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197 基礎から応用の直進性を疑う

基礎をまず固めろ、という常識

 どんなことでもそうだが、教わろうとするとき、基礎からはじめろ、ということになる。基礎をまず固めなければ応用へは進めない、つまり「基礎→応用」の真っ直ぐなルートは恐らく常識になっているのではないだろうか。
 確かに、まったくの無知のとき、基礎を固めることが有効になりそうだ。だけど、そこに「基礎→応用」の図式は必ず当てはまるわけではない。
 なんといっても、基礎で挫折して応用どころではない、といった場合が起こり得る。基礎といっても、とんでもなく幅広く奥行きもあることが多いので、基礎をすっかりマスターしている間に、月日が経ってしまう。
 私の経験からすると、「基礎→応用」の図式は、誰かにものを教える立場になるときには、とてもいいものだ。いきなり応用から入ってしまうよりは、少なくとも教えやすい。つまり「基礎ができてからにしろ」と言えるから、教える側に優位な考えた方だ。
 特別に天才ではない子どもでも、偶然に出現する思った以上に素晴らしいアウトプットはそれほど珍しいものではない。いきなり漫画を描き始めて、それがけっこう上手に見える。いきなり有名な曲を耳コピで覚えて歌ったり演奏できたりする。スポーツでもそうだ。見事にバットに当てる。見事にボールを蹴り込む。
 これを見たとき、大人たちは不安になる。偶然なのか、才能なのか。それをやり続けていけばどうなるのか。もしかしてスゴイことになるのか。
 残念なことに、再現性の低い事象については、どれだけ見事であっても、大人たちは「そんなもの」と相手にしないことが多い。そこで登場するのは「基礎をちゃんとやれ」である。そして子どもたちは、基礎をやっているうちに、「こんなことやってられない」と感じて、すべてを放棄するわけだ。
 もちろん一握りの子たちはしっかりついていき、基礎をある程度マスターしてしまうことだろう。教える側は、そうした子だけを注目すればいい。これはとても便利で合理的だ。

応用を教えてくれない人たち

 問題は、基礎をやり抜く人に対しても、さらに基礎を無視する人に対しても、同様に、応用を教えることは極めて難しい点である。
 この「基礎→応用」の直進性をメインに考えてしまうと、当然、応用を誰かがしっかり教えていかなければならないのだが、現実としてそれを教えられる人は少ない。師匠について学ぶのはひとつの方法だろうが、たいがいは「ここから先は自分で考えろ」と突き放されるのである。
 そもそも基礎を固める段階で、自分で考えることをあまり訓練していない場合は、放り出されたとたん、大変に苦しむことになる。お手本となる人物の近くにいるときは、見よう見まねで応用を学ぶこともできる。それにしても「真似ではだめ。自分のものにしろ」といったプレッシャーが与えられて、やっぱり苦しむことになるだろう。
 私は、「基礎→応用」は、直線ではないと考えている。基礎から応用へ、そして応用から基礎へ、と反復するのではないだろうか。
 しかも、基礎はなにかひとつの基礎を学ぶだけでも構わない。すべての基礎を学ぶことは人生がいくつあっても足りないので、とりあえずひとつでいいとさえ思う。それは基礎というものがどういうもので、それを学ぶとはどういうことかを実践的に経験できればいい。
 この経験があれば、ほかのジャンルの、自分が興味を持つものにも、同じようなアプローチが可能になる。基礎部分を、応用から想像することができるので、自分なりの基礎固めが可能になる。わからないところだけ、誰かに教わるか文献を探すか、YouTubeを見るかして手にいれていけばいい。
 どうせ、基礎と応用は反復するのだから、基礎を全部一度にマスターする必要はない。一部分の基礎を学んだらすぐその応用へ移って構わない。応用できたとしても早晩、新たな壁にぶつかるはずだから、そこでまた基礎に戻らないと先に進めなくなる。
 この基礎から応用へ、応用から基礎への反復は、遠回りではない。応用で得られるものが、他者にはない自分独自のものであるのなら、当然の反復だと思う。基礎をしっかりやることが近道と言うのは、教える側のやり方の問題であって、最終的にオリジナリティのあるアウトプットへつなげるためには、そもそも近道などないのである。
 いつの間にか、ほかに誰もやっていないことをやっていることに気付く。そうなるともう、誰も教えてくれる人はいないから、自分で考えていくしかない。
 人生は短い。焦る必要はないけれど、基礎だけをやり続けているとすればもったいない。果敢に応用へ向かっていくべきだろう。どうせ、誰も教えてはくれないのだから自分で考えてやればいい。それがたぶん、自分なりのアウトプットになるはずだ。

この絵はここまでとしよう



 
 

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ほんまシュンジ
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