春夏秋冬を愉しむ~鴨長明に学ぶ無理をしない生き方|『超約版 方丈記』(2)
大自然に溶け込む歓び
四季の移ろいに心躍る
~ みづから休み、みづから怠る ~
春には、藤の花を愛でる。
春爛漫といわんばかりに庵のそばに咲き乱れる藤の花房は、まるで春空にたなびく紫雲のようで、えもいわれぬ美しさが、西方に匂い立つばかりである。
夏になれば、郭公のさえずりにじっと耳を傾ける。
郭公が鳴くたびに、心の奥で「しかるべきときが来たら、死者の霊魂が往き来する冥途の山路の道案内をよろしく頼むぞ」と呟いて、郭公と約束を交わしている私なのである。
秋が訪れると、ヒグラシの声が耳にあふれ返るようになる。
その鳴き声が、私の耳には、空蝉(蝉の抜け殻)のように空虚なこの世を嘆き悲しんでいるかのように聞こえてならない。
冬は、雪をしみじみと眺める。
雪が音もなく降り積もったり、だんだん溶けて消えていく様は、思うに、罪を犯した者の心情の推移に喩えても、あながち間違いというわけではなかろう。
* * *
出家した身の日常に念仏は欠かせないが、時には念仏に身が入らないこともある。
そんなときは、決して無理をしない。
早い話が、勝手に休み、勝手になまけているのだ。
いつどこで何をしようが、妨げる者は誰もいない。
見られたら恥ずかしいと思うような相手もいない。
だから、快適そのものである。
* * *
ことさら無言を貫き通そうとして、意地を張っているわけではない。
だが、人里離れた山中にたった一人で暮らしていると、当然ながら余計なことはいわないから、口禍を招く懸念もない。
必要以上に自分を厳しく律して禁戒を死守しようと頑張らなくても、そうする必要のない環境なら、何ら問題はないのである。
ゆっくりと流れる時間のなかで、私の心はゆったりと憩い、春夏秋冬の興趣を楽しんでいるのだ。
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