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“仏教”と“禅”がよくわかるおすすめの5冊|齋藤孝「大人のための読書案内」(2)

弊社では過去の作品の電子書籍化に取り組んでいます。この度、今に通じる普遍的なテーマを掲げる本書「何から読めばいいか」がわかる全方位読書案内を電子書籍化しました。ここでは宣伝も兼ねて、その内容をちょっとずつご紹介していきます。2回目は、「仏教」と「禅」について。

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 仏教の本は山ほどあるのですが、とにかく大枠を知りたいときには図解 ブッダの教え(田上太秀監修、西東社)がおすすめです。ブッダの弟子の10人はどんな人だったかとか、ガウタマ・シッダールタがどう悟りを得たかとか、基本的な教えはどういうものかなど、図解で詳しく記されています。

 日本の多くの文化は、仏教の中でも禅を中心にして成り立っています。そのことが描かれているのが禅と日本文化(鈴木大拙、北川桃雄訳、岩波新書)。著者の鈴木大拙が、外国人向けに禅とは何かを英語で講演し、それが翻訳されたものなので、かえって今の日本人にはわかりやすい内容でしょう。

 大拙は、日本の禅文化を海外に向けて知らしめた仏教学者。無心ということ(鈴木大拙、角川ソフィア文庫)には、彼が東洋思想の軸ととらえる「無心」について書かれています。日本人なら「無心」という言葉は誰もがなんとなく意味がわかるでしょうが、その境地について解き明かしてくれます。

「『我』というものをもちながら、我は我、人は人ということがありながら、そこに人も離れ、我も離れたところの世界を見るということにしなければならないのである。そこに初めて無心の体得があるわけである。」(193ページ)

 体得が重要なわけです。「無意味の意味に生きることが、いわゆる無心の境涯」(195ページ)とは、深い言葉です。

 もう一冊、禅についてのユニークな本弓と禅(オイゲン・ヘリゲル、稲富栄次郎・上田武訳、福村出版)を紹介しましょう。著者のオイゲン・ヘリゲルというドイツ人が、弓を通して禅を会得していく実体験が描かれています。師匠である日本人と、ヘリゲルのやりとりが、とにかく美しくておもしろい。

 弓とは、意識して弓矢を離すものではない。自然に離れるようにしなければいけないとヘリゲルは教わります。ところが、彼は的に当てたくなってしまいます。「もう、的を射らせてください」と言うと、師匠は「いやいや、的に当たるとか当てないとかではない」と問答になる。ヘリゲルは「私が矢を放つ」なら理解できるのですが、「矢が離れる」ということをうまく理解できません。「では、『私』ではないとすれば『誰』かが射るのでしょうか?」と質問すると、師匠は「『それ』が射る」と答えます。またヘリゲルが「それとは誰ですか?」と質問する。「それがわかったときには、あなたは私を必要としません」という会話が続きます。

 ある日、ヘリゲルが一射すると、師匠は丁重にお辞儀をして稽古を中断し、「今しがた『それ』が射ました」と言います。無心になって弓を引き絞ったとき、満を持して熟した果実が落ちるように、矢が的に向かっていった。師匠はそれにお辞儀をしたのです。弓と禅との関係が非常によくわかる話です。

 現代では、ほとんどの人が弓を射ることなどないと思いますが、ゴルフを楽しんでいる人は多いでしょう。ゴルフに禅の考え方を取り入れているのが、ゴルフ「ビジョン54」の哲学──楽しみながら上達する22章(ピア・ニールソン、リン・マリオット、ロン・シラク、村山美雪訳、ちくま文庫)です。54という数字は、すべてのホールでバーディを取ったときの数字。この本には、ゴルフをしながら、どうしたら無心に近づいていけるのかが記されています。「これを入れなければ」と思うと固くなる。しかし、常に今のショットだけに集中して攻めの気持ちを持ち続けることで、ポジティブに心が解放され、無心になるのだとわかります。

ウェッジ様 齋藤孝 写真 正面 ブルーネクタイ

齋藤孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授。1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て現職。専門は、教育学、身体論、コミュニケーション論。『1日1ページ、読むだけで見につく日本の教養365』(文響社)、『友だちって、なんだろう?』(誠文堂新光社)等、著書多数。

――本書では、歴史、思想、日本文化、仕事、科学と大きく5つのパートに分けて、317冊に及ぶ膨大な良書が紹介されています。齋藤孝先生のナビゲートならではの「現実」と「教養」をつなぐ読書体験を、ぜひご堪能ください!

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