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人質は状況に合わせて取るものだ|『超約版 家康名語録』より(4)

この連載では、徳川家康の名言を厳選し、平易な現代語で解説した新刊超約版 家康名語録の内容を抜粋、現代を生きる私たちにも役立つ家康の考え方をご紹介します。NHK大河ドラマ「どうする家康」の第6話(2/12放送)では、今川家の重臣・鵜殿長照の子どもたちを捕らえ、人質の交換を申し出ることで、妻・瀬名を取り戻すことに成功しました。
ところで、家康は江戸幕府を築いたあとも、幕府への反逆を抑えるため、諸大名の妻子を人質に取っていました。ここでは、人質の取り方について家康が言及した言葉の真意を読み解きます。

超約版 家康名語録』(榎本秋 編訳/ウェッジ)

人質は状況に合わせて
取るものだ

『武功雑記』

家康の時代に始まり、江戸幕府の安定を支えたと考えられるものに証人(人質)制度がある。家康自身も織田や今川の人質だったことがあるのは既に見た通りだ。また、豊臣政権時代にも諸大名らの妻子を人質として取っている。江戸幕府もこのやり方を踏襲し、諸大名とその重臣は妻子や子弟を江戸へ送らせた。

その後、重臣の人質は取らなくなったが、大名の妻子は引き続き江戸に住むことになった。この制度が崩れたのは幕末、文久の改革で参勤交代が緩和された時のことで、幕府が諸大名を押さえ込む力を失っていることを満天下に示すことになったのだ。

さて、この人質制度について、家康が面白いことを言っているエピソードがある。曰く、「人質は状況に合わせて取るものだ。ずっと人質に取り続けていると、親子の間の情も薄れる。そうすると、人質としての価値は下がっていくものだ」というのだ。

人質にはいろいろな意味合いがあるが、大名にとって一番大事な家族を押さえ込むことで反逆させない、という意味は特に大きい。しかし、離れてしまえばその家族の関係は薄まる、だから人質の取りすぎはよくない、という。

実に鋭い指摘である。江戸幕府の場合、大名が参勤交代をするから定期的に妻子と会い、情を取り戻すことになる。そこまで計算していたのだろうか。

文=榎本 秋

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榎本 秋(えのもと・あき)
1977年東京生まれ。文芸評論家。歴史解説書や新書、評論や解説などを数多く手がける。代表作は『世界を見た幕臣たち』(洋泉社)、『殿様の左遷・栄転物語』(朝日新書)、『歴代征夷大将軍総覧』『外様大名40家』『戦国軍師入門』『戦国坊主列伝』(幻冬舎新書)、『将軍の日本史』(MdN新書)、『執権義時に消された13人』(小社刊)など。福原俊彦名義で時代小説も執筆している。

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