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312 今年は納豆元年となった

朝食革命が起きる

 正確にいつからだったか忘れてしまったのだが、我が家で朝食革命が勃発した。娘(40代)が「朝、ご飯と納豆を食べる」と言い出す。恐らく言い出したのは昨年だろう。そして納豆が常備されるようになった。
「朝、ご飯でもいい?」と妻が今年になって言い出す。
 そして私も朝、少量のご飯と納豆を食べるようになった。これまで長い間、パンパパンと食パン生活だった。どれぐらいかわからないぐらい、長く食パンを毎朝食べていた。
 だいぶ昔のことだけど、取材で評論家の幕内秀夫氏に話を伺ったことがあった。印象的だったのは「街のパン屋さんは、酒を飲まない人にとっての居酒屋になった」とおっしゃったことだった。いま、小麦の高騰などでむしろ手作りパン屋は減少傾向かもしれない。当時は、あっちこっちに手作りパンの店がどんどん誕生し、ついに居酒屋の出店数を超えたのだった。
 そしてもちろん、伝統的な食事にこだわりのある氏は、バッサリとパン食文化をぶった切ったのである。
 だから知識としては私にもあった。食パンばっかり食べてたらダメなんじゃないの、と。
 こうして、ようやく我が家にも革命が起きた。パンを吊し上げて断罪する、といった意味での革命ではない。要するに「食パン、高くね?」「食パン、おいしくなくね?」みたいな感じなのである。
 でもって、いまもたまにパンを食べているけれど、週1回か2回である。
 そして納豆を食べる。私自身は両親が関西出身で納豆を食べない人たちだったから、長じるまで口にしたことがなかった。父が仕事で水戸へ出張すると納豆を買ってきた。母はそれをどうやって食べていいのかわからなかったのである。当時はネットもないので、検索することもできない。
 ただ徐々に情報を得て、納豆をたまに食べるようにはなった。年に数回であった。
 私もビジネスホテルの朝食バイキングで納豆を選択することはほとんどなかった。食べることはできるけれど、進んで食べたいとは思わなかった。単に食習慣の問題だ。
 それがいまはほぼ毎日である。世の中はこうして変わっていくのだと気付かされた。
 この調子でいけば、いずれMLBを見なくなる日が来るかもしれない。大谷離れが起こる日が来るかもしれない、などと思ったりもする。諸行無常。有為転変。「そんなことは絶対にない」と思っていたことも、しれっと変わってしまう。そういえばあれだけ夢中だったNLFをまったく見なくなった。その前にはF1離れもあったっけ。離れてしまうと、そのことは忘れてしまうものだ。

気付けばなにかを補助する食品が

 お酢がいいという。納豆にお酢をかけている。あるいは荏胡麻油を垂らしている。ヨーグルトも機能のあるタイプを選ぶ。そうだ、ヤクルトも毎日飲むようになった。ピルクルのときもあるけど。
 妻と娘はアリナミンを飲み始めた。とても懐かしい。私が子どもの頃、父母は飲んでいた。ビタミンを補うためだったはずだ。鉄分だったかな。なにかを補助するのである。
 気付けば、私の周辺にはなにかを補助する食品が増えていた。
 革命といえばビネガーも我が家の、少なくとも私の食卓を変えた。カルディという人気店があって、そこのオリーブオイルが好きでよく買っていたのだが、よく似た瓶のビネガーを間違えて買って来てしまった。ところが、これを料理にかけてみると、なかなかいいのである。サラダにマヨネーズではなくビネガー。ハム、ソーセージにもかけていい。
 そういえば海外に行ったとき、テーブルにビネガーが置いてあり、なぜだろうと思ったことを思い出す。料理にビネガーをかけるって、どうなの、と。
 しかし、ビネガーがあればマヨネーズの消費を減らせてなおおいしい。それはピクルスを入れるのと似た効果がある。
 私が駆け出しの頃、先輩の女性編集者があらゆる食べ物に酢をかけていたことを思い出す。中華料理だけではない。中華料理にはなおさらだ。焼きそばにドバドバかける。どういう食べ方なんだと不思議だった。カタ焼きそばには酢をかけるといいな、と個人的には思っていたけれど。天津丼は甘酢あんだから、確かに酢はそれなりにいい味になる。とはいえ、真似をする気にはなれなかった。
 ビネガーは酢である。いまや、自分がそうなっている。
 食生活が変わると体調などにも変化が期待できる。どんな変化があるかは、いまのところ明確になっていない。だいたい、こうした革命は突然起こるので、突然終わってしまうかもしれないし。
 それにしても我が人生史上、これほど納豆を食べ続けたことはなかった。もちろんいつか自分が納豆をこんなに食べるなどと想像したことさえなかったのだから、将来のことなどわかるはずもない。

今日はいつもより集中できず。


 
 

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