見出し画像

大義に踊らされる良心〜ウォルフガング・ペーターゼン監督『U・ボート』(1981)TVシリーズ リマスター完全版

  大学生時代から繰り返し見てきた映画にウォルガング・ペーターゼン監督『Uボート』(1981)がある。80年代の公開時は、けっこうな評判で、周囲にドイツかぶれの友人が多かったこともあって、同国映画は見逃せなかったのだ。「衝撃的だった」「驚いた」という感想が多かった。

 当時、ドイツ映画が必見だったのは、70年代からニュー・ジャーマン・シネマが問題作を次々と提供していてくれたからだ。

 学生時代から社会人になりたての頃まで、ニュー・ジャーマン・シネマで見た作品は、ヴェルナー・ファスビンダー監督の『秋のドイツ』(1978)、『マリア・ブラウンの結婚』(1979)を始めとして、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『アギーレ/神の怒り』(1972)、『フィッツカラルド』(1982)、ヴィム・ヴェンダース監督『ベルリン・天使の詩』(1987)などである。以後もけっこうチェックしているので、かなりの数にのぼるはずだ。しかし、最近はあまり劇場などで見る機会が減ったような気がする。

 ただし、『Uボート』はニュー・ジャーマン・シネマの延長線上にある作品ではない。よく知られていることだが、テレビ・ドラマを編集したものなのである。これが、テレビ放映されていたとは驚きだ。

 リマスター版が昨年リリースされたとのことで、ブルー・レイでこのドラマ版の5時間バージョンを通しで見た。

 これまで視聴してきたのは、劇場公開版、ディレクターズ・カット版で、定番と言われているのは、ディレクターズ・カットの方。当方、両方とも劇場で見ているが、レーザー・ディスク、DVDもチェックしてきた。テレビ・バージョンこそが、完全版という位置付けになる。

 ちなみに、最も緊迫感が強いのが劇場版。戦闘シーンの連続だ。しかし、これは高画質版を見るのが難しい。衛星放送で時々放映されるが、画質はVHSビデオのレベル。ディレクターズ版は、映像だけでなく音質が素晴らしく、公開当時の勤務地だった広島の映画館で見たときには、爆音に身が縮んだことを覚えている。

 今回のテレビ・バージョンは、シリーズ6話に渡り潜水艦の戦いを追う。展開のスピード感は落ちるものの、おそらく実際の戦闘への突入までの時間の流れは、さほどスピーディなものではなく、敵は突然襲いかかってくることを想像させるような見せ方である。なお、映像はクリアーで、音も悪くない。

 今更言うまでもないが、『Uボート』は、第一次世界大戦から第二次世界大戦の時代にかけて活動したドイツの潜水艦である。もちろん、ナチス・ドイツ時代にも活躍した。

 戦果をあげるために、ひたすら海中を、そして海面を走り続ける。敵を攻撃し反撃され、そして逃れ、ときには嵐を乗り越えて進む。まさに、男だけの世界。しかも、極めて狭い密閉された空間に戦闘員がひしめき、もがき苦しむ。まさしく、生き地獄である。

 ところで、この度『Uボート』再視聴を思い立ったのは、最近ウォン・カーウァイ監督『花様年華』(2000)を見て、どこか似た箇所があったと感じたからである。大した理由はないのである。

 2つの作品が似ている箇所は分かった。まず、潜水艦内の計器類の文字盤が強調されているところ。『花様〜』でも、時計を大きく映すシーンが時折出てくる。いずれの映画でも、文字盤が目立ち、その白色に気品がある。人間の生命や営みを、アナログな機械が見守っている。

 そして、空間の描き方。潜水艦のパーテーション部分が穴をくぐって移動する構造になっていて、それが『花様〜』で登場人物を円内に捉えるショットに似ていると気づいた。

 おそらく、両監督とも日常とはかけ離れた異質な限定された空間を描くために、円形を強調したものと思われる。そう言えば、潜水艦の艦上から双眼鏡を使うときにも、遠方画像は2つの円形で映される。

 以上のような文字盤や空間に関する指摘は、どこかの識者がすでにしているかもしれぬが、自分で確かめたくなったということだ。

 当方が『Uボート』を頻繁に見た時期は、企業で管理職になった30歳代後半から、50歳くらいまでである。潜水艦では、役割分担が極めて厳格である。一人の職務怠慢や弱気が、乗組員全員の命取りになることがある。厳しい労働条件の下で、規律を死守しながら組織を統率していく艦長の姿には学ぶところがあった。そして、重責の艦長の最優先事項は、敵を倒すことなのか。それとも、部下の命なのか。そして、敵の命の行方も心をよぎる。

 しかしながら、組織論的な映画の見方は、職場の最前線を離れた今ではあまり切迫感がない。

 今回は『花様年華』視聴からの気持ちの流れだけで見た。そして、乗組員の悪戦苦闘が、ただただ気の毒に思えた。

 大義に踊らされた忠臣たち。その大義に疑いがあるとすれば……。

 『Uボート』では、ナチス・ドイツの蛮行は捨象されている。イギリスを敵国として、無心に戦う兵士たちの地獄を追求している。ドイツを操る独裁者の姿でさえ、あまり全面に押し出されてはいない。男たちには大義を思い、国を憂うる余裕などない。ひたすら、目前の敵と争うのである。

 「組織」というよりも、「生き様」という観点からこの映画を眺められるようになったということか。

 深刻度や悲惨度の程度の差はあれど、これまでの自分の生き方にも相通ずるところがある。しかし、当方には、何のために働くかなどと、ときには振り返る余裕があっただけでも、乗組員よりもましだったのだ。

 ただ、そういう人生論的見方も、今ではあまり迫って来ない。

 最近、痛感する。自分の身の周りに、またテレビやWEBの報道などにおいて、大義に振り回されている人々が何と多く見られることか。

 自分は、そういった過酷な世界からは一歩引き下がったと感じている。

 大義なのか、面子なのか、利権なのか。引くに引けなくなったエラい方々が、いつの時代にも存在する。そして、そういった面々に振り回される忠臣たち。振り回される人ほど善人なのであろう。中には、命を落とす良心的な人々もいる。

 当方、一線を退き人生論に関心が薄れたとはいえ、『Uボート』のラストは、これからも繰り返し見ることだろう。

 近年、あるドイツ人青年に日本語学習のサポートをしたことがある。彼のひいおじいさんは、Uボートの乗組員だったそうだ。出撃した乗組員4万人のうち3万人は帰還していないから、ひいおじいさんは、幸運な人だったのかもしれない。グローバル企業の戦士たる「ひ孫」は映画を見ていないとのことだったので、「一度見てみたら?」とすすめておいた。

 


 


 


この記事が参加している募集

映画感想文