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躓いた次の一歩の踏み出し方だけを考えたり躓きを忘れたりしながらどこかへ向かって歩いていく

窓から暖かな風が吹き込み, 蕾が咲き始めた今日この頃. 祝福が漂っていて, どこか懐かしむような嬉しいような寂しいような気持ちの浮遊を感じる. 

旅立つ子たちを見送りながら片や一方で新しく門を叩く子たちを出迎える往復を何回も繰り返していると, なるほど門の気持ちとはこんな感じなのかと思ってくる. 

“初めはできないことが多い” とどんな年代になっても感じることだし言われる言葉でもあると思うのだけれど, 躓いた次の一歩の踏み出し方だけを考えたり躓きを忘れたりしながらどこかへ向かって歩いていく. 

子どもたちと伴走して, 何度もそんな場面を見てきた. 当たり前だ. 

自分だってそうだった. 「向いてないんじゃないか。」「やっぱ向いてないな。」「心底向いてない。」「向いてるってなんだっけ。」と何度も躓いたのだけれど, それがどうしたんだというスタイルで歩いてきたわけだ. 

つまるところ,そんなものの繰り返しなのだろう. 続ける中で, 心の副音声が何度も流れるけれどその声との向き合い, その姿勢が, 躓きと継続の上ではキーなのかもしれない. 

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