煩いがない人とミニマリストは別物。
引っ越しに当たって、不動産のお姉さんと話ながら若者を筆頭に“畳”を避ける日本人の話題が出てきた。おそらく海外留学や移住したりツアーで回ったりした人々は通すると思うのだが畳が部屋にあるなんてほぼない。
イグサが床に織り畳まれているなんて文化の造形そのものだ。
そんな事を考えながら、ミニマムとかこんまりとか断捨離とかに感じていた疑問がまたもや浮上してきた。宮台先生が「合理性を思考する限り、最大のノイズは人間だ。」
と仰っていたり。(激しく同意
まぁ禅で言うと、
喉が渇いているとき、終始、水のことを語って、何の役に立とう。
まさに心に目を向けているようでは(以下省略
整理整頓は美しいし、断捨離も必要でしょう。勿論「less is more」も美しい。極私的にはここに善悪の判断を持ち込むのは否、である。
ただ違和感として、シンプル教は禅とは似ていても全く別物であると同時にゴールに向けて走れば走るほど何故か不特定多数は個性が消えて裸よりもオリジナリティがなくなる。
そして何よりミニマムや最小の“一”と、多種や多様の“多”という2概念に分析してどうこうなどというのは煩いだ。
「一即多、多即一」
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