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チェジュドの「耽美主義者」〜キム・ヤンヒ監督『詩人の恋』(2017)

 韓国・チェジュドには興味がある。30年以上も前のことになるが、仕事で知り合った大阪の中小企業の社長の中に、同島ルーツの方が数人いらっしゃった。いずれ方々も、たたき上げの立派な経営者であったことを覚えている。

 初めての韓国訪問は割と最近で、2010年だったと思う。行き先はソウル。当時、ちょっと調べ物をしていて、話題となっていた『美しい店』というリサイクルショップの本部を訪ねた記憶がある。

 その後、プサンやソウルは訪れる機会があったが、チェジュドはチャンスを逃している。

 映画『詩人の恋』(2017)は、昨年2020年12月に新宿武蔵野館で見た。チェジュドという土地に関心があったのと、主人公が詩人というところが珍しく、惹かれた。

 今夏、WOWOWで放映されたので再視聴となった。

 この作品、同性愛「的」な感情や気持ちを主題にしている。「的」と括弧書きにしたのは、従来の同性愛テーマの映画とは趣きが異なるからである。

 似ているという点で、すぐ思い浮かぶ作品は、ルキノ・ヴィスコンティ監督『べニスに死す』(1971)ぐらいか。

 ヴィスコンティは美少年を、キム・ヤンヒ監督は美青年を追っている。

 『べニスに死す』の主人公は、ヨーロッパ的というか、個人主義的な雰囲気の一種の貴族である。原作者トーマス・マンはホモ・セクシュアルだったとも言われている。オスカー・ワイルド、サマセット・モームをはじめ、西洋文学の作家で同性愛者では?と言われる人は珍しくない。

 『詩人の恋』の主人公男性(ヤン・イクチュン)は美青年(チョン・ガラム)に心惹かれるわけだが、妻帯者でもある。夫婦に子はなく、妻はわが子を熱望している。詩人という職業は一般的ではないから、経済的不安をかかえているかというとそうでもなく、日常生活は比較的平穏。メインの収入は妻に依存し、どちらかと言うと甲斐性なし。いわゆる貴族とは程遠い人物である。

 やや錯綜した設定と感じるところは、主人公の詩人が美青年に恋狂いをして、その結果、妻との間にあつれきを生じさせながらも、なんとか家庭を維持していくその姿である。

 三角関係の泥沼に陥った主人公の最終的な逃避場所が、これまでずっと愛し続けてきたポエムである。ここに彼の救いがある。

 家庭維持との掛け持ちの中で進行する恋。その行末が、本作を従来の同性愛の作品とは異なるものにしている。それだけでなく、これは「恋」というよりももっと広い感情である「愛」に近く、さらに言えば、美しいものに対する憧憬とも見て取れる。少し大げさに言えば、主人公は「耽美主義者」である。

 このように、家庭、愛、美の三つ巴が、本作を異質なものにしている。三つの中で、最重要要素は「美」である。美青年と詩の両者は、「美」の範疇内でパラレルなのである。

 映画には、主人公の仲間たる作詩の同人たちが登場する。自分の作品を批評し合う場面など、久しぶりに見るような光景である。そういえば、最近ロードショーで見た台湾映画『返校』(2019)では、インドの詩人・タゴールの作品の朗読会のシーンがあった。日本においても、各地で詩人の集まりや朗読会は今も続いているだろうが、昨今の邦画で取り上げられることは、あまりないのではないか。

 当方、詩を読むのは嫌いではなく、中高生時代に書いていたこともある。それにしても、自作品を他人に披露するのは恥ずかしい。詩は日記帳にこっそり書いていたのだ。俳句は祖父が作っていたこともあり、彼の自費出版の句集を時折読み返す。還暦過ぎて、関心が増してきている分野。

 羨ましいのは、映画に出てくるこういう詩人の集まりが食事会や飲み会を兼ねていて、楽しそうなところである。こういうのも悪くないな、と感じ入った。数十年に渡って繰り返してきた会社の宴会など、なんという浪費、そして貧しい経験であったことか。

 チェジュドは島である。そびえ立つ山の形状が独特で神秘的である。漁港の風景は、若い頃スーパーカブで走り回った九州の漁村に似る。ロケ地の海沿いの街には、ゆったりとした空間が。そこに流れるのは、スロウな時間と空気。都会化が進むとはいえ、未だに人間関係の濃密さを残す韓国の地方都市である。

 なるほど、チェジュドには現代詩を産み出すような土壌がある。

 ところで、当方の同年代の奥さんで、旦那さんの蔵書に閉口し、勝手に本を処分してしまった人がいた。その方が、「50歳にもなって、詩集なんかが混じっていて気持ち悪かった」と言っていた。思い出すと冷や汗が。

 当方の書棚には、ヘッセやら、ランボーやら、青春時代の詩集が未だに残っているのである。佐藤春夫、北原白秋、寺山修司なんかも読み直そうと思っている。できるだけ家内の目に止まらないよう、本棚の隅にでも移し、蛮行に対処せねばならぬ。

 WEBの映画批評にもよく見受けるが、『詩人の恋』はドーナツ店がアクセントになっている。近年の韓国のヒットドラマ『愛の不時着』では、フライドチキン店が頻出。映画にも、韓国ドラマの演出にありがちな底の浅さは見られる。しかし、底が浅いと自覚しながら、まんまと策略にはまり、ドーナツ店に足を運ぶ我が輩。これも、近頃の韓国作品の楽しみ方の一つか?

 

 

 

 

 

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