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生月島の夜 林家彦いち(落語家)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2023年1月号「そして旅へ」より)

 隙を見ては旅に出る。仕事のついでに寄り道することもあれば、思いつきで飛び出すこともある。何はなくとも好奇心。ソロキャンプも好きで30年ほどやっているが、今回は噺家仲間3人でのキャンプ旅。場所は長崎県の生月島いきつきしま。地図で見て何となく地形が気になった場所。陸路で行けるのもよい。

 平戸市に入り市街を過ぎ西へ向かう。僕が幼少期を過ごした鹿児島県の長島ながしまちょうに似た風景が広がる。生月大橋が見えてきた。島に入るとすぐに「あごだしラーメン」という看板があった。何だか堂々とした島だ。何か盛んな産業があるに違いないと尋ねたら、かつて捕鯨や巻き網漁業で財を成した豊かな島だった。

 役所に施設利用の届けを出し、北部の「さき野営場」へ向かう。日本最西端のキャンプ場らしい。東西がどーん! と開けている。この断崖絶壁の上にある広い芝生一帯が御崎野営場。区画化されたキャンプ場とは全く違う。管理棟も、売店やレンタル用品もない。シャワーはあるが水のみ。照明も必要最低限。清々すがすがしい。

 我々3人に福岡からのおじさまが合流して4人に。翌日もソロの方が犬連れでいた。一人旅に人気なのもわかる。

 崖の上なのでテーブルマウンテンのような高揚感もある。ただ、傾斜しているのでテントを張る場所を吟味しなければならない。テントは一人ひと張り。誰もいないので離れて広々と張った。寝ても座ってもどの位置からも抜けの良さが抜群。燃えるような夕日がゆっくり西の海に沈むと、同時に東の水平線から明るい月がひょこり顔を出す。この日は満月の翌日だった。スーパーの食材で具沢山焼きちゃんぽんを作って頬張り、焚き火をし、酒を飲みながら仲間と月を眺めた。

 時として怖い話になることがある。これが厄介なのだ。噺家仲間だからみんな実に上手いのだ。就寝後の夜中3時頃、飲みすぎたせいか用を足そうとテントから出た。すると、何やらうめくような叫ぶような声が。そっと近づくと誰もいないはずの真っ暗な女子トイレからその声が聞こえてきた。えっ、女性はいないし……何なのか? こんな夜中に。怖くなり急いでテントに戻った。

 翌朝、朝日を浴びながらホットサンドとコーヒーでの朝食時、噺家の先輩が「オレ夜中にさぁ、トイレに行ったら男子トイレが壊れていて、女性がいないし女子トイレを借りることにしたんだ。でも照明のけ方もわからないんで、暗がりの中、月明かりを頼りに用を足していたら想定外のところに鏡があって、鏡の中で何か動くんで、怖くなって何度も声をあげちゃったよ」と。うっすら鏡に映る自分に驚いたというのだ。

「えっ、アニさんだったんですか!」

 驚きと安心が同時にやってきた。その夜は月明かりの下、トイレ事件で大いに笑った。翌日は目の前の海で釣り三昧。そしてこの島は隠れキリシタン信仰が今もなお続いている珍しい島だということを知る。想定外の面白さや発見があるから旅はやめられない。

 帰りに「あごだしラーメン」を胃袋に入れた。これまた予想を超える美味しさだった。

文=林家 彦いち イラストレーション=駿高泰子

林家 彦いち(はやしや・ひこいち)
落語家。1969年、鹿児島県生まれ。1989年、林家木久蔵 (現・木久扇)へ入門。2002年、真打昇進。新作落語を得意とし、都内の寄席や落語会、メディアと多方面で活躍中。一方で大のアウトドア好きとしても知られ、世界の秘境を旅して回っている

出典:ひととき2023年1月号

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