愛されたがりは仕事が遅い。

意識高い系の本のタイトルではない。私のことだ。

人間は、"愛されたい"生き物だろう。個体によってその度合いに違いはあれど、皆そうであると断言する。
そして私は、自身が度合いの強い個体であると思う。

その理由は個体によって様々だと思う。
愛されたことがないからとか、今まで愛されていたからとか、愛されることで幸せを感じるとか。
私は自身が愛されたがりになった理由まではわからないが、愛されたがりであると思う。そう思ったのにも理由がある。

私は仕事が遅い。
音楽をやめ4年間、いわば"普通の人"として生きていこうとしていた時は、もちろんどこかの会社の正社員になり、時間をかけてちゃんとした役職に就くぐらいの必要はあった。
正社員になろうとしてなれなかった会社や正社員になれた会社などあるが、私はどこでも仕事が速い方ではなかった。それどころか、自身の仕事が速くないとはわかりつつも、その後本気で仕事に取り組もうとはしなかった。

それはきっと、無意識下で、「本気で頑張ってもやる仕事量が増えるだけ」とか「頑張っても、誰も褒めてくれない」という思考があったせいだろう。
ここで書きたいのは後者の理由である。
自分の中では頑張ったつもりであっても、誰も褒めてくれない。そんな体験が多くなれば、頑張る気も失せようというものだ。
もちろんここで「じゃあさらに頑張ろう」となるのが何かを成し遂げられる者の思考であるが、そこまで強靭なメンタルは持っていない。

するとどうなるか。
時間をかけて必死な表情をして1つの仕事に取り組むことによって褒められたがるのである。
「俺がやった仕事はこんなに大変だったんだぞぉ」「俺めっちゃ頑張ったんだぞぉ」とアピールすることで褒められたがる。大変さを演出する。
実際には大したことのない仕事でもこんな風にこなすもんだから、そりゃ他の人より速いわけがない。遅いのだ。
他者から本当に評価されるのは、仕事を本気で頑張った先にあるものだということに気付いていない。そこまで到達する前に挫折してしまったから。

―――無意識のうちに"大変さを演出"しようとしていた自分が居た。この事実に気付いてから、大変さを演出しようとするのをやめた。
正確に言えば、まだ無意識下で大変さを演出しようとしている自分に気付くこともある。身体に習慣として染み付いてしまっているので、完全に取り払うには根が深そうだ。

今私はフリーターであるが、これに気付いてから一部の仕事が15%ほど速くなった自覚がある。前はヘトヘトに――そのヘトヘトも演出かもしれないが――なって定時までかかっていた仕事が、最近余裕を持って定時前に終わる(もちろん身体を速く動かすので疲れるが)。
自分には能力がないのでなく、能力をしまい込んでいたのだ。これに気付いてからというもの、少しばかりの全能感がある。劣等感は完全にではないが消えた。

さて、オチのない話になってしまったが、つまりまぁ、アレだ。
あなたが仕事が遅い、またはあなたの周りに仕事がやたら遅い奴がいるならこういう可能性もあるということで。そういう人はちゃんと褒めてあげるといい。きっと褒めて伸びるタイプだ。
本音で言うなら、俺もバイト先でも音楽でも、もっと褒められたい。ちゃんとやっている自分を、もっと愛してほしいのだ。

個体差はあれど、私も人間なのだから。

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