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春夏秋冬を愉しむ~鴨長明に学ぶ無理をしない生き方|『超約版 方丈記』(2)

「ゆく河の流れは絶えずして……」の出だしで知られる『方丈記』は、命のはかなさを川面に浮かんでは消えゆくうたかたに喩え、鴨長明かものちょうめい独自の「無常観」を表した作品として知られています。
そんな名作が800年の時を経て、いま再び注目されています。それは令和に入り、コロナ禍で昨日まで元気だった人が今日はあの世へ旅立つ「無常の時代」に直面したからです。
おまけに国内では地震、暴風、豪雨、土石流などの自然災害が頻発し、国外を見れば戦争が勃発。長明が描いた平安末期から鎌倉初期の時代に非常に酷似しているのです。
今回は、長明が自然を愛でながらゆったり生きることの大切さを説いた箇所の現代語訳を『超約版 方丈記』(ウェッジ刊)から抜粋してお届けします。

超約版 方丈記ウェッジ刊
鴨長明(著),城島明彦(翻訳)

大自然に溶け込む歓び 
四季の移ろいに心躍る 

~ みづから休み、みづから怠る ~

春には、藤の花を愛でる。

春爛漫といわんばかりに庵のそばに咲き乱れる藤の花房は、まるで春空にたなびく紫雲のようで、えもいわれぬ美しさが、西方に匂い立つばかりである。

夏になれば、郭公のさえずりにじっと耳を傾ける。

郭公が鳴くたびに、心の奥で「しかるべきときが来たら、死者の霊魂が往き来する冥途の山路の道案内をよろしく頼むぞ」と呟いて、郭公と約束を交わしている私なのである。

秋が訪れると、ヒグラシの声が耳にあふれ返るようになる。

その鳴き声が、私の耳には、空蝉(蝉の抜け殻)のように空虚なこの世を嘆き悲しんでいるかのように聞こえてならない。

冬は、雪をしみじみと眺める。

雪が音もなく降り積もったり、だんだん溶けて消えていく様は、思うに、罪を犯した者の心情の推移に喩えても、あながち間違いというわけではなかろう。

* * *

出家した身の日常に念仏は欠かせないが、時には念仏に身が入らないこともある。

そんなときは、決して無理をしない。

早い話が、勝手に休み、勝手になまけているのだ。

いつどこで何をしようが、妨げる者は誰もいない。

見られたら恥ずかしいと思うような相手もいない。

だから、快適そのものである。

* * *

ことさら無言を貫き通そうとして、意地を張っているわけではない。

だが、人里離れた山中にたった一人で暮らしていると、当然ながら余計なことはいわないから、口禍を招く懸念もない。

必要以上に自分を厳しく律して禁戒を死守しようと頑張らなくても、そうする必要のない環境なら、何ら問題はないのである。

ゆっくりと流れる時間のなかで、私の心はゆったりと憩い、春夏秋冬の興趣を楽しんでいるのだ。

作家・城島明彦氏が現代語訳を行った超約版 方丈記(ウェッジ刊)は、ただいま全国主要書店・ネット書店にて好評発売中です。

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<本書の目次>
第一章 天災と人災
第二章 方丈の庵に住む
第三章 いかに生きるべきか
「方丈記」原文(訳者校訂)
解説

原作者:鴨長明(かものちょうめい)
平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。建暦2(1212)年に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。下鴨神社の正禰宜の子として生まれるが、出家して京都郊外の日野に閑居し、『方丈記』を執筆。著作に『無名抄』『発心集』などがある。

訳者:城島明彦(じょうじま あきひこ)
昭和21年三重県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。 東宝を経てソニー勤務時に「けさらんぱさらん」でオール讀物新人賞を受賞し、作家となる。『ソニー燃ゆ』『ソニーを踏み台にした男たち』などのノンフィクションから 『恐怖がたり42夜』『横濱幻想奇譚』などの小説、歴史上の人物検証『裏・義経本』や 『現代語で読む野菊の墓』『「世界の大富豪」成功の法則』 『広報がダメだから社長が謝罪会見をする!』など著書多数。「いつか読んでみたかった日本の名著」の現代語訳に、『五輪書』(宮本武蔵・著)、『吉田松陰「留魂録」』、『養生訓』(貝原益軒・著) 、『石田梅岩「都鄙問答」』、『葉隠』(いずれも致知出版社)がある。


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