あ、「まちづくり」がここにある。①帰国から入社まで~
noteのプロフィールもイタリアから帰ってきた頃のままで、気づけば社会人二年目を迎えた。
このnoteは元々Albergo diffusoというものをどうにか世に発信するためにと使った手段ではあったのですが、
これからは思いを文字に書き留めておきたい時に使う場にしようかなと思います。
(本当に誰に見せるのかもわからないただの自伝です)
イタリアから帰ってすぐに始まった就活。
「人々の移動を豊かに、ゴールデンルートじゃなく、日本の原風景を世界に」という思いさえ貫くことができれば業界に縛られる必要ない。
頭ではわかっていたけど、
やっぱり「まちづくり」に惹かれる部分は多く、観光業界や航空、鉄道業界をたくさん受けた。
そんな最中のコロナ勃発。大打撃を受けた企業にはことごとくお祈りされてしまった。まさか自分が8月まで内定0でさまようことになるなんて、留学中には思ってもみなかったなあ。
とはいえ、選択肢を広げれば何かしら見つかるもので
なんだかんだで9月には大手の某ITメーカーに内定をいただき、承諾するところまでいった。
残りの大学生活は遊びと卒論!
この卒論が、私のそれからの人生をおおきく変えたんだろうな。
もちろんテーマはAlbergo diffuso。
このモデルから、日本の地域活性化に生かすことができる要素が3つある!というおはなしを論じました。
この論文を書き進めれば書き進めるほど、
実際にADで働いたり、自分の脚を使って調べた想いの乗ったこの日々を論文に残すだけで終わらせてもいいのだろうか
という思いが心のどこかに蓄積されるようになっていって、、
運命の瞬間が訪れてしまったんですよね。というかもう訪れるべきだったのか。
後に私が入社することとなる会社は、日本各地で分散型ホテルを運営している会社。
いろいろあって一度ご縁が切れてしまったのですが、
今後人生の中で何かしら関われたらいいな、くらいの気持ちで論文の調査という形でインタビューをお願いしていました。
インタビューの最後、
「うち受けないの?」の一言。
流石に二つ返事ではい!とはいえなかったけど、「いいえ」という強い理由もなかったのが事実でした。
あれよあれよと決まった内定。
(もちろんしっかり面接もして、正式に選んでいただいたのですが)
「大手を蹴ってベンチャーへ」
これだけ聞くとすごい人に感じますが、
これはもう縁でしかないのかなあと感じます。
いろんなことが真逆な内定先だったので、
もちろんギリギリまで迷っていました。
でも、キーになったのは、
私が私個人として社会に価値を出せる場所かどうか。
こうなりたい!と思える人がいるかどうか。
先述の卒業論文がのちに学部で表彰をいただいたことや
私のこのnoteやADについてほんのちょっとでも興味を持ってくださった方がいたこと。
別にお金を生み出したわけでもないし、誰かの人生を救ったわけでもないけど、元々自己肯定感の低い私にとってはそういった事象が背中をドーンと押してくれました。
ホテルの運営が〜とか、社会の仕組みが〜とか、大それたことを論文で書いていた私にとって、一地域のホテルのスタッフとして働くことが果たして目指した未来につながるのか、甚だ不安も大きかったですが、私はホテルマンとして働くことになるのでした。
(ほんま、誰に見せるんやこの自伝笑)
②に続く
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