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本と私のおはなし/エッセイ①(仮)

最近よく本を読む。もともと読書は好きだった。中学生の頃はライトノベルを読みあさって空想の世界に入り浸っていたし、高校生の頃は有川浩さん、米澤穂信など、好みの作家に出会い、友達と感想を言い合ってはギャーギャー騒いでいた。

本当に楽しかった。ページをめくるたび、新しい風が吹き込んでくるような感覚。文字が頭の中を鮮やかに彩り、その世界のにおいさえも感じられるようだった。頭の中で広がる世界を絵に描いたりもした。「この人はきっと黒髪で…」「声はきっと低いんだろうなあ」こんな調子でのめり込んでいた。授業の休み時間になるたびに本を開きニヤニヤしている私を見て、ついにおかしくなったのかと友達は思っていたらしい(後日談)。途中で作品が映画化なんてされたもんなら、どっと落ち込んだ。いやそうじゃなーーーーい!!!とトレイラーを見ながら何度も叫んだ。

大学1年生。私を取り巻く環境ががらっと変わった。大学はすごい。周りがみんな大人に見える。難しい言葉をたくさん覚えた。小説よりも、専門書とか啓発本とか、いわゆる「オカタイ」本を読むようになった。それなりに面白かった。「こんな考えもあるのヨー!」と四方八方から言われている感覚。そのどれもが新鮮で面白かった。

大学2年生。私はこんなにも大好きだった本をあまり読まなくなった。嫌いになったわけではない。授業が忙しくなって必然的に自分の時間が減ったのと同時に、気持ちにも余裕がなくなっていたからだ。

…からだと最近まで思っていた。正確に言うと。

でもきっと違う。私は意図的に本を読まなくなったのだ。

***

私は本が好きだけど、本は私を好いてはくれない。どこまでも他人行儀だ。私が彼に何を言っても、彼は決して意見を変えない。何十年も、何百年も。困ったことに、ほんとに頑固なやつなんだ。

2年前まで、私は彼に依存していた。彼の言うことがすべて正しく聞こえる。いつも答えを教えてくれる気がする。そう、彼がいると私はとっても楽ちんだった。私はなにも考える必要がなかったからだ。彼は私のことなんか見向きもしなかったけれど、私には彼が必要だった。

…めちゃめちゃメンヘラな彼女みたくなってしまった。

気を取り直して。

大学生になって、いろんな人と出会って、いろんな価値観に触れた。そのたびに「ああ、そうか!」「確かに」と驚きがたくさんあった。どれもがキラキラしていて、新しくて、すてきに聞こえた。でも同時に、私は彼を遠ざけるようになった。この世界の正しさが分からなくなったからだと思う。

この時期は、本を読むたびモヤモヤした。「なぜ、こんなにはっきり言い切れるのだろう」意見を一方的に押しつけられているような気がして、苦しかった。たくさんの価値観を吸い込めないほど吸収して、ついに穴が開いてしまったようだった。貯め込んでいた価値観が、開いた穴から次々と流れていった。当然、最後には何も残らなかった。

「正しさ」はヒトの数ほどある。それは知ってる。

けど、私は自分なりの「正しさ」を持っていなかった。

***

丈夫なコップがないと水がこぼれてしまうように、自分の「正しさ」がないと、吸収したモノはすべて流れていってしまう。本はあくまで、著者の「正しさ」を紹介しているだけだ。それが私にとっても正しいとは限らない(そうでないことの方が多い)。

ヘルマン・ヘッセの言葉で大好きなセンテンスがある。

書物そのものは、君に幸福をもたらすわけではない。ただ書物は、君が君自身の中へ帰るのを助けてくれる。

本が私たちにくれるのは、ひとつの拠り所。それ自体が私にとっての「正しさ」や「幸福」ではない。ただヒントを与えてくれるだけなんだ。


大学3年生。私にとっての「幸福」や「正しさ」は、まだハッキリと見つかったわけではない。でも断片的に、ちょっとずつ見えてきたような気がする。

そして私はまた本を読むようになった。毎日ちょっとずつ。良い距離感を保ちながら。

今後の執筆活動やデザイン・アート活動の糧にさせていただきます。いつか絶対に恩返しするために。