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254 どうしてアドリブで書くのか?

ネタのストックはゼロ

 日記の下書きや推敲をする人はあまりいないような気がする。今日の項目を書いたら終わり。明日は明日のことを書くのだから、昨日の項目を推敲する時間はないだろう。いや、やっている方はいるかもしれない。いてもいいけど、私はしない。
 このnoteは、今回で254回。それを毎日更新で254日書いてきた。ストックはゼロだ。最初からない。はじめた当初、思いついた題材(ネタ)をメモしていた。ネタはどんどん増えていき、消化されないままになっていく。メモを見てもピンとこないので、結局は無視する。
 アドリブで書いてしまうので、メモはほとんど役に立たなかった。もっとも、Xやニュースで知った話題で、noteで触れたいときはのメモは役に立ったけれど。まるで想定とは違う話の中で引用されていることもしばしば。
 書く前に思いついてしまった場合はメモをしておくことはある。このnoteにメモをして「下書き保存」しておけばいい。
 どうして自分でメモを無視してアドリブで書いてしまうのか、自分でも実はよくわかっていない。昔、自動書記に興味を持ったことがある。霊的な現象で、たとえば何百年も前に亡くなった人が憑依して、書きかけの作品の続きを書く、といった話である。まあ、もし本当にそうだとしても、証明のしようがないことではある。いまの時代、もし昔の文豪が自分に憑依しているのなら、それを題材に作品を作って自分の名で発表した方がいい。
「いやあ、○○先生が憑依しているんですよ、いま」とか言わない方がぜんぜん、いいに決まっている。

30分一本勝負

 と同時に、もしかすると自分たちの意識の届く世界のすぐ横に、別の世界があって、そこと偶然アクセスしたときに憑依はあり得るような気もする。
 作家の人たちがときどき経験するらしい「書かされている感」は、いわばランナーズハイなのだろうと私は解釈するし、私にも経験はある。そうやって書いたものが、ほぼ誤字脱字なく完璧だったことも経験している。とはいえ、それはむしろ、無意識のうちに自分で脳内で原稿を書き上げていたのであって、霊界からの働きかけではない。
 微睡みの中で原稿を書き上げることはしょっちゅうある。
 このnoteはたいがい30分程度で書くようにしている。どうもアドリブは長く続かないのである。瞬発力で書き上げないと挫折しやすい。そして、どうにも収拾のつかない文になってしまうこともあるけれど、それもまた「味」として許容できる広い心が必要だ。端的に言えば「自分に甘い」のである。
 ツッコミどころの多数ある文章を、私自身も好きだから、ボケ倒して去るような無責任な文章になっていくこともあるだろう。
 ところが、あとで読み返すと(ミスを発見したらこっそり修正しつつ)、自分の技術ではこの「アドリブ30分一本勝負」で書き上げた noteは、自分の限界だったりもする。同じ題材で10時間かけても、大差ない文章になっていることだろう。どうせアウトプットの質が同じなら早い方がいい。それが生産性ってやつなんだろう。
 このnoteを書き続けてよかった点は、この「アドリブ30分一本勝負」を見出したこと。そして、絵を少しずつではあるけれど毎日、描くようになったことだ。やはり、人生、積み上げは大切。そもそもコツコツやるのが得意ではない人間としては、こうした仕組みを作って、そこに1日のうちの30分をあてるようにした方がいいようだ。
 もっとも、欠点ももちろんある。深みのない文章。あるいは軽佻浮薄。あるいは早いだけが取り得。締まりのない文末。「これでいいのか?」と思うようなエンディング。今回もこのあたりで締めるつもりでいるのに、特にいい言葉は思いつかないので、このまま終わるのである。
 そうそう、どうしてアドリブがいいのか。それはnoteを必要以上に自分に重く課さないことにつながる。思い悩まない。苦にしない。そのためにはいまの方法はそれなりに合っている気がする。
 以下、noteに書くことについての過去記事。




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