生月島の夜 林家彦いち(落語家)
隙を見ては旅に出る。仕事のついでに寄り道することもあれば、思いつきで飛び出すこともある。何はなくとも好奇心。ソロキャンプも好きで30年ほどやっているが、今回は噺家仲間3人でのキャンプ旅。場所は長崎県の生月島。地図で見て何となく地形が気になった場所。陸路で行けるのもよい。
平戸市に入り市街を過ぎ西へ向かう。僕が幼少期を過ごした鹿児島県の長島町に似た風景が広がる。生月大橋が見えてきた。島に入るとすぐに「あごだしラーメン」という看板があった。何だか堂々とした島だ。何か盛んな産業があるに違いないと尋ねたら、かつて捕鯨や巻き網漁業で財を成した豊かな島だった。
役所に施設利用の届けを出し、北部の「御崎野営場」へ向かう。日本最西端のキャンプ場らしい。東西がどーん! と開けている。この断崖絶壁の上にある広い芝生一帯が御崎野営場。区画化されたキャンプ場とは全く違う。管理棟も、売店やレンタル用品もない。シャワーはあるが水のみ。照明も必要最低限。清々しい。
我々3人に福岡からのおじさまが合流して4人に。翌日もソロの方が犬連れでいた。一人旅に人気なのもわかる。
崖の上なのでテーブルマウンテンのような高揚感もある。ただ、傾斜しているのでテントを張る場所を吟味しなければならない。テントは一人ひと張り。誰もいないので離れて広々と張った。寝ても座ってもどの位置からも抜けの良さが抜群。燃えるような夕日がゆっくり西の海に沈むと、同時に東の水平線から明るい月がひょこり顔を出す。この日は満月の翌日だった。スーパーの食材で具沢山焼きちゃんぽんを作って頬張り、焚き火をし、酒を飲みながら仲間と月を眺めた。
時として怖い話になることがある。これが厄介なのだ。噺家仲間だからみんな実に上手いのだ。就寝後の夜中3時頃、飲みすぎたせいか用を足そうとテントから出た。すると、何やらうめくような叫ぶような声が。そっと近づくと誰もいないはずの真っ暗な女子トイレからその声が聞こえてきた。えっ、女性はいないし……何なのか? こんな夜中に。怖くなり急いでテントに戻った。
翌朝、朝日を浴びながらホットサンドとコーヒーでの朝食時、噺家の先輩が「オレ夜中にさぁ、トイレに行ったら男子トイレが壊れていて、女性がいないし女子トイレを借りることにしたんだ。でも照明の点け方もわからないんで、暗がりの中、月明かりを頼りに用を足していたら想定外のところに鏡があって、鏡の中で何か動くんで、怖くなって何度も声をあげちゃったよ」と。うっすら鏡に映る自分に驚いたというのだ。
「えっ、兄さんだったんですか!」
驚きと安心が同時にやってきた。その夜は月明かりの下、トイレ事件で大いに笑った。翌日は目の前の海で釣り三昧。そしてこの島は隠れキリシタン信仰が今もなお続いている珍しい島だということを知る。想定外の面白さや発見があるから旅はやめられない。
帰りに「あごだしラーメン」を胃袋に入れた。これまた予想を超える美味しさだった。
文=林家 彦いち イラストレーション=駿高泰子
出典:ひととき2023年1月号
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