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日々旅にして、果物屋の店先で旬のフルーツに見惚れる――「旅の日」によせて|立夏~小満|旅に効く、台湾ごよみ(8)

この連載旅に効く、台湾ごよみでは、季節の暦(二十四節気)に準じて、暮らしにとけこんだ行事や風習、日台での違いなどを、現地在住の作家・栖来ひかりさんが紹介。より彩り豊かな台湾の旅へと誘います。

「夏」という漢字の本来の意味は「大」、万物を成長させる季節という意味だそうだ。今年の「立夏」は5月5日、本格的な夏の日差しが万物に降り注ぎはじめた、ここ台湾・台北市。

「夏の訪れ」を告げる食べもの

 この季節のお楽しみは、何といっても台湾フルーツ。いま日本で話題の台湾パイナップルの時期が終われば、次はライチの旬がやってくる。鎧のような硬くゴツゴツとした皮をビリッとむけば、中から透き通った白い玉(ギョク)のような果実が瑞々しい汁をしたたらせながらつるりと姿を現し、のどがゴクリと鳴る。一口はめば芳烈な水分がとろり舌に漏れ出てくる。なんともエロティックな果物である。

ライチ

「土マンゴー」という小ぶりのマンゴーも姿を見せ始める。日本で知られるアップルマンゴーより小粒で果肉は少ないが、ほどよい酸味としっかりした香りがあり、心待ちにしている人も少なくない。果物屋の店先に並んだ土マンゴーには決まって霧がシュシュッと振りかけられ、エメラルドグリーン色したスウェードのような肌が、汗をかいたように濡れて光る。台湾語では、美しいことを「水(すい)」と形容するのだが、それは水の滴るようなフルーツの瑞々しさを形容したのではないかしらん……マンゴーに見惚れながら、ぼんやり考える。

 西瓜が出てくるのも立夏のころだ。こちらの西瓜は日本のような縞々模様ではなく、全体的に黄緑色の細かいまだらで楕円形をして、ギョッとするほど大きい。日本の西瓜より水っぽいのでジュースにしてもよく、水を飲む代わりに西瓜を食べる。

 ヘチマ(絲瓜)も夏によく料理する食材で、ハマグリと鶏スープで炒めると絶品だ。日本でヘチマはもっぱらタワシや化粧水をこしらえるばかりだから(沖縄では食べるらしいが)、ヘチマの美味しさも台湾に来てから覚えたことであった。瓜科の食べ物はカリウム豊富で、暑さが増すと身体にたまる水分を熱といっしょに排出してくれる、南国の夏の親しい友みたいな存在である。

 古代中国に生まれた「七十二候」(二十四節気を5日ごと3つの季節に分けた暦)でも、

【立夏七十二候】
・螻蟈鳴(オケラが鳴き始める)
・蚯蚓出(みみずが出てくる)
・王瓜生(カラスウリがなる)

とあり、夏瓜が登場している。

へちま

生き物たちの可憐な営み

 古代中国の陰陽五行思想を元に生まれた暦「二十四節気」は、天地の陰陽の気のバランスから成り立っている。季節の移ろいのなかで増減する「気」に、動植物たちは敏感だ。立夏から小満にかけて、日ごと漲る太陽の力と共に「陽」の気もいや増し、それと反比例して「陰」の気は失われていく。

 立夏の陽に惹かれて姿を見せる半陰半陽のミミズは、活力ある土の象徴だ。夜行性のオケラが鳴き声をあげるのは、減ってゆく「陰」の気を惜しんでのことだろうか?

 視点がミクロから天地にまで広がる壮大な世界観、そこに点景のように描かれる生き物たちの可憐な営み。そんな自然現象の細やかな観察が、種をまく、田に水を入れる、稲を植える、田畑の除草をするといった農作業の大切な目安となってきた。

 ちなみに、日本の気候に合わせて江戸期に作られた日本版七十二節気では、

【小満七十二候】
・蚕(かいこ)起きて桑を食う
・紅花(べにばな)栄う
・麦秋(ばくしゅう)至る

である。絹を作る蚕たちが桑の葉をわしゃわしゃと食む雨降りのような音。5月の真っ青な空の下に照り映えるベニバナ。黄金色の波が風になびく麦の収穫期。音と映像が鮮やかに想起される、なんとも美しい暦だ。

「暦」ってなんだろう……?

 ところで、5月16日が日本の「旅の日」であると今年初めて知った。

 なんでも、俳人・松尾芭蕉が江戸を発って『おくのほそ道』の旅へと出かけた日が元禄2(1689)年3月27日、つまり新暦5月16日というのである。そう知って、心が騒いだ。

――ああ、旅に出たいなあ。

 コロナ禍の先行きは、まだまだ見えない。海を越えて自由に行き来していたあの頃が遠い昔のように思える。

 でも、こんな風にも想う。わたしはすでに、旅のうえにあるじゃあないか?

 世界中で知られる紀行作品『おくのほそ道』が、松尾芭蕉によって書かれたのは約300年前。李登輝元総統が好んでその足跡を辿ったことで台湾でも知られるようになり、華語で翻訳出版されている。『おくのほそ道』の冒頭は、こんな風にはじまる。

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老いをむかふるものは、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。

 わたしの「栖来」(すみき)というペンネームの「栖」という字、じつはここから一字を頂いている。台湾での暮らしがまるで、旅の上にあるようだと感じているからだ。

――例えばいつものスーパーの帰りみち、角を曲がった途端に響いたポン菓子売りの爆発音にびっくりしたとき。

――道教の神様の誕生日を祝う、2メートルほどもある大きな人形たちのパレードとすれ違ったとき。

――いつもの生活圏が、日本時代に「昭和町」という名前だったことを知ったとき。

――近所の果物屋の店先に、昨日までは無かった旬のくだものを見つけた時。

夫天地者,萬物之逆旅。光陰者,百代之過客。

 芭蕉が書いた『おくのほそ道』は、実は唐の詩人・李白のこんな詩を下敷きにしている。

「天地は万物を迎え入れる宿のようなもので、過ぎ去る時間は永遠の旅人である」というのだ。

 だとすれば、二十四節気七十二候ってなんだろう?

 万物を迎え入れる宿の、それぞれのお部屋の名前みたいなものかなと思いついた。今は「立夏の間」に泊まっていて、次は「小満の間」に泊まる、そんな感じである。

 そうか。では言うなれば、ライチやマンゴーは部屋に置かれた「ウェルカム・フルーツ」だ。季節の移ろいの味わいとは要するに、天地からわたしたちへの「お・も・て・な・し」、なのかもしれない。

立夏の間

文・絵=栖来ひかり

栖来ひかり(すみき ひかり)
台湾在住の文筆家・道草者。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)。


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