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一瞬のプレーと毎日と.

手の平返しが, 眩い. サッカーW杯の勝敗で, くるくる感情が回る大衆の風がサイコパスっぽくて尊い. 2021年のニュースで何度となく流れた, コロナ→五輪の喜怒哀楽スイッチが恐ろしく速い現象と同じだ. 

さて, 普段スポーツを観ない僕もすごく感動した. たった数ミリ, コンマ数秒にかけた人生時間のことを考えてる. 


三笘薫選手の折り返しの瞬間 via Associated Press

習慣や癖, 何気ない積み重ねがこの決定的な瞬間を作っている. 三笘選手だけではなくて, それを繋いだ選手やラインを引いた機械にボールにシステムを導入した人達と環境そのものが生み出していると僕は思っている. 

そう, 例外なく我々も同じなのだと. 

喜びを分かち合い, 希望を共有し合おう. サッカーがあってもなくても今を祝福していこう. そして, まだ現れていないとある瞬間に向かって歩み続ける. 

誰かの役に立つために生きることを手離す必要があるんじゃない?って, 真面目で優しい人達と話す度にここ数年よく思っていたこと.

凡ゆる煩いを捨て切った澄み渡った状態を如何に作り出せるかは今に始まったことでもないし, 考えようとすればするほどドツボにハマる. 

モチベーションに格差もへったくれもない. 在るのはただ現実を自分がどう思うかに過ぎない. 我々は, 真実に対して何も手を加えることはできない. 


ただ一瞬のプレー. 「感動した.」というのはその通りだけれど, それがどうした. 毎日に嘘をつかずに自分を騙さずに, 改めて丁寧に生きることを考えた今日この頃. 

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