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恒例の伊勢参り 尾脇秀和(歴史学者)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2022年10月号「そして旅へ」より)

年に一度、赤福餅を食べたくなる。この伊勢名物は、友人たちとの旅の思い出と切り離せない。

 もう十年以上前のことである。私は同じ大学院の友人たちと、あちこちドライブに出かけていた。友人の運転するセダンに最大で男五人が同乗したから、なかなか窮屈な空間だった。けれどもあてもなく車を走らせて、とりとめのない話に興じて飽くことがなかった。

 時折日帰りの小旅行にも繰り出した。全員京都在住で史学専攻の院生だけに、行先は主に神社仏閣や名所旧跡だった。

 私にとって人生最初の伊勢参りも、この仲間で行った。目的は「伊勢で赤福氷が食べたい」という先輩の思いつきを叶えるためだった。これは赤福の餡や餅が入った抹茶味のかき氷で、伊勢神宮内宮ないくうの門前、おかげ横丁にある赤福の店で食べられる、夏限定の商品である。

 内宮は評判通りの人の多さだった。五十鈴いすずがわの河川敷が臨時駐車場になっていて、自動車が所狭しと並んでいた。そこから徒歩でおかげ横丁の人混みに飛び込み、赤福の順番待ちの列に並んだ。

 目的を達した後で内宮に参拝したが、折節おりふし残暑厳しい八月の、しかも通り雨の直後で、ひどい湿気のなかだった。長時間歩いて大いに草臥くたびれたが、友人たちとの雑談に時間を忘れて、全く楽しい思い出になった。彼らがいなければ、出不精で人混み嫌いの私が伊勢に行くことなぞ、おそらく一生なかっただろう。

 この年以来、仲間たちとの伊勢参りはほぼ恒例行事となって十年ほど続いた。昼食には鰻を食べて、くう・内宮の両宮に参拝するのが常となった。参拝時期は暑さを避けて十一月となり、冬限定の赤福ぜんざいを毎回食べた。普通の赤福餅も帰りの車内で食べ、帰宅した翌日には土産の赤福餅をまた食べた。その実は鰻と赤福餅を食べにいく旅でもあり、私は年に一度の楽しみにしていた。

 歓楽極まりて哀情多し。帰路はいつも物悲しさを覚えた。陽の落ちたドライブインに立ち寄って友人たちの後姿を眺めながら、今年が最後かもしれないな――と、いつからか思うようになった。

 繰り返される旅のなかで、私たちは年を取り、次第にそれぞれの境遇も変わっていった。十年の歳月は軽くない。だが全員独身のままで、メンバーは誰も欠けなかった。いつまでも同じ日々が続くかのように、時に錯覚しそうにもなった。

 だが変わらぬものなど何もない。旅の往復で車窓からみえる光景は、この国の歴史的変遷を否応なく突きつけている。旧街道の宿駅の人寂しい雰囲気、山奥を貫く高速道路とサービスエリアの喧騒。今ではへんな集落にある、古くて立派な屋敷と蔵の数々。それらは世の推移と栄枯盛衰を無言のうちに物語る。望まなくても、終わりはいつか必ずやってくる。

 恒例の伊勢参りがコロナ禍で中断して、もう三年が経とうとしている。あの年が最後だったかなと思いつつ、そろそろ赤福餅の味が恋しくなってきた。京都駅でも売ってはいるが、私はまだ、それを買えずにいる。

文=尾脇秀和 イラストレーション=駿高泰子

尾脇秀和(おわき ひでかず)
歴史学者。1983年、京都府生まれ。現在、神戸大学経済経営研究所研究員、花園大学・佛教大学非常勤講師。著書に『刀の明治維新――「帯刀」は武士の特権か?』『近世社会と壱人両名 身分・支配・秩序の特質と構造』(ともに吉川弘文館)『氏名の誕生』(ちくま新書)などがある。

出典:ひととき2022年10月号

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