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懐かしの昭和家電。その華やかな歴史を写真で振り返る|第1話 テレビの歴史

お茶の間や居間、リビングなどと呼ばれる、家族が集まる部屋にはかつて、必ずと言っていいほどテレビがあった。小さな画面をみんなで食い入るように見た。夕食時、ご飯をぼろぼろこぼしながら見ていると、「どっちかにしなさい」と親に怒られたりもした。そこには温かいだんらんがあった。
いまや1人1台を超えて、脱テレビといわれる時代。新刊町田忍の懐かしの昭和家電百科をもとに、テレビの技術革新がもっとも華やかだった時代を、時系列で追ってみよう。

『町田忍の懐かしの昭和家電百科』(ウェッジ刊)

昭和28(1953)年 
テレビ登場

戦後8年で、テレビというニュー・メディアが日本にやってきた。新しく登場した「見えるラジオ」をひと目見ようと、大勢の人びとが街頭テレビに群がった。近所の家や銭湯にテレビを見にいったりもした。「貸しテレビ」もあった。

電子機器を製作する東大無線の7インチテレビ。テレビ放送開始の昭和27~28年製で、丸形のブラウン管を使用。まるでラジオのようだ(昭和ハウス所蔵)

シャープのテレビのチラシ。14インチで上が12万7000円、下は14万7000円。「生産合理化による低廉な価格」とある(昭和29年)

昭和30(1955)年ごろ 
4本脚が流行

テレビ台に乗せるのではなく、4本の脚で自立する「コンソレットタイプ」のテレビが流行。脚は取り外しができ、ネジで本体に差し込めるようになっているものが多い。次第に画面の横にスピーカーを配置した横長タイプがあらわれる。

日本ビクターの14インチ。「アメリカン スタイル」とあるスマートなデザイン。画面にはビクター専属だった雪村いづみが(朝日新聞・昭和32年6月17日)

コンソレット、ブラウン管の右にスピーカー、観音開きの扉付き。画面が19インチと大きく、リモコンの設定もあるので昭和30年代後半だろうか。

昭和32(1957)年 
チャンネル革命

それまでのガチャガチャ回すチャンネルを一新、押しボタン式チャンネルを採用したテレビが発売される。

世界初の押しボタン式テレビは、シャープから発売された「プロシオン」。「テレビ局の増加にそなえ」て11チャンネルある(朝日新聞・昭和33年3月21日)

昭和33(1958)年~ 
リモコン百花繚乱

世界初のテレビリモコンは昭和25(1950)年、アメリカでつくられた有線式だった。日本でも初期のリモコンは昭和33年に発売された有線タイプだったが、翌年には光で操作するリモコンが発売され、昭和40年代には赤外線や超音波、ピストル型や電話型などさまざまな方式・形状のリモコンが登場した。

ナショナルの有線リモコン付きテレビ。本体にも手で回すチャンネルはなく、リモコンの回転スイッチか本体の押しボタンで内蔵のモーターを操作、選局するという未来的なフィーリング(昭和36年・昭和ハウス所蔵)

松下電器の「完全自動調整」14インチ。上に受光器が載っている。ピストル型のリモコンで、電源オンオフ、選局が可能。価格は6万5000円(昭和30年代)


サンヨーの20インチカラーテレビのリモコンは、その名も「ズバコン」。超音波式なので、初期には高い音が鳴ると電源が落ちたり、チャンネルが回るといったエピソードも(昭和46年・昭和ハウス所蔵)

電話のダイヤルのように回して操作する超音波リモコンが付いていたのは、昭和47年発売のゼネラル「王朝」(昭和ハウス所蔵)

昭和34(1959)年 
小さなテレビ登場

それまで真空管を使っていたテレビをトランジスタで作れば、省電力化、小型化が大きく前進する。日本で初めてトランジスタ式テレビを作ったのは東芝で、昭和34年3月に発表された。ソニーは翌年にオールトランジスタの8インチテレビを開発、37年には5インチのマイクロテレビを発売し、アメリカで爆発的な人気を得たという。

昭和40年発売、松下電器の白黒10インチTR-10A(昭和ハウス所蔵)

テレビがポータブル化する時代に、松下電器は「お1人1台」がコンセプトの小型テレビを発売。「スピッツ」「テリア」などの愛称が付けられた(朝日新聞・昭和41年4月16日)

昭和35(1960)年 
高嶺の花だったカラーテレビ

テレビでカラーの本放送が始まったのは昭和35年。当時のカラーテレビは大卒初任給の数十倍の価格で、まさに「高値」であった。しかし技術の進歩と経済の拡大によりあっという間に値段が下がり、約10年後の昭和46年にはNHKのカラー契約数が1000万件を超えている。

シャープのカラー第1号機。21インチで価格は約50万円(昭和35年・シャープ提供)

こちらは松下電器のカラー第1号機。21インチのコンソールタイプ(昭和35年・パナソニックホールディングス提供)

三菱電機の「トリネスコープ」。光の三原色である赤、青、緑の3つのブラウン管が内蔵されていて、それらの画像を特殊なガラスでカラー画像として合成する。実際どのように映るのかは、昭和ハウスの動画チャンネル「ザ・昭和レトロチャンネル」で見ることができる

▼昭和レトロチャンネル

昭和40(1965)年ごろ~ 
時代を映す家具「調」テレビ

「嵯峨」「武蔵」「太陽」「日本」「高雄」「金剛」「音」「歓」……。その名も床しい家具調テレビが隆盛を誇った。銘木を使用し、豪華かつ大型、最先端の技術を投入した「高級テレビ」であった。

竹林をバックに立つ“人工頭脳テレビ”「嵯峨」。最終的にシリーズ累計で130万台を超えた人気機種は、まさにナショナルのフラッグシップ(朝日新聞・昭和43年6月30日)

凝った作りの「嵯峨」販促用燐寸(昭和40年頃)

ゼネラルの家具調テレビ「王朝」は家具調テレビとしては珍しい洋風タイプ。19インチでコンソールタイプと横長のローボーイタイプがある。キャビネットは高級チーク材で、スピーカーを3台使い、「グレースカラー」を謳う

昭和48年の町田家の茶の間
テレビはトリニトロン

ここまでテレビの登場から約20年の歴史をざっと振り返ってみました。庶民の生活の変化とともに、テレビ自体も、テレビとの付き合い方も大きく変わりました。庶民文化研究家の町田忍さんはこの時代のことを「人間とモノのバランスがよかった時代」と振り返っています。
「モノ」として愛された「家電」、家電を愛した庶民の暮らし、その移り変わりを町田忍の懐かしの昭和家電百科で振り返ってみませんか? そこにはもしかしたら未来へのヒントがあるかもしれません。

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