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139 まさかドラマに左右されている?

先週に比べて今週は元気な父母

 父母(94歳と89歳)は、先週とうって変わって、今週は元気がよかった。先週の状況を見ていると、いまにも介護施設の手配をしなければならないような気がしたし、医師に相談して食べ物を含めて、今後どうしていくか考えないといけない気がしていた。
 父母と話をしていても、明るい話はひとつもなく、グチというよりも諦めのような言葉がつぎつぎ出てきてしまう。
 それが、今週は明るい。笑っている。昨日など、料理はやめたはずの母が、太いネギを三本も洗っていて、「どうしたの」と聞くと「ネギと牛肉を炊いて食べたいと思ったから作ってみようと思ったの」と言う。すき焼きが好きな二人である。もともと関西の出身なので、母のすき焼きは割り下は使わず、砂糖、酒、醤油で調整しながら作っていくタイプだ。
 すき焼きといえば、私は昔、取材で和田金のすき焼きを三重の本店で食べたことがある。また住まいが近いこともあって、浅草の今半、そして米久でも食べたことがある。どれも好きだ。妻は市販のすき焼きのタレを使う。これもおいしいと思う。つまり、どうやってもおいしいのがすき焼きで、その点、冬の時期に牛丼チェーンが展開する鍋でも、それなりにおいしい。今季は食べていないけれど。
 今朝、LINEで母に「どうだった?」と尋ねると「美味しくできました」と返事があった。父母ともにネギと肉を楽しんだようだ。
 それにしても、どうしてこうもアップダウンがあるのだろう。老衰とはそういうものなのだろうか。

朝ドラをたまたま見た

 きちんと見ることを諦めた今季の朝ドラ『ブギウギ』であるが、たまたま妻が見ているのをなんとなく見ると、「東京ブギウギ」の誕生物語になっていた。先週は、夫が亡くなる話だったと思う(ちゃんと見ていないので違うかもしれないが)。
 父母は朝ドラを見ている。昼頃に父母を訪ねるといつも見ている。
 もしかして、父母の気分は朝ドラに左右されているのではないか?
 明るくパワフルなエピソードばっかりのドラマというのは、そうそうないわけで(インド映画にはありそうだが)、いまの時代、ちょっと真剣に考えてしまうと「元気なだけじゃ、やっていけないよね」となりがち。だいたい明るくパワーのある人を見ているだけで、むしろこっちがめげてしまう可能性もあるわけだから、とても難しい。
 それでも、たまたまつけたテレビから、明るくパワフルな映像が流れてくれば、それは見る人になんらかの影響を与えてもおかしくはない。
 私自身、気持ちを少し高めるためにお笑い系の番組を見ることもある。落語やネタものを録画している。『日曜チャップリン』も好きだ。まだ見ていないコント番組もあるので、いつか見るのが楽しみだ。WOWOWで放送された「博多・天神落語まつり」を数年分、置いてあるので、それもいい薬となる。最近はチバテレビの「浅草お茶の間寄席」も録画しはじめた。『有吉の壁』『アメトーーク』は楽しみにしている番組のひとつである。

トーナメントならなんでもおもしろい説

 本来、こうしたパワーは、スポーツ中継で得られるのではないか。
 この数年、相撲中継を見ることが増えた。大谷さんのおかげでMLBを見る機会も増えた。サッカーも見る。とはいえサッカー中継は有料へシフトしてしまったので、地上波でたまにやる試合ぐらいである。高校野球は、少し気にするけれど、しっかり見ることはあまりない。プロ野球は阪神ファンなので、阪神の試合は見たいけれど、東京地区では必ずしも中継があるとは限らず、これも本格的に見たいなら、有料の配信を見るしかないだろう。そこまでは追わないけれど。
 ところが、たとえば、先日のサッカーのアジアカップのように、残念な結果に終わってしまうと、むしろ悪影響がありそうな気もする。ドラマやお笑いと違い、気分を害する場面に出くわす可能性もあるのが、スポーツ中継なのである。だから、スポーツの場合は、この間のWBCみたいにガッツリ見るときは覚悟も必要になる。正直、シンドイ。
 WBCはたまたますべてがいい方へ転がった印象があり、たまにはそんな凄いこともあるものだ、と思うけど。滅多にないのだから、毎回期待してはいけないだろう。
 ところが、先日『水曜日のダウンタウン』を見ていたら、1対1で、互いの足ツボを刺激し合うトーナメントをやっていた。これはスポーツとは言いづらいものである。登場する選手たちもあまり知らない人ばかりだ。そもそも、足ツボ刺激をよく知らない。自分で触ると確かに痛いと思う部分もある。それでもおもしろかった。ちょっと夢中になった。
 それは競技内容のせいというよりも、「トーナメント」にあるのではないだろうか。そういえば高校野球もトーナメントだから、母校でもなければ知り合いもいない学生たちを応援できるのかもしれない。
 つまり、スポーツというよりもトーナメントを楽しんでいるのかもしれないな、と思ったりもした。「水曜日のダウンタウン」的に言えば、「トーナメントならどんなことでもおもしろい説」となる。
 話は大幅にずれているけれど、要するに、人は外部からの刺激を受けて、なんらかの反応をしてしまうものなのだなあ、としみじみ思う。自分の状態がよくなる刺激をうまく選択できればいいのだけれど、なかなかそうもいかないよね。

決勝戦


 

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