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天袮涼/希望が死んだ夜に

神奈川県川崎市で、14歳の女子中学生・冬野ネガが、同級生の春日井のぞみを殺害した容疑で逮捕された。少女は犯行を認めたが、その動機は一切語らない。何故、のぞみは殺されたのか?二人の刑事が捜査を開始すると、意外な事実が浮かび上がってー。現代社会が抱える闇を描いた、社会派青春ミステリー。

今思えば学生時代ほど、情け容赦ない理不尽、抗えない不条理に晒される年代があるだろうか。

“親ガチャ”という言葉があるように子は親を選ぶことが出来ない。

“カースト制”という言葉も集団生活においては実在する。

温かい食事暖かい布団清潔な衣類を毎日与えられて養われたという経験は決して当たり前ではないのだ。

貧富の差はそのまま学校生活においての“カースト制”に直結することもある。

この作品は大筋はミステリーだ。
動機は?真犯人は?とシンプルに楽しむことだってもちろん出来る。

だがしかし、読み進めていくうちに心に黒い影が広がる。
その影はやがてしこりとなる。
我々はどこまでいっても傍観者だ。
救いの手を差し伸べたくても方法がわからない。
ただ、彼女たちに、それでも何とか生き残れ、と願わずにはいられない。

だがしかし、ネガが絶望する度に共に絶望する。
このまま生きていて希望があるのだろうか。
やすやすと軽い言葉を向けることなど出来ない。

そう、あの夜死んだのはまさに希望なのだ。

資本主義が生み出した闇。
この暗闇の中で、それでも少女たちは輝いていた。
深夜のバイト帰り、夜道で二人は確かに眩い光を放っていた。

この輝きを奪ったのは一体誰だろう。


最後に、ハッとさせられた、この作品の中にあるネガの独白について記す。

この年代の少女の多くはロマンティックだ。
だがしかし、ネガにはそんな余裕も残されていない。
貧困は少女から想像力をも奪うのかと、言葉を失った。

同情なんてしない。
ネガに対して失礼だ。
これは同情なんかじゃない。

直接的な表現ではなく、このような表現で示唆する著者天袮涼に好感を抱いた。

もし私が教員で国語の授業でこの作品を扱うことがあれば迷わず此処に傍線を引くだろう。

つられて、夜空を見上げる。街頭に負けて弱々しいけれど、星が瞬いているのが見えた。自分が見ている星座がなんなのかはわからない。興味がないし、星と星をつなげて星座なんてものをつくった昔の人は、想像力が豊かすぎると思う。

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