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天竺に向かう途上で命を落とした真如親王の夢──西山厚『語りだす奈良 1300年のたからもの』

2014年まで奈良国立博物館で学芸部長をつとめ、正倉院展など100以上の展覧会を運営してきた西山厚さん。その西山さんが、奈良の文化財や史跡、伝統行事などを手がかりに、仏教が根付いた奈良の真髄をやさしく解説した新刊『語りだす奈良 1300年のたからもの』(2024年5月21日発売、ウェッジ)よりお届けします。

斉衡さいこう2年(855)5月23日、東大寺の大仏の頭が落ちた。相次いだ地震のためと思われる。大仏復興は真如しんにょ親王しんのうが担当することになった。

真如親王は平城へいぜい天皇の第3皇子で、出家する前は高丘たかおか親王といった。

平城天皇が譲位し、弟の嵯峨天皇が即位すると、11歳で皇太子になった。しかし平城上皇が都を京都から奈良に戻そうとして騒動(「薬子くすこの変」)が起きると、皇太子をやめさせられてしまう。

24歳で出家。東大寺に住み、道詮どうせんに師事して三論宗を学んだ。さらに空海の弟子にもなった。

大仏の復興にあたり、真如親王は、天下の人々に「一文いちもんの銭、一合の米」を論ぜず、無理なく協力してもらおう、小さな力をたくさん集めて復興するという方針を立てた。これは奈良時代の聖武天皇と同じ考え方で、のちに大仏を復興する重源ちょうげん上人しょうにん公慶こうけい上人にも受け継がれていく。

6年後の貞観じょうがん3年(861)に大仏復興はなり、3月14日に開眼会かいげんえ(魂を入れる儀式)がおこなわれた。その日は全国の国分寺・国分尼寺でも法会ほうえが開かれ、集まった人々に、なぜこのようなことをおこなうのか、その理由がしっかり説明された。開眼会の前後は生き物を殺すことが禁じられた。これらも真如親王の意向によるものだった。

大仏の復興がなると、真如親王は、全国の山林聖地を巡りたいと朝廷に願い出る。

出家して40余年にもなるのにまだ一事も成し遂げていない、残り少ない人生をそんなふうに過ごしたいというのが理由だった。

そのあと南海道(紀伊・淡路・四国)に赴いた形跡があるが、6月には唐へ向かう。

貞観3年(861)6月19日、真如親王は奈良を出て南へ進み、巨勢寺こせでら(御所市に寺跡がある)に入って、そこで20日を過ごす。

巨勢寺跡

同行した伊勢興房おきふさの記録によれば、巨勢寺には南都七大寺の僧侶が多く集まってきて、別れを惜しんだ。

難波津なにわづから船で九州へ。そこで新たに船を建造し、9月3日、総勢60人で唐へ出発した。真如親王は64歳だった。船旅は順調で、4日後に明州めいしゅう(現在の寧波ニンポー)に着いた。

そのあと越州、杭州、揚州、泗州ししゅう、洛陽などを経て都の長安に入ったが、師の道詮におよぶ人はいない、唐では仏教の疑義を解明できないという結論に達した。

そこで、天竺てんじく(インド)へ行く許可をもらい、大半の人々を帰国させて、4人で広州から天竺へ向かって船出したが、消息はそこで途絶えた。

やがて、真如親王が羅越国で亡くなったという情報が伝えられた。羅越国らえつこくとは現在のシンガポールあたり。のちには虎に食べられたと言われるようになるが、まったく信憑性はない。病気で亡くなったのだろう。

澁澤龍彦しぶさわたつひこさんの『高丘親王航海記』は、フィクションだが、それゆえに真如親王の真実に迫る傑作。この本では、病んで死期の近いことを悟った真如親王が、羅越国と天竺を往復する虎にみずから進んで喰われ、虎の腹の中に入って天竺に至ろうとする、驚きの結末となっている。

ところで、建保7年(1219)、鎌倉幕府三代将軍の源実朝は、鶴岡八幡宮で殺された。実朝には27歳の妻がいた。彼女はそれからどうなったのか。53年後、80歳になった彼女(尼になっていた)が書いた置文おきぶみ(遺言)に、真如親王が登場する。

真如親王が命を捨ててまで仏法をひろめようとしたのは利益りやく衆生しゅじょう(生きとし生けるものを幸せにする)のため。真如親王は三論宗の僧。だからこの寺では三論宗を学ぼう。生まれ変わっても利益衆生をめざしていきたい。

亡くなって400年後に、このような女性が現れたことを知れば、天竺に至る夢は実現しなかったが、真如親王の亡き魂もきっと癒されたに違いない。

(2022年4月13日)

文=西山厚

奈良で暮らし、奈良を愛してきた著者ならではの “奈良学” が満載の本書『語りだす奈良 1300年のたからもの』(西山 厚 著、ウェッジ刊)は、全国の書店およびネット書店にてお求めいただけます。

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西山厚(にしやま・あつし)
奈良国立博物館名誉館員、東アジア仏教文化研究所代表、帝塚山大学客員教授、半蔵門ミュージアム名誉館長。徳島県生まれ。京都大学大学院博士課程修了。奈良国立博物館で学芸部長として「女性と仏教」など数々の特別展を企画。奈良と仏教をテーマに、生きた言葉で語り、書く活動を続けている。主な編著書に『仏教発見!』(講談社新書)、『仏像に会う 53の仏像の写真と物語』、本書シリーズ『語りだす奈良 118の物語』、『語りだす奈良 ふたたび』(いずれもウェッジ)など


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