「焦りや勘違いもあったけれど 時を経て楽になりました」山崎ナオコーラ(小説家、エッセイスト)|わたしの20代
幼稚園の頃から人見知りだった私は、本だけが友達。だから「いつか本を書く人になりたい」と思っていました。国語はずっと得意でしたね。特に古文は、大学受験の勉強で、良い参考書と予備校の先生に出会ったこともあって、すごく成績が良かったんです。古文がなければ大学に入れなかったのではないでしょうか。
ただ、大学4年になるまで小説はまったく書いていませんでした。書き始めたきっかけは、源氏物語をテーマにした卒業論文です。これだけ長い文章が書けたから小説もいけるかもと思って書いたものが、文藝賞の二次選考に残ったのです。その後も会社員をしながら応募を続け、3年目で文藝賞を受賞しました。
それでデビューはしましたが「これで作家だ」とは思わなかったですね。編集さんには「作家を続けられる人は多くないのでまだ仕事は辞めないで」と言われていたし(笑)。結局、会社は1年ほどで辞めましたが、これでもう後がないと思いました。今思えばまだ十分若かったのですけど、当時は「若さ」に対する世間の価値が高かったんです。20代前半や10代でデビューする人が多く、26歳でデビューした時は「なんだおばちゃんか」なんていう声もあって。特に純文学の世界は、デビュー3年で次の賞を取らないと生き残れないともいわれていて、早く出世作を、という焦りがありました。
怖さもありましたよ。黎明期のネット社会はルールもなく、デビュー作の『人のセックスを笑うな』というタイトルにまつわる性的な愚弄や容姿への罵詈雑言なども酷くてかなり傷つきました。さらに言えば、当時の純文学界は批評家や先輩作家からの酷評が珍しくなかったんです。面白い世界ではあったのですけどね。編集者は熱心で、作家を理解してくれるし、締め切りも字数制限も読者サービスのプレッシャーもない。担当編集者が面白いと言うだけでいいという世界は、ある種、意欲を搔き立てられる環境でした。
純文学や賞へのこだわりが消えたのは、30代になって、興味が自分自身から社会に移ってからだと思います。純文学というのは人間の悪や自分の恥ずかしい面をさらけ出すものと思い込んでいた部分があったのですが、そういう欲求が自分にはないと気付いたのかもしれません。
20代は思い違いもしていました。デビュー作の映画化もあって、20代後半は人生で一番収入が多かった時代なんです。急に経済力がついて、それを誇る気持ちがあった。家も、賃貸の更新時期が来る度に都心へと移っていましたから。そこからまたお金がなくなって都心から離れていくんですけどね(笑)。
20代は、批判されて自信をなくしたりしましたけど、そのうち、評価が低くたって社会が寛容な場所なら楽しく生きられることが分かってきます。今考えれば、純文学から早く足を洗えばよかったし、ネットの批判も気にする必要はなかったし、経済力は誇るものではなかった。だから今20代の人には、あと数年たてば楽に生きられるよと言いたいですね。
昨年出版した『ミライの源氏物語』は、そんな時期を経た自分が今、源氏物語について書くなら、現代社会を切り口にしようと思って書いたエッセイです。仕事は何かを目指して登るものではなくコツコツやるもの。今はそう思いますね。
談話構成=佐藤淳子
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出典:ひととき2024年6月号
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