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一周まわったら坊ちゃんだった

人生で3度『坊ちゃん』を読んだ。
本当はもっと読んでいるかもしれないけれど、10代の頃の記憶なんてもはやあてにならない。

若い頃は「暴れん坊」だと思った。
40代で読んだときは「めんどくさいヤツ」。
そして、51歳で3度目に読んだ今回、普通の「若者」にしか見えなかった。

坊ちゃんに対する発達障害疑いは、どこかで目にした。
発達障害の子どもを持つと、同様の子に対する意識が変わるのは、人間だから、まあ。
うちの息子にADHD(注意欠陥多動性障害)の診断が出たのがここ一二年のことなので、それくらいから私の世界も変化している。
ひとなみに。

で、『坊ちゃん』。
冒頭から、自分の生きづらさを100%親のせいにしていたり、他人の善意が読めなかったり、まあ大変な子やね、という感じ。
発達障害は遺伝性なので、親のせいっちゃそうなんだけど、でも親にそれらしい記述もなし。
どういうことやねん。

早逝した母親由来かとも思ったけど、明治男にとっての親って、イコール父親なんじゃないかと推測する、家父長制。
それとも、父親の醜聞をあれこれ書かないことが、坊ちゃんの男気なのかもしれない。
まっすぐな性格やし。

と、読んでいる間に『鬼滅の刃』の16巻を読む。
所用で出かけた際に、子どもが所望するマンガをちびちび買って帰っていて、お土産持参で帰るなんて昭和のお父さんやけど、私はお母さんなので、下手をすると子どもより先に読んでいる。

で、『鬼滅』の主役・竈門炭治郎。
素直なとてもいい子なので、ほとんど近所のおばちゃんの如く好きなんだけど、自分の弱さ・醜さを隠したりしないで、まっすぐに告白するあたり、あれれ? と思ったんだわ。
この子のまっすぐさ加減、坊ちゃんに相通じるところがあるんじゃないかい?

だとしたら、炭治郎はいい子で、坊ちゃんはめんどくさいヤツになるのって、単純に周囲の問題では?
鬼殺隊のメンバーは善人ばかりで、少年ジャンプゆえのファンタジーさを感じるのに比べ、坊ちゃん赴任先の中学校は、忖度要求者ばかりで、人間社会の醜さそのもの。
ま、相手のことを想う炭治郎と、「自分ならこう思う」しかない坊ちゃんとでは、そもそも同次元で考えるべきではないのかもしれないけれど。

でも。
それでも『鬼滅』の人気が出たのは、まっすぐな人柄の隣人じゃないと、安心して生きていけない世の中になったからかもなあ、とコロナ禍を思う。
だから、学校内政治に明け暮れる赤シャツらを憎々しく思う坊ちゃんが、普通の若者に見えてきたとも言える。

ま、暴力はいけません。
あれは、ない。擁護できない。
あれさえなけりゃ、いい若者になるんだけどなあ、どこまでいっても普通の若者。

そんなことを考えながら、作品それ自体より、作品を読む人々に視点が向いていることを感じずにはいられない。
だから、小説について語る資格なんてないんだよなあと思いつつ、でもやっぱり漱石面白いじゃんってなる、中途半端さよ。
文学としての面白さと、メンター探しは、なかなか両立しないけれど、今日もみんな生きている。



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