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【読書記録】倉本一宏さんの『皇子たちの悲劇 皇位継承の古代日本史』を読んだ話。

倉本一宏さんの『皇子たちの悲劇 皇位継承の日本古代史』を読みました。

倉本一宏さんと言えば、NHK大河『光る君へ』の歴史考証をされている方ですね。って、そこで私は初めてお名前を知ったんですが。
今、旬な方といえばそうなので、たくさん著作を出されているものの、平安朝がらみの本は、図書館でも軒並み予約待ち状態です。

で、借りれたのが、これ。『皇子たちの悲劇 皇位継承の日本古代史』。
花山天皇について知りたかったんですよ。

実は私、高校時代は花山天皇を「はなやま天皇」だと思っていました……。
だって村上天皇は「むらかみ天皇」じゃん。「そんじょう天皇」じゃないじゃん。「かざん」って火山を連想するじゃん。まあ、平安朝に火山という言葉はなかったでしょうけど。


古代日本の枠組み

それはさておき、あらためて読んでみると、日本古代史ってめちゃくちゃ範囲が広くない? 少なくとも5世紀ぐらいから11世紀までが、古代のくくりってことですよね?
中国史で考えると、五胡十六国時代から宋までですよ。長い唐代もぐるっと入ってる。長すぎでは?

そう思いながら読んだんですけど、なんだろうな、律令制を取り入れたりなんだりはあったものの、ヤマト王権からの政治中枢の仕組みに、根本的な部分で変化ってなかったのかなと、そんな感想を持ちました。

賢かったりやる気があったりする天皇が、絶対的権力者として専制政治をしようとするものの、そもそも集団経営が国家の仕組みとしてあったもんだから、既得権益を奪われかねない集団(豪族・貴族)からは疎まれ、時に排除される。自分たちに都合のいい旗印としての天皇(大王)に、挿げ替えられる。
600年間、そういうことが繰り返されていた……というのが、悲劇の皇子を産み続けた原因の一つだったようです。

古代日本の権力者たち

考古学的証拠と『古事記』『日本書紀』の記述との整合性の取れない時代の天皇については、歴史学的見解では、存在の確証が認められないものとされており、私もその意見に同意します。
7世紀に4世紀5世紀のことを記録しましたと言っても、日本に文字はなかったわけだから、直接体験した人たちが不在の時代のことなんて、正確に残せるわけないし、時の権力者(朝廷)からしてみれば、民衆に対しても外国に対しても、華々しい歴史を捏造したって損はないですからね。
国力でも文化レベルでも、隋や唐には全然かなわない。律令制度もない未開国と馬鹿にされる一方。ならばちょっと歴史を盛って、こっちだって文明国だという顔をしなけりゃ、対等に外交なんかできやしない。というのは、賢明な判断だと思います。

事実、仁徳天皇陵とされていた大仙古墳の年代と、記述上の仁徳天皇の時代が合わないなど、仮にその時代の権力者がいたことは事実としても、『古事記』『日本書紀』とは違うんじゃないか、ということです。
この辺は河内春人さんの『倭の五王』にもありましたね。

古墳の年代的には、同時期に二つの有力者集団が存在したことがうかがえるので、継体天皇以前の天皇たちって、記述上は親子や兄弟の関係とされていても、いわゆる盃を交わした間柄だったり、自称だったり、そういう想像もさせてしまうほど、確かな証拠は何一つない。悔しい。悲しい。
中国だって二里頭遺跡が出てくるまでは、夏王朝の存在は全否定されていたし、今でも疑問符がついたままであくまで伝説の域を突破できていないのだから、文化人を自認したければ、考古学的証拠が出ない限り、伝説の域にとどまるしかないですね。欽明天皇より前には、伝説の雲がかなりかかっている模様。

大王(天皇)位に対する、当時の人々の意識の変化

そもそも律令制を導入したころまで、大王(天皇)位というのは、30代の健康で有能な男子に継承されていたようです。(そして母は有力者の娘に限る)

ま、当然っちゃ当然ですね。
古代の、生きていくのに過酷な環境下では、体力と統率力がまず第一。農業をやる上でのもめごと(水争いとか)を的確に収められる人物こそが、リーダーにふさわしい。体格がよく、健康で、野生動物なども仕留められる、そういうことを考えたら、20代では心もとなく40代では頼りにかける、30代こそベストというやつです。

だから、兄弟相続が多かったし(敏達、用明、崇峻はみな兄弟)、厩戸王子は若すぎたから推古を挟んだわけですね。(ただ、推古より先に厩戸が死んでしまい、孫世代の欽明に大王位が移ることになる)

天智天皇も、まず弟の大海人皇子が即位して、その後、自分の娘たちが大海人皇子と結婚して生まれた子どもが皇位に着くと目算していただろう、とのことです。
大友皇子は天智の息子だけど、母親の身分が低いゆえに、最初から継がせるつもりはなかったんじゃないかと……。後ろ盾となるべき豪族たちの賛同を得られないから。むしろ、大海人皇子の娘と結婚して、生まれた王子を即位させて後見役になるとか、そっちだろうと踏んでいたとのこと。
そう考えると、親(天智天皇)の冷静な判断力が、子(大友皇子)に遺伝しなかった、ということですかね。

でまあ、その冷静な父親の読みを無視して、あくまでも自分の息子(皇子)に皇位を譲ろうと画策したのが娘の持統天皇。
息子の草壁皇子が先に亡くなってしまうと、孫の珂瑠王(草壁皇子の子、のちの文武天皇)を天皇にするために、30代成人男性という天皇即位の条件より直系子孫であることを重視するようにしてしまったと。

自分が産んだ子って、確かにかわいいですよね。そりゃ。
孫ならなおさらかわいいでしょうね。
公私混同なんですけどね。

ただ、もともと皇位(大王位)継承にまつわる血みどろの戦いはあったものの、持統天皇も次々に政敵となりそうな皇子を排除していったことで、有力な皇子がどんどんいなくなった。で、皇位継承者を二世王(天皇の孫)に広げたことから逆に対象者が増え、諸王が政争の道具とされるようになり、更に犠牲者が増える。
生き延びるために、二世王たちは痴れ者のふりをしたり、政治に無関心であることを装って、白羽の矢が立たないように努めた。

そうやって努力しても、内紛で皇統がどんどん消されて死滅していくから、最初は見向きもされなかった皇子の子孫でかろうじて生き延びていた子が、棚からぼた餅的に即位したりするわけですね。光仁天皇とか。

なんだろうなあ。古代日本って、ずるずるとゆるゆると変化していった時代のように思えます。
ヤマト王権とか、律令制の前後とか、摂関政治期、院政期など、時代を区分する言葉があって、確かに区分どおりに朝廷は変化しているんですが。
明治以降の近代化や戦後の復興・民主化が、あまりに急激になされたから、余計にゆるく見えるのかもしれない。
本来、日本人て、水がしたたり落ちるようにしか変化できない民族なのかもしれませんね。(トリクルダウン理論、好きだしね)

悲劇の皇子たちと后たち

この本は、古代の悲劇の皇子をまとめている本で、だからこそその範囲が広すぎて、読んだ後にやたらと無常観ばかりが残る……という部分はあります。
一つ一つの時代やひとりひとりの皇子を中心にして、もっと深く読みたい! という意見があってもおかしくない。ちょっとこの本は、悲劇の皇子ファンブックと化してる気もしないでもない。

ただ、この本だから見えてくることもあります。

天皇の后が必ず子(特に男子)を産まなきゃいけないって、歴史的に見てもかなり難問だよ?
子に恵まれなかった后や天皇が、いったい何人いると思ってる?

我々は皆、無意識下で雅子皇后を追い詰めたわけだし、少子化対策のもとで国家から産むことを圧迫されてる側でもあるわけだから、ちょっと立ち止まってみようよ、とも思うわけです。

周りが子どもを産めと望むのは簡単なんだよ。でも、子どもって授かりものじゃん。産みたいと本人たちがどんなに望んだって、授からないときもある。
それに今だと教育費がすごくかかるから、おいそれと産めない。まして産むのは命がけ。産んでからは一生責任が伴う。産んで後悔したって、その責任から降りることはできない。そして責任は支配じゃない。それを理解しなければ虐待につながる。

皇子たちが、なるべく目立たぬようにひっそりと生きていったといのも、今の若者みたいな気がします。人権無視な職場で無益な仕事を押し付けられないように、コスパとタイパを考えて省エネで生きる。皇子たちが政治より芸術や学問に興味を示したように、趣味や副業に精を出す。

そう考えると、なんとかしなきゃとも思うわけですが。
漂う無常観。
社会の変化は内から起こるものじゃなきゃだめじゃん(意訳)! と夏目漱石さんも言ってましたけど、ひとりひとりが平和で健康で文化的な生活がおくれるように、声を上げ続ける必要だけはありますな。

と、哀しいまでに、読書から学びをひねり出してしまう現代人がここにあるのでした。
ありがとうございました。


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