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母と娘の「ゆるーいピアノも悪くないだろう。」

こんにちは。

今日は娘の習い事、『ピアノ』について。
「ゆるーいピアノも悪くない」という心境に至った、我が家の事情を書いてみます。

娘の言い分

「家で練習はやりたくない。
 でもレッスンは好きで、ピアノも先生も好きだから、やめたくない」

この言葉を聞いて、あなたならどう思いますか。

練習しないのだから、当然上手くなりません。
全然進まず、まわりの子より周回遅れのテキストを使っている我が子。
イライラするし、悲しくもなります。

私:「合わない習い事は、無理しないで次に行けばいいんだよ。」
娘:「だから、やめたくないって言ってるじゃん。」
私:「家で一回も練習しないなら、進まないでしょ」
娘:「別に進まなくていいじゃん」

とこんな感じでした。


中間反抗期も重なり


そして、娘は中間反抗期になり、口答えばかりになりました。
さんざんでした。

毎週レッスン前日に、親子でなんとか1回練習するのですが、約5分で紛争勃発。ピアノはまさに地雷!

娘は練習に付き合わないと怒る。
上手く弾けないとまた怒りだす。
「そんなに怒るくらいならピアノ自体やめようよ」という私の声がけにまた怒るといった具合です。

ごめん、習わせた私が悪かった。
もうピアノで頭良くなるとか、手先が器用になるとか、どうでもいいから。
普通に平和に暮らしたいから。
頼む、もうピアノをやめてくれ。。

東北の実家で過ごした3か月


そんなとき、コロナ禍で全国一斉休校となりました。
私の家族は母子で、休校になってすぐ私の東北の実家に帰省しました。
数週間で東京に戻る予定が長引き、3・4・5月の3か月間過ごすこととなりました。

娘にとっては、初めてのじいじ・ばあばとの生活。
私にとっては、高校以来20年ぶりの、両親との生活。
目から鱗、得るものが本当にたくさんありました。

震災後に引っ越して建てた実家はまだ新しく、
自然に囲まれ、庭には野鳥が次々に飛んできます。
同じ日本にいながら、時間の流れ方がまるで違うのです。
そして、反抗期の娘と0歳児を抱えながら、ほぼワンオペだった育児が、大人が3人いるというこの余裕。
張り詰めていたものが、少しずつ空気が抜けていく。そんな感覚。

実家のリビングにはピアノが置いてあります。

学生時代からただ楽しんで、ピアノを続けている母。
今はもう一度先生に習い、発表会で弾く予定だった楽譜には先生からの赤字がいっぱいです。
ところどころ音を外して「あちゃぁー」と笑いながらも、母は前より上手になっていて。

その音楽になんともいえず心が和みます。
母を見ていると、私もだんだん弾きたくなってきました。

ピアノ挫折組の私。
習っていた頃は、本当にピアノが嫌いでした。
先生とも合わず、「やめたい」と懇願したのに、なかなかやめさせてもらえなかった過去。

そんな私が久しぶりにピアノに対峙して、ブルグミュラー『貴婦人の乗馬』を練習し始めると、弾む音になんか楽しくなってきました。

「あなたがピアノに夢中になってるなんて、やっぱり長生きってしてみるものだねぇ。」と母。

すると娘がピアノに近づいてきました。
「そういえば、宿題以外の曲を最近、娘と弾いたことないな」
私は娘に、名曲『猫ふんじゃった』を教えました。

娘は最初、本当にたどたどしい指づかいで、
『おーい猫いるのか』的な出来だなと思ったら、次の日には弾けるようになっていました。
その次の日にはどんどん速度が速くなり、気づけばマッハ。
『あれは猫だったのか』的な演奏ができるまでに成長しました。

ママに『猫ふんじゃった』を教えてもらった!
私、ピアノ、前より上手になった!

些細な事ですが、これは娘にとっては結構な大事件のようでした。
娘はこの日から毎日、『高速猫ふんじゃった』を披露してくれるようになりました。

そして、課題の練習も、娘の演奏後にふざけて、

私:「ノーアンコール、プリーズ! 
   NO! NO!(頼むからもうやめて)」


娘:「アンコールね!OK!」


これで、娘はエンドレスに弾いてくれるということが判明しました。

おかげで、娘は3か月のうちに、みるみるピアノが上達していきました。


ミニピアノが娘の玩具に

その後、私たち母子が東京に戻った6月の初頭。
我が家にプレゼントが届きました。
じいじ&ばあばからの1歳になった息子へのバースデープレゼント。
カワイの赤いミニピアノです。

リビングのローテーブルに置くと、娘は1歳児を押しのけて、せっせとこのピアノを弾くようになりました。
無意識にちょっと手元が暇だったら遊びで弾く、といった感じです。
私も家事の合間に、ミニピアノをちょっと触るのがいい息抜きになります。実家で練習した曲のメロディが、ミニピアノだとちょっと高い音になってかわいらしく聴こえるのです。

私は、いつの間にか娘のピアノに対する意識が変わりました。
「1回も練習しなかったら先生に失礼だ」とか、
「〇〇ちゃんはもうあれが弾けてすごい」とか、
そんなの、どうだっていいのです。


娘のペースで、娘が満足するまで、楽しんで続けられたらいい。
育児が落ち着いたら、私ももう1回、ピアノを習ってみたいな。
そんなふうに思うようになりました。

そんなわけで、ゆるーく楽しく、娘はピアノを続けています。


さいごに

一週間は早いです。
ミニピアノは毎日触るようになった娘ですが、
宿題の曲は「あんまり練習できなかった」ということがよくあります。
そんな日は、私は娘にこんな声がけをするようになりました。

「レッスンが楽しいといいね」

実家でのゆっくりと流れた3か月が、私を少し何かから解放してくれたように感じます。

未熟な私たち母娘を温かく迎えてくれる先生に感謝。
少しずつでも、停滞するときがあっても、楽しんで向き合えるものがあるっていいものです。

ゆるーく楽しむ音楽だって、得るものはきっとあるはず。


習い事に求めるものは人それぞれ。
でも楽しんで始めたはずなのに、いつからか苦しくなっていませんか。

そんな時、こんな一例もあるよ、と参考になれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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