん、もらい風呂など、マキさんの思い出に寄り添う物や場所についてのエッセイ。

子どもの頃のマキさんは、本屋の前を通るたびに「ここの子どもになれたらいいナー」と、そうしたら好きな時に好きな本を好きなだけ読める! と思っていたらしい。万引きしてでも本が欲しかった! とまで書いている(実際にはしてないよっ)
わかるよ、マキさん! と大いに頷く。

「マキの家族日誌」には、オトウサンと正助との、いたって普通の日々が綴られていている。わたしなんか、毎日、日記を書こう!と決めても、3日坊主だ。「だって、今日は普通すぎて、別に何にもなかったもん」と、思ってしまうのだけれど、マキさんの家族日誌を読むと、「普通」をそのまま正直に言葉にすることで、「普通」に隠されいる楽しさとか、悲しさが見えてきて、物語のように動き出すことを学ぶ。そして、いかに普通の日々がドラマチックかを思い知る。

5月20日(水)
今日のお昼ご飯に、冷やし中華を作った。今年初だ。
きゅうりを細く細く切る。不器用なわたしの細く細くは、繊細から程遠いんだけど、それでも麺とうまく絡み合いますようにと、がんばってみる。
錦糸卵も、見た目がメンマっぽくなってしまった。
だけど、ズルズルっと威勢のいい音を立ててあなたが食べてくれるから、合格点かな。
ということで、我が家は、今日から冷やし中華はじめました。

どうかしら? ちょっとは、普通のお昼ご飯がドラマチックかしら。


そして、「こんなおみせしってる?」 では、お豆腐やさんをはじめ、たまごやさん、とこやさん、あめやさん、やきにくやさん……などなど、19のお店が紹介されている。中には、へびやさん、怪物仮面やさん、縁起物やさんといったあまり馴染みのないお店もある。ふむ、こんな専門店があったのかあ、とノスタルジーを感じながらも、とても新鮮にうつる。

何と、ここに掲載されているお店は、全て実在するらしい。
巻末に、それぞれのお店の簡単な所在地が記されていた。

たまご店……武蔵野市吉祥寺
饅頭店……山梨県上野原町
金太郎飴屋……豊島区巣鴨地蔵通り
怪物仮面屋……台東区浅草
(『幸せって何?』より)

ちなみに、お豆腐屋さんは「府中市宮町」とのこと。
だけどさ……この情報だけでは、ちょっと、たどりつける自信がない……。

視線を横にずらしていくと、お店一覧の最後に、メッセージが添えられている。

※「こんなお店知ってる?」 に登場するお店のモデルは実在しますが、絵はそれを元に著者のイメージによって描かれたものであり、実際のお店そのままではありません。従って、実見聞されたい読者は絵柄と右のメモをヒントに、各自探索して下さい。(編集部)
(『幸せって何?』より)

なんと、編集部が、君たち、実際にお店をたずねたいなら、これをヒントに探してくれ給えという。

すぐに答えにいきつく現代。
迷子なんて、しなくなった。
このお店のおいしさは、星の数が保証している。
君の視点なんて誰も求めてないよ。
ノイズを除去せよ。
スマートに生きよ。

の逆をいくメッセージだ。

正直に言おう。このメッセージが、この本の中で一番わくわくした。マンガとかアニメでありそうな、よくわからない図や記号が描かれた宝の地図を渡された気分。きっと、ここに詳細な住所と、お店の外観の写真が掲載されていたら、自分の好きな本に載っていたお店として行ってみようかなあとは思っても、ここまで高揚はしなかっただろう。

ありがたいことに、昨今はわかりやすい言葉と情報であふれている。
そんな中で、この編集部からのメッセージに出会えたことは幸せだなあと思った。マキさんの想像力が炸裂した絵と、超アバウトな住所という、過不足ありまくりで、ノイジーな情報が、好奇心を揺さぶってくれたとともに、しっかり自分ごととして、自分の頭で考えて、自分の足で歩けよと教えてくれた。

よし。1987年に刊行された本だけど、ちょっくら、お店探しに出かけるとするかね。

5月21日(木)
朝から、ひんやりと冷たい。この間は、Tシャツと短パンで走ったのに、今日はウィンドブレーカーを引っ張り出してきて、30分ほど軽く走った。
空気がたっぷり水分を含んでいることが感じられる。ツバメがとっても低く飛んでいた。改めて、ツバメに形のかっこよさに驚いた。

今日は、noteでの本の紹介を更新しようと、藤原マキさんの『幸せって何?』を読み返す。マキさん家の普通の日常にほっこりしたり、大変だなあと同情したり。

『幸せって何?』に対するマキさんの答えはあとがきに記されていた。
その答えもいたって普通なんだけど、わたしも、右に同じくだと思った。

さて、肌寒いこんな日の夕ご飯は何にしようか。
若人にキムチがんも! 決まりじゃん。





追伸
何も語らずに、自分の好きな本を7日間に渡って紹介する企画「7bookcovers」に参加したのだが、やはり、なぜ、その本が好きなのかを伝えたくなってくる。7bookcoversの番外編として、ここで各本への想いを綴ろうと思ったの。



《書籍情報》
藤原マキ『幸せって何? マキの東京絵日記』
出版社:文藝春秋(文春文庫ビジュアル版)
出版年:1987年7月10日

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【プロフィール】
中村翔子(なかむら・しょうこ)
本屋しゃん/フリーランス企画家
1987年新潟生まれ。本とアートを軸にトークイベントやワークショップを企画。青山ブックセンター・青山ブックスクールでのイベント企画担当、銀座 蔦屋書店アートコンシェルジュを経て、2019年春にフリーランス「本屋しゃん」宣言。同時に下北沢のBOOK SHOP TRAVELLERを間借りし、「本屋しゃんの本屋さん」の運営をはじめる。本好きとアート好きの架け橋になりたい。 バナナ好き。本屋しゃんの似顔絵とロゴはアーティスト牛木匡憲さんに描いていただきました。


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