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学校とクーラー。

今ネット上で暑い――いや熱いこの議論に、一応乗っかっておきたいと思ってペンを執った。

学校にエアコンを導入するべきか。答えはひとつ。「するべきだ」。

良識者なら誰が見てもイッパツでわかるこの議題なのだが、ではなぜそんなに今ネットで熱く議論が繰り広げられているのか。
それは本当の問題の焦点が「学校にエアコンを導入するべきか」ではなく「国民の税をどのように使うべきか」ということだからだろう。

もしエアコンがどこからともなく湧いてくるならば、サイコパス以外は誰だってエアコン設置に賛成するだろう。だが現実問題、エアコンは湧いてこない。エアコンのメーカーが売名の為に無料で設置する可能性もなくはないが、費用対効果で見たらそれは難しい。

すると、エアコンの設置にはお金がかかるということになる。このお金はどこから出るのか――それが"無関係な国民も含めた国民"からである。

子育て世代、あるいはこれから子供をつくる世代、または自分が学校に通っていた時にすでにエアコンのあった世代や、小中学生の孫の面倒を見ている人などにはエアコンの必要さがわかる。
データでも出た通り、気温が上昇している昨今では、熱中症などを発症するリスクは以前より高まっているといえる。熱中症を発症することがよくないのは誰でもわかる。

ではなぜ反対するのか…それは上記の人以外が、「自分が納めている税が自分と無関係なところで使われるのが癪だから」に他ならないだろう。
あーあ。こういう考えは本当に世を滅ぼす。自己中心的すぎる。

人間はひとりでは生きていけない。それはこの記事が読めるくらい歳をとっている人ならば誰でもわかるだろう。それなのに、反対票を入れる人は他の人間には「ひとりで生きていけ」と突き放しているようなものではないか。
綺麗事っぽいことを言うが、人間たちがお互いに助け合いながら出来てきたのが今の世の中なのだ。もちろん誰かを助けるには勇気やリスクが必要だが、それ無くして人間関係ないし社会全体の成長はあり得ない。

それなのに他人からの恩恵だけ享受して他人を助けてあげようとしないというのは、ジャイアニズムすぎるだろう。嫌われる。そして嫌われると、世の中から淘汰されるのが普通だ。だが、これは投票者が公表されることのない投票なので、誰がそう投票しているのか――誰を嫌えばいいのかも――わからないのが面倒なところである。
だから、推察するしかない。そして多くの人の推察は「自分とは関係のないところで税が使われるのを癪に思う年金受給者層」という風に行き着くのだが。

(触れるのが遅くなったが、エアコン以外の対策があるのではないか、という意見であるが、「エアコンが一番手っ取り早い」という一言で論破させていただく。
また、地球環境のさらなる悪化に繋がるのではないか、という意見であるが、多くの学校にエアコンを導入・稼働することよりも工場や排ガスなどの要因の方が大きいようなので、そこは切り捨てるべきと考える。)

どういうオチを付けるか考えずに書きだした記事であるが、この言葉を使って締めさせていただこうと思う。

"情けは人の為ならず"


善い行いは巡り巡って自分に返ってくるものである、という意味の日本語だ。
確かに、クソくだらない綺麗事に他ならない。本当に自分に返ってきているのかなんて確認のしようがないからだ。だったら、情けなどかけない方が合理的だ。

なるほど、それも確かにそうだろう。だが、私は幸せのデフレスパイラルより幸せのインフレスパイラルが世の中に満ちればいいなと思っている。
自分に少し幸せなことがあった。これはきっと、あの時善い行いをしたからなんだなぁ。ならば、もっと善い行いをしよう。そして善い行いをすれば、善い行いをされた人も幸せになる。もしその人も、同じ考えを持っていたらどうだろう?
ああ、もっと善い行いをしよう、となるに決まっている。そしてこれが、樹形図状に広がる。世に幸せが満ちる。これが"幸せのインフレスパイラル"だ。

この歩みを止めてはならない。たとえ自分に今幸せなことがなくとも、この考えを信じて善い行いを実行している人は、実行しない人より、なんて輝いて見えることだろう。

これが私の考えだ。
これは自戒も込めているし、本音で言うなら、俺ももっと幸せになりたい。今自分が不幸か幸せかわからないが、そう思っているからこそこの言葉を発信するのである。そしてそれには、世の中を生きている誰かもわからない人々の支えが必要なのである。

さあ、若者たちも、年金受給者も、今これを読んでくれている貴方も、私と共に行こうではないか。インフレスパイラルの先へ。


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