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小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』感想

※本記事は感想ですのでネタバレへの配慮はしておりません。
※ネタバレはあらすじ程度の紹介はコチラ。


はじめに


○○は夢を見るか?というパロディされたタイトルはもう使い古されてしまったように思います。
世界にこの形式のフレーズが溢れてしまった。

ただこの元ネタ。
元祖を超える作品はなかなかないと思う。

僕がこの作品を知ったのはアニメ『PSYCHOーPASS』のワンシーンでした。
悪役がこの本を読んでいました。

それで僕も買って見ました。
1度目は正直、世界観にやられてしまって文章を目でなぞる形で読み終えてしまいました。

ただ今回はそれなりに考えながらリックの1日を追体験できたと思います。

注目ポイント

1 Q:アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

タイトルである問いに対する僕の答えは”見る”です。

作中の電気羊はリック・デッカートが飼っているモノ。
電気仕掛けの動物を飼っていると、周囲から憐れまれる世界観の中で主人公は生きています。

仕事があり、家には妻が居る。たとえ華やかではなくとも、周囲から電気仕掛けの動物を飼っていると蔑まれても、アンドロイドにとっては憧れの生活。

そう言う意味で、アンドロイドは電気羊を飼う程度のの生活でさえ夢に見ている。憧れているという事だと思います。

ですからアンドロイドは電気羊の夢を見るか?という問いかけに対しての、僕の答えはA:見る となります。僕の個人的な回答ですが。

2 曖昧さ、ヒヤリとするシーン


フォークト・カンプフ検査法を用いて、アンドロイドか人間か判定する主人公。

しかしアンドロイドを人間と判定してしまうかもしれない。
序盤でこんな話になります。

頭の方から何か一筋縄ではいかない話の雰囲気を漂わせています。

その後のレイチェルへの判定は、展開としてミステリのどんでん返しの様でスリリング。
そして自分を人間だと思い込んでいたレイチェルの気持ちを読者に想像させる描写です。

読者も作品を通して、アンドロイドに共感できるか?という事を試されているのかもしれません。

特にヒヤリとしたのは、リック自身がアンドロイドなのではないか?と自分を疑うシーンです。

アンドロイドを狩る人間が自分を疑う。
結果によっては自殺するか、逃亡しなければならないかもしれない。

このシーンは本当にドキリとしました。
前振りとしてフィル・レッシュが自身をアンドロイドではないかと疑うシーンがあるのも、リックの心情を掻き立てているように思います。

この作品ではアンドロイドと人間の境界線が曖昧なのだと思います。
前述したフィルは共感能力に乏しく冷酷で、読んでいるとアンドロイドっぽいのです。

またアンドロイドだったレイチェルは、リックの妻、あるいはリックの黒山羊が居る生活に嫉妬して黒山羊を殺してしまいます。
これは共感能力が無いと、憧れたりはできないので、かなり人間的な行為だと思います。

またマーサーがリックに対してアンドロイド狩りを遂行するしかないとそそのかすシーンも、物語として共感しろ!といっているのか共感するな!といっているのか曖昧です。
この曖昧さが読者の想像力を刺激しているように思います。

3 マーサー教

本作に登場する新興宗教、マーサー教は共感性の象徴として捉えました。

当初は、宗教を共感性の象徴として書くのはアメリカ人らしいなと思っていたのですが、前述したようにリックがアンドロイドを殺すのを躊躇い始めたころ、仕事を遂行するしかないとマーサーはリックに言います。

後にマーサー教は恣意的に作られたプロパガンダだ! という話になるのですがこれも怪しい。
アンドロイド側がプロパガンダだと主張し、交錯しただけの可能性もあるからです。

マーサー教は作品として肯定されているのか。ここも曖昧です。

宗教の言っていることが正しいのか?
危険な問いかけです。

この辺は大変興味深いと思いましたし、個人的には教義に逆らっても良かったのかなと思ってしまいます。
これは僕が宗教を特に持っていない日本人だからこその感想かもしれません。

4 J・R・イジドア

マル特と呼ばれている彼は知能が低いとされて、蔑まれています。

しかし彼が最も人間らしく描かれているように思います。
アンドロイドにも共感し、優しく接する。クモも助けてあげる。
作中で一番の善人でしょう。

彼がもう一人の主人公と行ってもいい位ページ数が割かれています。

彼を登場させた理由は何か。
個人的な考えですが、社会から見下され、無能の烙印を押されている人でも、共感性があり、最も人間的な人間になる事ができる。その可能性がある。
というフィリップ・K・ディックからのメッセージなのではないかなと思っています。

5 否定的なエンディング

リックは途中、アンドロイドを殺すことを躊躇います。
結局レイチェルは殺しませんでした。

しかし他の6人のアンドロイドは殺し切ります。

マーサーに遂行するしかないと言われたからかもしれません。
激闘の末、リックは賞金で黒山羊を購入します。
しかしこれはレイチェルに殺されてしまう。

リックのハンティングは物語として否定されたのだと思います。
その後、荒野へ行ってヒキガエルを見つけますが、これも本物ではなかった。

物語としてはここでリックに対してご褒美を与えても良いハズです。
しかし、彼の行いは否定された。

何も得るものが無かったのです。
アンドロイドであっても殺すのは止すのが人間だ。
という著者の考えでしょうか。

個人的にもリックはアンドロイドを殺さない方が良かったのではないかと思っています。

全体的な感想

読むのは2回目でしたが、スリリングで楽しめました。

自分がアンドロイドなのか、人間なのか。
恐ろしいけど、面白い発想ですよね。また作者の考える、人間とは何だろうと考えを巡らせることもできました。

やはり人間を人間たらしめているのは共感能力なのかなと思います。
共感能力は人間性と言い換えてもいいかもしれません。

正直に言うとマーサー教については解釈があまり及びませんでした。
マーサーの山登りは人生そのものの比喩だとは思うのですが、だったらリックは彼の言葉から意図的に逃れても良いじゃないかとは思います。

いずれにしても興味深い作品でした。
SFは得意ではないのですが、それでも良いな!と思わせてくれました。
読んでよかったです。



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