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自己愛性人格障害の夫と離婚したら自分を愛することを学んだ

もしも夫が自己愛性人格障害だったらどうしますか?

私は全くそういった障害があることを知りませんでした。

結婚するまで、ずっと優しかったから。

風をひいて「のどが痛い」といえば、夜中でものど飴を持ってきてくれた。

だから、結婚して、妊娠してから、だんだん夫の性格が激しくなっていったけど、一時的なものだと思っていた。

「元々優しい性格なんだから、大丈夫。」

「すぐにまた結婚前のようにやさしくなる」

確かに、お酒を飲んで目つきが変わったり、根本的に私の人間関係を否定することもあった。

だけど、何もなかったように次の日をお互いに過ごした。

「こういうことを言われたら傷つく」と伝えたけれど、

「飲んでいたときに言ったことを言われてもどうしようもない」と言われた。

彼には、私が傷ついたということは通用しなかった。

「気にするほうが悪い」と言われた。

そのようなやり取りが大なり小なり続いた。

15年間ほど。

ひどいときは2時間大声で怒鳴られた。

私はどんどん委縮していった。

そんな私が、子どもを連れて家を出る決意をした。

あれから5年がたった。

今思えば、あの時の決断をした自分をすごいと思う。

洗脳から抜け出すのは怖かった。

私は結婚する前からずっと自分自身に語り掛けていた言葉があった。

「私が悪い」「わたしのせい」

ずっとその言葉を自分自身に繰り返し言ってきたのだ。

本当は、「あなたのせい」だと言いたかった。

「私は悪くない」と言いたかった。

いつも、自分の気分の悪さをすべて私に押し付けてきた夫に、納得がいかなかった。

それなのに、自分ばかり責めた。

自分を責めることが、体に染みついて抜けるまで5年もかかった。

正確には、45年以上。

両親から理不尽に叱られたり、愛情が欲しくて、問題行動を起こして、それでまた怒られてを繰り返した幼少期からずっと、自分を責め続けてきた。

もう抜けられる。

そう思った瞬間があった。

ふと自分の好きな食べ物を食べるときに「食べようね」と自分に心の中でつぶやいたとき、勝手に涙があふれてきた。

私が求めていたもの。

それは、ただ優しく声をかけられること。

それだけだった。

「自分で自分に声をかけるなんて、なんの意味もない」

と、思っていたせいでだいぶ時間がかかってしまったけれど、


自分自身の声が、自分に一番響く声だということが、分かった。

だから、もう誰かに認めてほしいと思わない。


自分を責めそうになったら、すかさず自分が元気になる言葉をつぶやく。


そうやっているうちに、いつの間にかそれが習慣になる。


正しさとか、世間体は一切必要ない。

むしろ、正しさや世間体が自分の中にある限り、なかなか自分のことを受け入れることは難しくなる。

いかに、今までの価値観を捨てられることは怖かった。

だけど、少しずつ自分に寄り添ううちに、価値観が大きく変わった。

一歩一歩は、小さいように見えるけれど、一年も続ければ、その積み重ねは大きい。

自分への見方が変わると、周囲への見方も変わった。

無理に他人の意見に合わせようとしなくなったし、自分を責めることも、他人を責めることもかなり減った。

まずは、自分を360度認めること。

認めるとは、見る+止める みたいなものこと。

一旦停止して、見る。

幼い子供が公園に行ったときに、母親が見守ってくれているだけで、安心して遊べる。

それと同じ。

自分がしていることを、見守る。そんな感覚。

今までの価値観を優先させるか、自分の心を優先させるか。

自分の心を優先させることに抵抗があるときは、抵抗している自分に気づき、寄り添う。

その積み重ねで、習慣化させていく。

途中で何もかも変わらないような気がすることがあったり、もう自分は一生このままなんじゃないかと、どんどん気持ちが沈んでいくこともあると思う。

そんな時には、ゆっくりと息を吸って、吐いてを繰り返す。

「呼吸することにいったい何の意味があるんだ??」

そう思っていた私は、呼吸することを馬鹿にしていた。

ところが、ただ呼吸するのではなく、呼吸することを意識すると、息を吸うだけなのに、満たされた気分になる。

同様に息を吐くときも、意識してやる。

何もなくても安心できる自分の場所を確立する。

応援してくれるのも、励ましてくれるのも、なぐさめてくれるのも自分。

そんな世界に自分が行くことができるとは思ってもみなかった。









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