見出し画像

「寄付」と言う名の快楽

薄々考えていたことを記事として読んでしまった

私の仕事は人の家の片付けです。誤解を恐れず言うと、ゴミや不要なモノで溢れているお宅にお伺いして、それらのモノを手放す手伝いをします。
言葉は悪いですが、モノで溢れている家ならば、モノを家の外に出していくしかないのです。それは5割以上が「捨てる」という行為ですが、他にも「売る」「譲る」など、手放す方法は色々あります。
(どうしても「捨てる」ことに抵抗がある方は、ぜひ「売る」「譲る」などを検討していただきたい!)

その「手放す」行為のひとつに、「寄付」というものもあります。
はした金で中古ショップに売る労力を考えると、いっそ寄付して誰かに喜んでもらえた方がいい。これには私も賛成ですし、お客様にもおススメしたりしています。
これは「捨てる」罪悪感から解放されるうえに、「自分(の不用品)が誰かを救っている! 私は素晴らしい!」という快楽に酔えるせいか、寄付行為に依存している(?)人さえいるほど。
ネットで調べれば、古着を海外の恵まれない地域に寄付するサイトは多数見受けられます。これはこれで需要があって始まったことだと思うし、それ自体はいいのですが…

ただ…

いつも思っていたのです。
そんなに服を寄付して、その国の人たちは喜んでいるのかしら? と。

これらの洋服の大多数がアフリカなど暑い国に送られているようなのですが、ということは日本で使用されたダウンジャケットなどは用なしですよね。
せいぜい夏服だけが利用されるのだと思うのですが、ではそもそも冬服はどこへ送られるのか。

また、ときおりテレビなどで山積みされた古着の映像を見ることがあります。国民全員に100着ずつくらいお届けできそうな量。
けど、アフリカのこの国って、こんなに人口いましたっけ…?

そんな中、こちらの引用記事を拝読して「あああ、やっぱり…」と項垂れてしまいました。

アメリカやヨーロッパ、さらには日本でも、自治体や企業、チャリティ団体が古着を回収し、アフリカの貧しい人たちに寄付をする。そんな活動を耳にしたことがある方もいるのではないでしょうか。

先進国の人たちは不要になった古着を処分できて、アフリカの人たちは安価、もしくはタダで古着を手に入れることができる。ウィンウィンじゃないか。そのように感じるかもしれません。もちろん古着の輸出が現地にメリットをもたらすこともあります。例えば難民キャンプなど(中略)。

しかし(中略)ケニアやウガンダ、タンザニアなどが構成している東アフリカ共同体では、古着や靴の輸入額は1億5100万ドル以上(2015年、日本円に換算すると約170憶円)、ケニアだけでも毎年約10万トンの古着が輸入されています。
技術面で進んでいる先進国側でさえも、大量に余っている古着を処理しきれていないわけですから、ゴミ処分場などの施設が不十分なアフリカの国々で、大量の古着を処理することは到底できません
先進国にとって、アフリカが古着の輸出先(※これを記事中では「古着の最終処分場」と皮肉っています)になってくれるのは、とてもありがたいことです。本来は自国で処理するべきコストを削減できるうえに、古着の輸出自体が一つの産業となり、貿易収支や雇用を増やすことができるのですから。
ましてや「アフリカの貧しい人たちを助けよう」といったチャリティの名目で古着を回収すれば、その企業や団体のイメージアップにも繫がるかもしれません。
しかし、アフリカをはじめとした途上国は、先進国から送られてくる大量の古着によって地元の産業が破壊される問題に悩まされてきました――

冒頭にご紹介した記事は、これらの古着が現地の繊維産業を根こそぎ駆逐している実態を記したレポートです。
そういえば、「先進国のファストファッションが無くなれば、世界中のゴミ問題がかなり解決される」と報じる記事も良く目にしますよね。

話を元に戻します。

断捨離が嫌いな方と言うのは自分が購入したものを手放すという罪悪感を感じたくないから、なのだと思われます。
そこにスッ…と入り込むのが「寄付」という行為。これは罪悪感を消滅させ、むしろ「自分がこれまで無駄遣いしてきたのは、まさにこのためだったのかもしれない!」と全肯定するほどの威力があります。

事実、私のお客様の中に、もう使いようのないぼろぼろの古着などを「ホームレスに寄付してあげると喜ばれるから、ごみとして捨てないで」と仰る方がいます。ホームレスへの寄付と言う崇高な行為が待っているので、ご自身の買い物依存症も気にせず無駄遣いもできるし、ゴミを捨てる罪悪感も抱かずに済みます。むしろ誇らしげに「私はホームレスを助ける活動をしてるから!」と自信気に仰るのです。
ですが、どう見てもゴミなんです…! 「これはさすがに人に寄付するのはどうかと思いますが…」とやんわり言っても聞き入れて貰えません。

以前「地元で子供服を循環させる」という事業にかかわったことがあります。
サイズアウトしてしまっただけでまだ十分にキレイな子供服を市民のみなさんから寄付してもらい、それを必要とする市民の方に無料でお譲りするというイベントでした。
趣旨をご理解いただき、丁寧にアイロンがけまでして届けて下さる方が多数いらっしゃる中、古びて穴の開いた男性物のダブルのスーツを大量に持ってきた方がいたことを忘れられません。
子供服って言ってるやん。なんでおじさんのダブルのスーツやねん…。

日本で行われている「寄付」の実態って、実はこんなものなのかもしれません。
本気で誰かを助けたいと思っている方は、モノだけ押し付けて帰ったりはしませんものね…。

引用した記事に関連付けて言うと、
アフリカの方々の力になりたいと本当に思っているのなら、質の悪いファストファッションを大量に届けて終わるのではなく、そのお金を貯金して現地に赴き、そこに住む人々に直接お金を落とすこと、これこそが支援なのでしょう。
支援する気なんてさらさらなくて、ただ自分の不要なものを処分してくれる場所として「アフリカ支援」と言う言葉に酔っているのだとしたら…?

▶不要なモノを押し付けるだけで「寄付」とは言わないでおこう
▶その寄付は本当に誰かを救うのか?
▶寄付と言う行為にあなたは何を見出しているのか?

改めて自問する必要があるな、と思いました。
(寄付自体はとてもいいことです! 言うまでもないことですが!)

もしサポートのご意思があるなら、お気持ちだけで。別の困っている方へ直接ご寄付ください。私と私の家族は元気なのでnote経由のサポートの必要はありません(*'ω'*)