『老人と海』 – 日めくり文庫本【10月】
【10月28日】
暗がりのなかで、老人には朝の訪れが感じとれた。トビウオがぷるんと身を震わせて海面から飛び上がり、ひれを翼のように張ってしゅっと飛翔してゆく。その気配が、オールを漕ぎながら聞きとれるのだ。海に出たときのごく親しい仲間、トビウオ。老人はトビウオをことのほか気に入っていた。可哀そうなのは鳥たちだ。とりわけ小柄で華奢な黒いアジサシなどはしょっちゅう飛びまわって餌を探しているのに、うまく見つけられない。鳥の暮らしは俺たちよりずっとしんどそうだな、と老人は思う。獲物を盗む鳥や、でかい図体の丈夫な鳥は別にしても。だいたい海には冷酷な面もあるのに、どうして鳥って生き物はアジサシのように、ああもひ弱にできているのか。そりゃ海は優しくて、めっぽうきれいだ。でも、同時に、ひどく冷酷になったりもする。それも、いきなり変わるのだ。それだけに、かぼそい哀れな声をあげて飛んでは海面に急降下して餌をあさる鳥たちは、海で生きるにはあまりにひ弱にできているのではなかろうか。
老人の頭のなかで、海は一貫して“ラ・マール”だった。スペイン語で海を女性扱いしてそう呼ぶのか、海を愛する者の慣わしだった。荘子て海を愛する者も、ときに海を悪しざまに言うことがあるが、女性に見立てることには変わりない。若い漁師たち、釣り網の浮き代わりにブイを使ったり、サメの肝臓で儲けて買ったエンジン付きの舟で漁に出たりする連中のなかには、海を“エル・マール”と男性形で呼ぶ者もいる。そういう連中は海を競争相手か、単なる仕事場か、甚だしい場合は敵のように見なす。だが、老人はいつも海を女性ととらえていた。大きな恵みを与えてくれたり、出し惜しみしたりする存在ととらえていた。ときに海が荒れたり邪険に振舞ったりしても、それは海の本然というものなのだ。海も月の影響を受けるだろう、人間の女と同じように。老人はそう思っていた。
——ヘミングウェイ『老人と海』(新潮文庫,2020年)29 – 31ページ
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