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鏡の国ブータンを覗き込めば|伊藤雅崇(読書カフェ「本で旅する Via」店主)

各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただくエッセイあの街、この街。第17回は、荻窪の路地裏で読書するための居場所「本で旅する Via」を営まれている伊藤雅崇まさたかさんです。かつて旅行会社に勤めていた頃にたびたび訪れたというブータンについて、その想いを綴ってくださいました。

東ヒマラヤの山間に開かれたパロ空港。一本だけの小さな滑走路にブリティッシュ・エアロスペース機がうまい具合に到着し、パラパラと拍手と歓声が沸きました。旅の始まりの高揚感に機内が包まれているのを感じます。外は快晴。ターミナルへのブリッジなどというものはなく、タラップを降りて空港に降り立ちます。その瞬間、なんとも気持ちいい風が頬をなでて、たちまちブータンが好きになりました。

空の玄関口はパロ、首都はティンプー。破裂音の街の名を口に出すだけで、気が抜けていきます。

高地のブータンでは体を温める唐辛子が食に欠かせない。
唐辛子のチーズ煮込み「エマダツィ」はブータンの代表的料理

初めてのブータンは、1998年か99年だったと思います。前職の旅行会社の仕事で訪ね、それから5度ほどこの地を踏みました。当時はまだ先代のジグメ・センゲ・ワンチュク国王の時代。1972年に急逝した3代国王の跡を継ぎ、16歳の若さにして即位されました。ブータンの代名詞である、GNP(国民総生産)ならぬGNH(国民総幸福)を指標とすることを打ち出したのも、この国王です。

当時、街中にはなかなかにハンサムなこの国王の大きなポートレートが掲げられ、一家に一枚、アイドル並みにポスターが貼られているのを見かけたものです。わたしも国王のポスターや缶バッジをもらった覚えがあります。しかしそれは恐怖政治がなせる業でなく、ブータンの人々は心底、国王を敬い、愛しているようでした。

ブータンは九州やスイスほどの大きさで、人口は58万人ほど(2000年当時。現在は約78万人)、国民生活の礎にチベット仏教があり、統治しやすい規模と国民性ではあるのだろうと思いますが、GNHといった発想や、今でいう「持続可能な」国の形を、すでに目指すべき旗印として立てていたことは慧眼の持ち主だったというべきでしょう。

仏教に基づくパロのお祭り、パロ・ツェチュの様子。
最上段にはチベタンホルンが見られる

『旅』という雑誌で、養老孟司さんがその経済・環境政策などを評して「ブータンは周回遅れでトップに立った」というようなことをお書きになっていましたが、言い得て妙です。

それは国家戦略だけではなく、観光客にふれられる日常のなかにもありました。たとえば人々に観光客ズレした風はなく、接していて、時にはにかむ場面に出くわしました。は・に・か・む、とその顔の横にルビにふってもいいくらい。ほんとうに。

それは、他のアジア諸国の首都でふれる人々の様子とは異なるものでした。なぜでしょう。

ブータンは後発開発途上国に位置付けられますが、そこへの旅行は安くありません。1泊あたりの公定料金が定められ、そのなかにホテルやバス、ガイド料金が含められています。まるっとパッケージにしたツアーでしか旅行できないようなものです。しかしこの戦略によって、観光客数は少なくとも高い観光収入をブータンは得ると同時に、バックパッカーのツーリストが溢れかえることもなく(以前は宿泊施設が少なかったという物理的な要因もありましたが)、人々はあまり観光客ズレすることなく日常生活を保てていたのです。実にスマートなインバウンド政策ではありませんか。

* * *

それから時は流れて、日本では2011年の現国王来日を機に、ブータンがにわかに注目されるようになりました。テレビをはじめブータンの断片が切り取られて、わかりやすく「幸福の国」として紹介されるのを散見しました。そして何か問題があると、「幸せじゃなかった」とくさすパターンで情報が消費されていきました。

そもそも、このグローバル化、フラット化する現代で、呑気な「幸福の国」なんてあるわけないでしょう。人口が増えて田舎から若者が出てくれば、けっして大きくはない首都ティンプーやパロで、失業率をはじめいろいろな問題が生じることは容易に想像がつくことですし、スマホを手に入れ多様な情報が入ってくれば、チベット仏教を基礎としてきた生き方や精神生活も変容せざるを得ません。

他国同様ブータンもさまざまな問題を抱えています。しかし環境政策ひとつとっても、いまのところ開発を抑制し、森林面積の割合は70パーセント以上をキープ。ブータンは温暖化ガスの排出量が吸収量を下回る「カーボンネガティブ」を実現している、世界でたった3国のうちの1国です(あと2つはスリナムとパナマ)。そしてたゆまず、国民の幸福を模索し続けています。

ポ(男)・チュ(川)とモ(女)・チュ(川)の合流地点に立つプナカ・ゾンと女子学生たち

ブータンの実像を窺い知るのに、「本で旅する」者としては、書籍を通じてもブータンにふれていただきたいところ。わたしが初めて訪ねたとき、一般書籍はまだ、照葉樹林文化論を唱えた中尾佐助さんの著作やチベットの歴史学者でブータンの国立図書館顧問を務めたことのある今枝由郎よしろうさんの本、NHKの取材録など限られていましたが、2012年に、高野秀行さんの『未来国家ブータン』(集英社文庫)、御手洗みたらい瑞子たまこさんの『ブータン、これでいいのだ』(新潮文庫)が出たあたりから、関連書籍は増えていきました。

その多くで言及されるのが、やはりブータンの幸せについてです。今でも印象に残っているのは、『ブータン、これでいいのだ』の一節。20代半ばでブータンの初代首相フェローを務めた御手洗さんは、こう書かれていました。

ブータン人は「周りの人の幸せのためにできることをする」のに対して、日本人は「自分の幸せ」を求めて、ブータンの「幸福」の秘密を探ろうとしているのではないかと。

異国は映し鏡です。

ブータンは日本と比べてスケールも違えば、歴史的背景も異なり、単純に事例を当てはめるわけにはいきませんが、照らし合わせてこちらの姿を浮かび上がらせるには、恰好の国のように思えます。

* * *

ブータンの旅を思い起こすと、さまざまなシーンが浮かびますが、ガイドさんと、夕食までのほんのひととき、彼の行きつけ(?)の、イケてるカフェバー(?)で過ごしたことがあります。そこに流れていたのは、カントリーミュージック。流行っている(た)らしいのです。アメリカから遠く離れたヒマラヤ山麓の小さな国で、です。なぜカントリーなのか、理由を聞きましたがもう忘れてしまいましたし、聴いたことのない曲でした。

でも、ティンプーの片隅のカフェバーとカントリー、これが妙に合っていたのです。着物やどてらのようと紹介される、民族衣装のゴ(男性用)やキラ(女性用)を身に着けたブータン人が、くつろぎながらカントリーを口ずさんで……。どこかの時代へタイプスリップしたか、SF小説の世界に迷い込んだか、ちょっと思いつかない情景ですが、トワイライトの時、そこには確かに、幸せな時間が流れていました。

ありそうでない、が、ブータンにはあります。

文・写真=伊藤雅崇

伊藤雅崇(いとう・まさたか)
京都市出身。早稲田大学卒。旅行会社に勤務し、北は北極圏、南はパタゴニアまで、中東、イスラエル、ロシア、旧ソ連圏、ブータン、インド、中国などに重ねて渡航し、世界のさまざまな文化にふれる。2022年6月、「本で旅する Via」を東京・荻窪にオープン。

◇◆◇ 本で旅する Via ◇◆◇

東京都杉並区天沼 3丁目9-13
JR・東京メトロ荻窪駅より徒歩6分
公式サイト:https://via-ogikubo.com/
Twitter:https://twitter.com/Via20220610

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